日記・コラム・つぶやき

11月ー1

11月前半の瓏山です。

イベントの章

○1日は市の文化祭での文化教室舞踊発表会、女性4人と端唄「京の四季」を文化ホールの舞台で披露しました。
母親の葬儀の直後でもあり、いくらなんでも辞退したほうがいいだろうとは思ったのですが、ここまで来て発表の直前に穴をあけるのも一緒にやってきた皆さんに申し訳ないということもあって(「そんなに大した穴が開くとでも思ってはったの」)、舞台に上がることにしました。
そうは言ってもやはりいまひとつ気合が入らなかったですね。
女踊りに特有の首の振りかた、足の運び方、滑らし方などが、年はとっても男は男、どうもしっくりこなかったということもありましょう。

それにしても、女性に混じってこのような経験をするたびに感じるのは、女性というのは踊りそのものもなのですが、
準備、後始末を含むイベントの全過程をまるごと楽しんでいるんだなということです。
念入りに時間をかける舞台化粧、それに続く舞台衣装の着付けは、普段と違う自分に徐々に変身していく、彼女らにとって喜ばしくも大変重要なプロセスなのですね。
その間にも、持ち込まれたお菓子などをつまみながら、会話に余念がありません。
舞台がはねて着替えた後も、机を出して集まり、にぎやかに仲間同士でお弁当を食べるのも大事な行事のようです。

この辺は、気にかかるのは舞台での成果だけ、さっさと着付けや着替えをすませ、お茶やお菓子やおしゃべりよりも、舞台の後の居酒屋でのビールを思い描く老人男性とは大いに異なるところ、改めて男と女の違いに気付かされるのです(私だけかな)。

○文化祭での三曲演奏会を久しぶりに聴きに行きました。
お琴はともかく、尺八陣は、この地においても高齢化がとみに進んでおります(「他人ごとのようやね」)。
息の力強さが時に求められる吹奏楽器にとって、年は敵だということをつくづく感じさせられました。
もっとも、「他人の芸を聴いて、こりゃ自分程度だと思ったら自分よりずっと上手、なんて下手くそな奴だと思ったらそれが自分程度」という古今亭志ん生の教え、瓏山、拳拳服膺してはいるのですが。

○11月第2週になって、住まいの周辺で急に交通取り締まりが厳しくなりました。公園には警備の車が止まり、駅の改札前には警官が立番しています。手配されている人間でも逃げ込んできたのかと思ってお巡りさんに聞いてみると、オバマさんが来日するのでということ。そういえば、去年7月の洞爺湖サミットのときも同じように基地の周辺は、その期間厳戒体制でした。
基地を抱える警察官のみなさんのご苦労の一面でございます。
 
○9日の朝、何気なくNHKのテレビを見ていましたら、近代技術や添加物を使用せず、古来の方式による天然醸造の醤油が紹介されていました。これは人気が出るだろうな、早く注文しておかなければと思い(やもめシェフにとって、料理に手間をかけない分、調味料、特に醤油は大事な素材なのです)、早速ネットで検索して醸造元の丸中醤油さんに注文したのですが、後で聞くと、案の定、番組終了後電話が鳴り続けて受話器を置く暇が無い有様で、少量生産の蔵元では注文を捌ききれなくなり、今では3カ月待ちの状態だそうです。
テレビの力は凄い。一時期の森伊蔵を思い出しますね。
この醤油もプレミアムがつくことになるのでしょうか(もっと仕入れておけば良かった)。
確かに甘みとこくがあり、炊き立てのご飯にかけると、なつかしい日本の香りが立ち上がってそれだけで一膳の飯が食えます。せっかくの名品、この騒ぎが品質の低下につながらなければ良いのですが。

部屋の風景の章

○朝起きて頭を下げる遺影がまたひとつ増えました。
物ごころついた時からある父親の写真、一昨年からの家内の写真に新しく加わった母親の写真です。
写真の上では一番若い30歳代の父親の遺影に72歳の息子が頭を下げているというのも奇妙な情景ではあります。
後日(何時になるのかな)これらに私の写真が並んだところを知らない人が見れば、私にも結構若い息子がいたんだなということになりそうですね。

刀を抜いて水を断てば水更に流れ
杯を挙げて愁いを消せば愁い更に愁ふ  李白

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10月ー2

10月21日快晴のこの日、母は安らかな息遣いのうち、92年と6カ月の生涯を閉じた。
何らの管に繋がれることも無く、世話していただいていたスタッフ達に声をかけられ見守られながらの平穏な臨終だった。

第2次大戦終戦の年、ビルマ戦線で夫が戦病死し、わずか28歳で、大戦後の日本に多かった戦争未亡人(今では死語になりつつあるが)の仲間入りをし、一億総窮乏化のなか、一念発起して職業婦人(これも死語)となって大学で教鞭をとり、女手一つでぐうたらな一人息子をなんとか育てあげた波乱の人生だった。

もう充分に生きてきたと冷静に受け止めつつも、2年前の家内の時とはまた違った感情が心の奥底に渦巻いているようで、戦後64年間、母一人子一人で世の荒波と共に闘ってきた戦友が戦死して戦場に一人残されたような感じが拭えない。

みまかってから告別式までの間に、NHKのイタリア語講座で取り上げられたアイーダの凱旋行進曲、時あたかも母の凱旋を祝うものでもあったのだろうか。四谷イグナチオ教会での告別式の日は、その日だけ台風接近で大荒れの天候だった。

   あらしの日 母見送りてあくる朝 
                          わが目に痛し玲瓏の富士

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10月ー1

10月前半の瓏山です。

イベントの章

○小学校の同窓会で久しぶりに神戸に出かけました。中学高校の同窓会もそうなのですが、ずっと神戸に住み続けている人間は,卒業後もそれなりに仲間内の交流があるのに対し、勤め人になってから神戸に縁が無かった私のような者は、久しぶりに出席するとそのたびに浦島太郎のような気分にさせられるのです(こんなことを言うと、幼稚園以来小学校、中学校と父親の都合で何回も学校を変わらなければならなかった娘どもに、自分たちはそれどころではないのにと怒られるかな)。

この会も60年ぶりの再会で、顔と名前が結びつかないのではないかと心配していたのですが、案ずるより産むが安しとやら、あっという間に昔のやんちゃ坊主どもに帰り、楽しい一日でした。

ただ、同じ関西でも、神戸は家内と知り合ったころの思い出が街角のあちこちに蘇り、どうも落ち着かない気分になるのは困ったものでございます。
故郷神戸には申し訳ないのですが、早々に大阪のホテルに帰ってステーキとワイン、やはり肉は関西ですな。

○アカパナとはインカ文明のピラミッドのことだそうですが、ボリビアで有名な「アカパナ」というアンデス音楽のグループが日本ツアーを行うに際し、その第1回公演が市の公民館であるというので出かけました(福生市もなかなかやります、来月は茂山千五郎一門の狂言がかかるのでこれまた楽しみです)。

ケーナ、シーク、チャランゴの民族楽器に、ギター、バイオリン、パーカッションが加わって賑やかな演奏です。

どうもこの地のひとびとは、リズム感のある演奏にのりが良いようで、結構年配の聴衆が多いのですが、今回も立ち上がって手拍子、足を踏みならし掛け声など、ステージと一体になって楽しんでいます。これなども60年の米軍基地との交流の影響でしょうか。体裁を慮る老人はやや取り残され気味です。

舞いの章

○11月1日は文化会館で市民文化祭、日本舞踊の部で女性5人と一緒に、端唄「京の四季」を踊ります。あと半月足らずなのですが、なかなか振りが覚えきれず大変です。女性と違い男は髪型の心配をする必要が無いのは気楽ですな。いっそ丸刈りにしてしまえばもっとさっぱりして見栄えがいいかも知れず。

言葉の章

○NHKの語学講座が10月からまた新しくなりました。と言っても、スペイン語は去年春の、中国語は4年前の再放送です。聴いていると、それぞれその頃の生活情景が講座の内容に重なって思い出されるのは再放送の思わぬ効用ですね。
来週の中国語講座でやる、子供がおじいさんに謎かけをするスキットは、4年前の丁度今頃、家内が何回目かの入院をするのに付き添っていくタクシーの中で聞いていました。

今年の春からのスペイン語講座は、主要表現の短いフレーズを取り上げての解説でしたが、胆嚢摘出のため入院した3月30日の朝習った’おやおや’という表現、将来再放送される時、術前検査とやらで病院中引き回された思い出に重なってくるでしょうか。

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9月ー2

9月後半の瓏山です。

○本の章

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河盛好蔵集
1902年から2000年までの1900年代を生き、高名な仏文学者であり、仏文学研究の町医者といわれた著者の随筆集。
三好達冶、堀口大学、伊藤整、上林暁、山本有三などとの交友関係を通じて、彼らの知られざる側面が描かれていて興味深いです。
そこはかとないユーモアが行間に漂い、良質の酒を飲んでいる気分にさせてくれます。
先生のヴァレリー、ボードレールやヴェルレーヌの解釈を読んでいると、詩とはこう読むものだということがかすかにわかるような気もします。

鴎外には、遺言で「墓ハ森林太郎墓ノホカ一字ホル可カラズ」としたという有名な話があり、これまで法名などとは無縁の人と思っていましたが、院殿大居士つきの立派な戒名を持ち、母親や知人の法名も選んであげていたということを、この本で初めて知りました。
戒名は、あの世で閻魔様の裁きを受けるときに、本来の名前では生前の悪行がばれるので、ごまかすためにつけるのだという説もありますが、鴎外はパスしたのでしょうか。

○イベントの章

9月27日は、福生友好フェスティバルの日、横田基地の第5ゲートから16号線に沿ってマーチングバンドの行進、クラシックカーパレード、道路沿いの公園では、カントリー、ロック、ハワイアンバンドの演奏などで賑わいました。あちこちにハンバーガー、ピザなどの露天、基地からも親子連れが多数出かけてきて楽しんでおりました。

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基地ゲートを出る両国国旗

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○旅の章

今回の旅では、結構飛行機を利用しましたが、改めてヨーロッパは一つになりつつあるように感じました。
バラハス空港やフランクフルト空港で発着便の案内板を見ていると、いかにヨーロッパの各空港間で飛行機が頻繁に往来しているかが如実にわかります。空を飛んでいても、下方を飛ぶ飛行機、すれ違う飛行機が結構多いです。どこの都市でも、空を見上げると飛行機雲が縦横に白い線を描いております。
共通通貨の便利さは言うまでもありませんし、出入国手続き、関税手続きなども、シンゲン条約とやらで、ECに最初に到着した国、あるいは最終出発国に集約されております。
テレビの天気予報も自国だけでなく欧州全域が表示されています。
グローバルな気候変動が言われ、アジア共同体なども提言される中、我が国の天気予報、台風情報なども、いずれアジア全体を表示するようになっていくのでしょうか。

もうひとつ、特にスペインと日本の酒代の格差には改めて驚くと同時に酒飲みとして憤りすら感じさせられましたね。
ワインの値段が、日本で国産のワインを飲むのに比べても3倍以上も違うというのは、税金のかけすぎではないでしょうか。しかも、かの地のワインがリオハでありアルバニーニョでありリベイロなのですからね。
居酒屋とバルでの勘定の対比においても、やはり私の感覚では贔屓目に見ても3倍程度の格差があります。日本の酒飲みは虐げられております。
民主党政府には、愛すべき酒飲みに対する友愛の精神を持って、この理不尽な格差是正に取り組んでいただきたいものでございます。

ボードレール曰く「水しか飲まぬ人間は同胞に隠さねばならぬ秘密を持っているものだ」
(河盛好蔵集)

○相撲の章

朝青龍の優勝、男にとっての気迫の大切さを教えてくれましたね。土俵上のガッツポーズ、いただけないのは勿論ですが、ファンはともかく、当事者たる相撲協会、横綱審議会が、それを声高に言う資格はあるのでしょうか。彼らこそ、相撲が国技であるのに、朝青龍、白鵬に対抗できる日本人力士の養成を怠って、安易に外国人力士の人気に頼ってきた当事者であり、今そのつけが回ってきているということを自覚すべきではないのでしょうかね。ここ当分、つけは回収できそうにもないけれど(実際、仮に今の状態で日本人力士だけの場所が開催されたとして観衆は一体何人集まるでしょうか。ー「朝青龍のことになると、あなたは何故かむきになるのやね」)。

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ハイデルベルグ

9月10日、現地ツアーに参加しハイデルベルグにバスで向かう。アウトバーンを1時間あまりの行程。15人ほどの一行は、オーストラリア(キャンベラ)、アメリカ(テキサス)、イギリス(リバプール)、フランス、スペインの人たちで4組の夫婦連れのほかは中年女性のグループ。共通語は英語。ガイドの説明も英語。東洋人は当方一人なので、珍しいのかオーストラリアのおばさん達が話しかけてくれるが、なまりがあるので、対応が大変(「偉そうにゆうてはるけど、あなたの片言ジャパングリッシュのほうが、あちらさんにはもっと大変だったのではないの」「ごもっとも。スペインでのジャパ’ニッシュ’も」)。

ハイデルベルグ城

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14世紀に創建され、その後幾多の破壊と再建を経て現存するシュロスハイデルベルグ。
地下に据え付けられた、徴税のため領国中のワインを集めたというおそろしく巨大な樽にびっくり。すごいことを考えるものですな。何百人が何百年かかったら飲みきれるのか。

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ネッカー川の対岸には、”哲学「者」の道”がある。

旧市街中心。ここでも人々は昼から酒を飲んでいる。横町に入ると流石に大学の街で、昼時、小粋なレストランにノートを抱えた学生がビール片手に屯している。

高校時代、ブラスバンドでメンバーが好んで演奏したロンバーグ作曲、ハイデルベルグが舞台の「学生王子のセレナーデ」。
甘く軽やかなあの旋律が脳裏によみがえる。
確かにここに立ってみればこの街の雰囲気にぴったり。東洋の老人、学生王子の気分。

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  さすらいの 旅の心を乗せてゆく 
                 ネッカー川に街並み写して

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フランクフルト・アム・マイン

9月8日マドリッド経由フランクフルト着、ル・メリディアン・パークホテル投宿。
ホテル近くのマイン川周辺を散策。

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ホテルのほぼ前方にフランクフルト中央駅、ハイジがクララのところに行くとき降りたハウプトバーンホフ。

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旧市街の中心、ロエーマーベルグ。おとぎの国のよう。

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広場に接するパウルス教会のいかにもドイツらしいパイプオルガン。

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晩は、郊外の隠れ家のようなドイツレストランで、フランクフルトに拠点のある昔の職場の後輩にご馳走にあずかり、本場のビールを堪能。オールドボーイズネットワークの有り難さ。

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サンセバスティアン(ドノスティア)

9月5日早朝パラドール出発。8:45ラパコージャ空港からイベリア航空8353便でビルバオ空港着、1時間バスに乗ってサンセバスチャンのホテル・マリアクリスティーナに投宿。
ビルバオでレンタカー借りる予定だったが、これまで歩いていても道に迷う状態で、この分では高速道路の標識見過ごしてあらぬ方向に行くやもしれず、徐々に自信がなくなり、ついに諦める結果に。実はこのため某重大事件発生(詳細別項)。パンプローナ、ザビエル城行きはご破算。

サンセバスチャンはバスクの中心地のひとつ、別名バスク語でドノスティア、王室の夏の別荘地としても知られ、貝殻の形とされる白砂のコンチャ海岸の背後に旧市街と新市街が広がる。

コンチャ海岸遊歩道

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サンセバスチャン港からイゲルド山を望む。

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ボート競技大会の日

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サンタクララ島に蝟集するボート、ヨット

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旧市街の夜、夏時間で8時でも明るい。レストランの予約は8:30から。混み合うのは10時過ぎから夜半。彼らは何時に寝て何時に起きるのか。

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前の缶にチップを入れると音楽が鳴り、シューティングポーズを決めてくれる。

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ホテル前ウルメア川の月

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マリアクリスティーナ

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ホテル前の観覧車

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世界に冠たるバスク料理を堪能。
チャコリ、シードラ、リオハ。ワインは清涼な空気の中で最高。
バスクの人達の人懐こさに触れにまた来たい。今度はフランス側バスクもいいか。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:巡礼と街

巡礼道道しるべ、石畳の道のところどころに貝殻のマークが嵌めこんである。蝶番の部分が大聖堂への方向を示す。

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オブラドイロ広場に到着した巡礼者たち。あちこちで集まって胴上げしあったり歓声を上げている。サイクリストが多い。話を聞くとほとんどヨーロッパ各地から。アジア系は見かけなかった。

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中心部は山ほどある寺院の谷間に山ほどバルがある。コンシエルジェにお勧めのバルを紹介してくれと言ったら「何?」と聞き返された。「あなた方がいつも行くバルですが」と言っても通じない。やっと気がついて「バアルルル」。RとLは天と地ほど違うことを改めて思い知らされる。控えめな性格なので、母音、特に、「ウ」とか「オ」など口を動かさず発音しがちなので、これまたなかなか通じない。

イントネーションやアクセントも大事だが、プロナンシエイションがまず基本であることを痛感。

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オブラドイロ広場を隔ててカテドラル向かいのユネスコ前で演奏する楽隊。飛び入りがあったり、新婚夫婦を祝福したりで夜半過ぎまで盛り上がっている。

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市内を回る観覧車。

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黄色のポスト。

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カテドラルのすぐ近くにあるサンチャゴデコンポステーラ大学。寺院のような入り口。欧州各地から学生が集まる。旅先でのお目当ては当地の大学の売店。そこでしか手に入らないものがある。USCというロゴの入った書類入れとTシャツ、孫のキャップを仕入れる。

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この掲示板など見ても、この地方ガリシア語に「X]の字が多い。バスクでも「X]と「K]が多かった。カスティージャ語と異なる特色。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:カテドラル

旅装を解くのも早々に、すぐ前のカテドラルに。

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とにかく巨大すぎてファインダーのなかに全景が収まらない。石の存在感と壁面を飾る無数の彫像に圧倒される。

西方入り口。

006 おもな出入り口は4か所、なにしろ8300平方Mの大聖堂なので、それぞれ全く別の街並みに面しており、丘の上の傾斜に建てられているので、それぞれが違う表情。

入り口の片隅には、必ず女か男の乞食が空き缶を前に座り込んでいるのは、3大聖地の一つにしてなんとも不思議な光景。たとえば四谷のイグナチオ教会でこのような輩がいたら即座に追い出されよう。カトリック本場の寛容なのか。
3日間見ていたが、彼らは交代制で、しかも昼食時は休憩して横で飯を食っている。

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3日木曜9:30のミサ。おそるおそる撮った。正面5人の司祭の他に、奥と手前両脇に侍僧が16名。金の祭壇に香が焚かれグレゴリオ聖歌、荘厳至極。

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背面から祭壇を見る。刳り抜きの座席。

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パラドール玄関から見る早朝のカテドラル。

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月のオブラドイロ。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:レイス・カトリコス

9月2日7:45、マドリッド発イベリア航空546便でサンチャゴデコンポステーラに向かう。今回は、不案内な空港での乗り継ぎなどが多いので、機内持ち込み可能のスーツケースとバッグだけに荷物をまとめ、荷物を預けることなく旅行することにしていたが、イベリア航空などでは、機体が小さいことから、機内に持ち込めるのは手回り品のバッグだけに制限され、本来持ち込めるはずのスーツケースは、航空機のタラップの下に乗客がそれぞれ置いておき、乗客搭乗後まとめて積み込まれ、到着地では、タラップの下に置かれた荷物を乗客が自分で回収する仕組み。

みんな慣れた様子だが、こちらは、果たして当方の荷物無事積まれているのか、窓から目を凝らしてみても見えず、コンポステーラのラパコージャ空港でスーツケースに再会するまでやや不安だった。

空港から市内へ向かう大型バスでも、スーツケースなどは、立会もおらず、引換証なども発行されず、乗客が自分でバス下部の収納部分にスーツケースを放り込み、乗客が乗り終わると運転手が運転席から自動ドアを閉めて発車、目的地に着くと、乗客がそれぞれ勝手に自分の荷物を引き出して持っていくという仕組みで、バスは途中に何か所か止まるし、これまた不慣れな旅行者にとっては乗っている間結構落ち着かない。

それやこれやありながら10時半ごろ、コンポステーラのバスターミナルに無事到着。まずは近くのバルに飛び込んで、タパスとアルバリーニョ。石畳の坂道をスーツケースを引っ張りながら、今日から3泊するパラドール「レイス・カトリコス」に向かう。

パラドールは広大なオブラドイロ広場に面しカテドラルの右手という絶好の位置にある石造りの豪壮な建物。

正面入り口

020_2 部屋には、モロ様式のパティオを2つ通り抜けていく。

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階段を上がり木のドアを開けると廊下の先に居室がある。

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室内。013

室内から見たパティオ。

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出発

8月31日

予定外の台風接近。朝から雲行きが怪しい。成田行き、車にするか電車にするか最後まで迷う。昼過ぎに出かけるつもりだったが、大急ぎで荷物をまとめ、10時半車で出発するころには、雨がぽつぽつ。

湾岸線に出るころから土砂降りでワイパーをフルに動かしても前が煙って見える。高速道路は50kmの速度制限。成田に着くころはそれでも小ぶりになった。帰国時まで駐車無料という成田スカイコートに1時半投宿。

宿のシャトルバスに乗って、空港に両替に行き、回転すしやで晩飯。8時就床。

9月1日

4時起床。天候は晴れ。6時のシャトルに乗り空港に。搭乗手続き後ラウンジで朝飯。9:35LH711便は定刻に出発。

004 フランクフルト14:15着(日本時間21:15)

入国手続き大混雑、手荷物検査5年前のアムステルダムでは靴まで脱がされたが、今回はベルトまでで済んだ。荷物を開けるように指示され、尺八を取り出してこれは何だと言う、袋からだして楽器だと説明する。なんなら演奏しようかと言う。金属でなくても棒状のものは引っかかるようだ。後々どこの空港でもこのやり取り繰り返すことになる。今後尺八を持ち歩くのは考え物だ。

長い地下の廊下を荷物を引っ張って急ぎ、ようやくマドリッド行きの乗り継ぎ便に間に合う。

マドリッド着18:10.ホテル行きのシャトルバスの乗り場が分からず、広いバラハス空港を右往左往。ツーリストインフォーメーションは、この時間なんと休憩中の張り紙、シャッターが下りている。ホテルに電話をかけるのだがこれが一苦労。だいたいあちらの電話機は一遍ではコインが入らなかったり、フックを何回も叩かなければ通話状態にならないので往生する。現地人にやってもらうと苦も無くかかるのは不思議。明朝の飛行機が早いので空港近くに取ったエクスプレスバイホリデイインにようやく落ち着く。部屋のバスタブに栓がないので、フロントに電話するが、「栓」という言葉が出てこないので、やむなく降りて行き手真似。9時就床。

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9月ー1

9月前半の瓏山です。

8月末に出かけ、この12日に一応無事に老人は成田に帰ってまいりました。
昼、夜と飽きずに酒を呑む「はれ」の日々は終わり、これから、食糧買い出し、自炊皿洗いの「け」の生活に戻ります。

訪れたサンチャゴデコンポステーラ、サンセバスチャン(ドノスティア)では、日本人はおろかアジア系の人々もほとんど見かけず、一人現地の人の中に交わって久しぶりに異文化の世界を満喫致しました。帰途立ち寄ったフランクフルトでもホテルで漸く二人ずれの同胞と会ったぐらい、日本からの観光客の少ないシーズンであったからでもありましょう。

コンポステーラは、流石カトリック3大聖地の一つとあって、広大なオブラドイロ広場には西欧各地からの巡礼者が杖を曳いて引きも切らずに到着、広場に面するカテドラルは、8300平方メートル、74メートルの尖塔、18の礼拝堂のバロック様式、驚くべき大きさと豪華さです。

平日にも3回挙げられているミサは、司式する5人の司祭の他に16人ほどの神父が祭壇の奥の両脇に着席し、相互に祭文を歌いかわす荘厳なもので、高い天井の上まで届くパイプオルガンの壮麗な音と響きあう様には圧倒されました。日本でいえば関口台大司教座の復活祭のミサが毎日行われているようなものではないでしょうか。

このような儀式に毎日与れる信徒は幸せだと思いました(お陰さまでストレイシープ瓏山も、少年の頃のみずみずしい謙虚な気持ちに戻らせていただくことができたような気がいたしますーそれだけでも行った甲斐がありましたーちょっと大げさかな)。

ガリシア、バスク地方は、雨が多く晴れる日が少ないと聞いていましたが、幸い好天に恵まれ、サンセバスチャンでは、年に一度現地の人々が熱狂するボートレースの日に巡り合いましたが、夏の太陽、青い海、白砂のカンタブリア海・コンチャ海岸に、これまた白い大小のボート、ヨットが群れ集う様は、壮観というほかはありません。夜は夜で街は大変な賑わい、街角のあちこちに奇術、物まね、楽隊が出、バルは人の山でカウンターにたどり着くのも一仕事です。それでも小柄な東洋人が手を前に出しよろめきながら進んでいきますと、まわりの大男どもは親切に道を開けてくれます。

バスクの人たちは、とにかく大きいです。中年の女性でも、舞の海氏より大きそうな人がごろごろいます。飲み屋などで間近に見ると、腕の太さが人によっては私の太腿くらいあるのです。あれで一突きされたらたまったものではないでしょう。子供はどこの国でも可愛らしいものですが、特にこの地方の子供は天使みたいに愛くるしいのは、大人との対比で見るせいでしょうか。

金髪をポニーテールにして、睫毛が長く目のつぶらな小さな4,5歳の’セニョリータ’(残念ながら同年代の孫より’いまのところは’遥かに美人)が、バルの片隅で飲んでるアジア系の風采の上がらない老人のそばにちょこちょことやって来て、物おじもせずじっと見つめてくれたりすると、チャコリの心地よい酔いが更に深まり、私のピロポもいつになく冴えるのです。

セルビシオからアセオスという呼称に統一されつつあるトイレットの朝顔はやはり高く、使用の都度、劣等感に苛まれます。印象的だったのは、トイレットペーパーの幅が、どこに行っても我々の国の半分とはいえないまでも3分の2くらいだったことです。使用してみると、やや不安はあるにしても十分使用に耐えますね(そういえば我が国にも3センチ平方のキャラメルの包み紙で十分トイレットペーパーとしての用が足せるノウハウを持った古川ロッパのような人もいたんですよねーこれは世に知られざる世界に誇るべき特技なのですが)。日本の環境対策もまずはこの辺から始めてはどうなのでしょうか。

新聞を見ても、アフガン問題とかトルコの洪水とかオリンピックの開催地がどこになるのかという話題が殆どで、はるか極東わが日本の政権交代の記事など目につきませんでした。そう言えばインフルエンザの報道もほとんど目にしなかったように思います。
日本を出る時、これからはインフルエンザ大流行必至ということで、日本に帰ってくる頃は国中病人で溢れているのではないかと心配していましたが、帰ってきてみると、スペインからの帰国というのに、空港での対応も平常と変わることもなく、拍子抜けするような感じだったですね。熱しやすく冷めやすい我々ではございます。これからまた流行り出したら国民が油断していたということになるのでしょうか。

これから、道中日記のようなものをアップはするつもりではございますが、あくまでも老人の心覚えをデジタルで残しておくというだけのものですので、みなさまのお眼を汚すに値するようなものではございません(「そんならこれは読んでいただくに値するとでも言うつもりなの」)。次回9月末の定例生存報告までお見過ごしおきくださいませ。

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8月ー2

8月後半の瓏山です。

○イベントの章

23,24日は、例年の横田基地日米友好祭、去年は小雨模様でしたが、今年は好天、朝の8時前、歩いて2,3分の第5ゲート前まで様子を見に行きましたら、9時の開門を前にフェンスに沿ってすでに200Mほどの行列ができていました。この日ばかりは、青梅線のエレベーターもない田舎駅に特別改札が開設され,駅から歩いて10分ほどの基地ゲートまで、終日人波が引きもきらず続きます。
ぼつぼつ落ち着くころかと思い、9時半ごろ出かけましたが、ゲート前の国道16号との交差点を渡るだけで10分、手荷物検査をやっているゲートを通り抜けるのにまた10分、押し合いへしあいはないのですが、それにしても結構な人出です。なにしろ市の人口2万9千人のところに毎年20万人が詰め掛けるというのですから。

一番奥に展示してあったひときわ大きいC5ギャラクシー貨物輸送機(映画のジェームスボンド物に登場した機種ですな)にこれまた30分ほど行列して乗り込み操縦席に座らせてもらいます。立ち会っている制服のパイロットが質問に丁寧に答えてくれます。ビルの3階建てほどの高さから基地の滑走路がほぼ見渡せます。

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展示している飛行機のまえで隊員が売っている飛行隊のロゴが入ったTシャツや帽子の殆どは韓国製です(「老人らしく細かいところを見る癖がついたね」)。
最新鋭の戦闘機F22が日本で初めて公開展示されていたそうですが見逃しました。横田基地のHPには案内なかったなぁ。

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基地の広いエプロンの一画に展示している輸送機や戦闘機、ヘリコプターなどを見て回るだけで結構な運動になります。
銀座通りを往復する感じです。さすが一つの地方都市分の広さの横田基地でございます。

横田神社、ゲート内側には「Be an Ambassdor」の表示、、ゲート外側国道16号沿いの店は大賑わい。

(出発間際で写真配置を修正する暇ございません、失礼)

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○舞いの章

昨日は、文化会館の小劇場で私の属する一門のゆかた会、小唄「白扇の」を衣裳袴を着けて舞いました。
何しろ数ある弟子の中で男は私一人、それも古希を過ぎて舞踊の稽古をしようという心根ことのほか殊勝であるということで、師匠はじめ名取さんなど周りの女性軍も結構大事にしてくれまして、新参者にも発表の機会が与えられたわけでございます。
一人で踊るという意味では初舞台だったのですが、一応、我ながら格好良く最後の見得も切れて、瓏山、20年後国立劇場の舞台を踏むという目標に向かって第一歩を踏み出しました。

     白扇の 末広がりのめでたさに
                           あひるはただ舞う 白鳥気取りて

○そぞろ歩きの章

本日午後、陋屋をよろばい出まして、老躯引っ提げただ一人、はるか西の方西班牙カンタブリア海沿いを目指します。
逗留するところは地方都市で、ホテルのビジネスセンターのコンピューターも日本語環境にはないと思いますので(といってノートパソコンを持ち歩くほど気合は入りませんし)、ご助言また貴重な情報をいただいた向きに、よちよち歩きのご報告をするにしても、来月中旬に帰って来てからのことになりそうです(多分かなりの珍道中になると思いますが)。
メールもこの間ROMとなりますので、ブログ上ではございますがご了承のほどお願い申し上げます。

さてもこれから始まろうとする日本国内の大変動、外から見させてもらういい機会かもしれません。
では、かの地で愉快な人たちと出会い、いい酒を飲み、うまい料理を食いにちょいと出かけて参ります。

ナバラ旧城塞の壁の下、チャコリのグラス傍らに「月夜」(久本玄智)など奏するのも一興かな(さすがに着物を着て舞いを舞うほどの厚かましさはありませんが)。

 イベリアの月の光のアルカサル 登り来てひとり竹を調べつ

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8月ー1

8月前半の瓏山です。

今日は終戦記念日、100年に一度の不況などといいますが、たった64年前、100年どころか我が国有史以来の大変動が有ったわけですよね。戦争で亡くなった310万人の人々の犠牲の上に、今の我々の存在があるということを考えさせられる日でもあります。

彼らを引き継いだわれわれの世代は、将来、次の世代からどのように評価されることになるのでしょうか。

○本の章

S.カンドウ 「世界のうらおもて」、「バスクの星」
司馬遼太郎 「街道をゆく 南蛮の道」

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サウバー・カンドウは1897年フランス側のバスクに生まれ、1925年カトリックの神父として来日、1955年58歳で亡くなるのですが、この間、執筆活動や講演活動を通じて我が国の知識階層に幅広い交友があり、多くの人に慕われておりました。日本語を自在に操る語学の天才でもありました。
司馬遼太郎は、「南蛮の道」のなかで、”神父であり神学者でありかつ哲学者でもあったが、それ以上に優れた日本人でもあった”、辰野隆は、「バスクの星」の序文の中で、”高邁な思想と、光り輝く愛情と、秀抜な頭脳が、時折はるかなるとつ国から日本へやってくる。私の60年の生涯に、知り、会い、語った東西の人は無数であった。S・カンドウ神父は、むろん無数のうちの最高級のひとであった」と評しております。
昭和30年と31年に出版されたこの随筆集を読み返してみると、カンドウ神父の語りかけが今の時代にも十分通ずる、いや今の時代にこそ読まれるべきものであることを感じさせられます。

○そぞろ歩きの章

4年ほど前、スペインのバルセロナからアンダルシア地方をまわってマドリッドまで旅をしたことがあるのですが、それ以来、今度は北部、特にガリシアとバスクに行って見たいとかねがね思っておりました。

カンドウ神父に書籍上で再会し、さらにバスクへの興味が強まりまして(ともっともらしいことを言いましても、要はグルメの天国とも言われるかの地で上等な酒を飲み、うまいものを食おうという魂胆なのですが)、この9月初旬、スペインへ出かけることにしました。

フランクフルト、マドリッド経由で、サンチャゴデコンポステーラのパラドールに3泊、サンセバスティアンに移動してマリアクリスティーナに3泊、帰途フランクフルトのメリディアンパークホテルに3泊という計画です。

古巣の旅行部門に日程を組んでもらったのですが、ルフトハンザの予約、パラドール、レンタカーの手配などは割引を適用してもらうため自分でやる必要があり結構根気がいりました。

サンセバスティアンでは、レンタカーを借りてバスク一円、できればパンプローナの奥、ザビエル城まで行ってみたいのですが、さてどうなりますか。

初めて行く土地でのレンタカーの一人旅、ガソリンの入れ方もわからない老人が行き倒れにならなければよいのですが(私の運転する車には身の危険を避けて努めて同乗せず、やむを得ず乗ったとしてもバックシートの真ん中に座っていた家内がいれば猛反対していたことでしょう)。

行き当たりばったりの私としてはめずらしく慎重を期して、経験豊富な友人のアドバイスを求め、ミシュランのドライブマップをアマゾンで購入し(紀伊国屋の女性店員にミシュランと言ったら、料理屋ミシュランの棚に案内されてしまった)、暑い中、丸の内の交通公社図書館、虎ノ門のスペイン観光協会に出かけて情報を収集し、現地での必要なやり取りを書き抜いて、持ち歩けるように太字で印刷したりしております。

こういうのは、それなりに楽しみの期待もありますが、流石に若干の不安も拭えないといったところです。

この方面にお詳しい方がおられましたら、注意点、ご助言、お勧めのバル、酒、料理など私奴にメールでご教示いただければ大変有り難いのでございますが。

○暑さしのぎ

http://www.youtube.com/watch?v=lCOcjWG6Ykc

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7月ー3

7月後半の瓏山です。

そぞろ歩きの章

○猛暑が続いた後の曇り日に、かねて一度訪れたいと思っていた秩父に出かけました。
拝島から八高線で東飯能に出、西武線に乗り換えて秩父まで、結構近いと思っていたのですが、全部単線なので、列車のすれ違い、乗り換えの待ち時間を含めだいたい2時間の行程でした。
東飯能を出て次の高麗から列車は山間の渓谷沿いにゆるやかに登っていきます。平日の午前なので流石に乗客は少ないです。
終点の一つ手前の横瀬で山間を抜け、武甲山を背景に秩父の街並みがひらけます。

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秩父神社は12月の夜祭りで有名ですが、丁度7月の秩父川瀬祭りの準備で、門前町は活況を呈しておりました。

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秩父名産の漬物屋の店頭に並べられているいろとりどりの漬物の産地がほとんど中国産だったのには驚きました。秩父の山奥(秩父の方ごめんなさい)まで中国が進出しているとは。これからは土産物を買うにも眼鏡が必要です。

そう言えば、あの毒入りぎょーざ、どこへ行っちゃったんでしょうかね。

こちらの漬物はなんといってもしゃくし菜ですね。正式には雪白体菜と言うそうで秩父地方の保存食です。秩父の山を望んで一杯やるにはぴったりです。

○柴又
老人どもの集まりがあり、柴又に出かけました。私にとっては都内をこえて更に川向う、乗り換えを含め3時間弱の遠出です。さぞかし帝釈天様も遠方からの参詣を嘉みし賜うたことでしょう。柴又に向かう支線の電車の天井には昔懐かしい扇風機。駅前には寅さんの像、帝釈天境内には渥美清寄進の常夜灯がありました。さすが場所柄ですね。鰻を食って酒を飲み、帰途上野で途中下車してまた一杯、昼酒で盛り上がる元気な老人たちです。

帽子の章

この17日にはわがインペリアルカップルが、カナダ、ハワイへのご外遊から無事帰国されました。国内の解散騒ぎであまりマスコミに取り上げられなかったのですが、我が国にとって大変意義あるものだったのではないでしょうか。
お年を召す中親善外交の実をあげられ誠にお疲れ様でございました(「一平民の分際で’お疲れさま’などとはだいたい言葉遣いが間違っているのではないの」)。
ただ、いつも思うのですが、皇后陛下のあの帽子は気になりますね。
ダイアナ妃など西洋皇室の女性の、顔の造作が大きい、言ってみれば魔女的な顔にはあの帽子がその印象を中和してよく似合うのですが、わが皇后陛下の如き楚々とした大和撫子が、前額に河童のお皿のような帽子をちょこんと乗せておられるお姿からは気高さというよりむしろ似合わないものを身につけられてのお痛わしさすら感じさせられてしまうのです。
皇室を尊崇し皇后陛下を敬愛すること人後に落ちぬ身ではありますが、脱亜入欧は明治の不平等条約時代の話、世はチェンジの時期でもあり、あえて不敬を顧みず申し上げれば、そろそわが皇室も、鹿鳴館から続く西洋式礼装を脱却されて日本古来の伝統衣装に立ち返られてはどうでしょうか。胴長短足というわが民族の特徴をもっとも生かす衣装は美しい和服なのですから(「いつまでたっても女性の帽子となるとむきになる人やね」)。

イベントの章

○25日は両国の花火大会、帰りの雑踏を避けて早めに帰宅しようと立川駅まで来ましたら、ここも大変な人出、昭和記念公園花火大会でした。若い女性のゆかた姿もいいものです。家に帰れば、ベランダから望む秋川の花火。近くの公民館広場では盆踊り大会。

そういえばこの日は大阪では天神祭本宮、 船渡御の日でしたね。あちらの花火も盛大だったことでしょう。

○上海で観損ねた中国雑技団の公演がなんと当地の市民会館であるというので、孫を連れて出かけました。
昨年原宿で公演したフランスの「ドラリオン」は、大仕掛けの舞台装置、閃光と大音響で驚かされましたが、こちらは、舞台装置、背景音楽ともにシンプルで素材の良さで勝負する内容です。
詩的な日本語による進行も感じ良かったです。

紗の幕に包まれた幻想的なシングルハンドバランシング、何段にも重ねたガラスの杯や2枚の傘を足で自在に操る美しい技、1台の自転車に12人が乗って舞台を回る力技など流石に息をのむパーフォーマンスでした。
外国に派遣されるのは、雑技団の中でも特に選抜された精鋭だそうですが、さもありなんという感じでしたね。

なにかと気になることの多い隣人ではありますが、故宮の芸術品、この雑技団など素晴らしいものがあることも率直に評価しなければとは思うのです。

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7月ー2

7月中旬の瓏山です。

気候の章

当地も昨日梅雨が明けました。いよいよ夏本番です。アロハと浴衣の季節ですな。

それにしても、最近北海道に雨マークが多いですね。今日もあちらは大雨のようです。そもそも北海道は梅雨が無いのが売り物で、かの地の6月は一年を通じての最高のシーズンだった筈なのですが。
だいたい梅雨前線というのは日本南岸沖に停滞するものだったのに、最近は日本海側にあることが多いようなのが原因なのでしょうか。
そういえば北海道を襲う台風も増えてきているようですが、以前は台風も来ないことになっていて、昭和58年ごろでしたか、滅多に来ない台風が襲来して、大雨対策などしていない札幌市内が水浸しになったのを覚えています。

最近、テレビでは熱中症予報まで出るようになりました。われわれ子供の頃は、多少の暑さでひっくり返るような奴はいなかったように思うのですが、気候変動とともに体質も変動しているのでしょうか。

本の章

平成万葉集が中央公論社からこのほど出版され、入選者に送られてきました。

このところ世間様に評価されること絶えて久しい老人にとっては、自分の名前が活字になるのは、泥酔して公園で裸になりお巡りさんに捕まった時ぐらいかと思っていましただけに、、新しい本の中に自分の名前を見つけるのは、それが虫眼鏡で見るような大きさであっても、ささやかにして密かな喜びでございます。

送られてきた歌集を改めて読み直してみると、話し言葉、散文が素直に歌になった形式のものも多く見られます。若い人たちが、従来の枠にこだわらず和歌という形を借りて自由に自分の思いを表現することが新しい和歌の流れとなりつつあるということでもあるのでしょうか。

万葉集以来、和歌といえば文語のたおやかな世界、’秘すれば花’のやりとりと思っている人間には、この流れ、率直に言って些かの戸惑いもあるにはあるのですが、拙い歌が採用された身として文句を言える筋合いじゃありませんよね。

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酒の章

終に私に合った赤をひとつ見つけたような気がします。
ワインも安いのを中心にかなり飲んではいるのですが、感性が低いせいか超高級のワインを知らないせいか、特に赤については、重いのも軽いのもなにかもう一つ有難味がわからないところがありました。

穂坂カベルネ・ベリー2008 本坊酒造
しつこく主張せず、しかも個性があり、飲んでも味は変わらず、値も年金生活者にぴったりということで、味付けいい加減、和風洋風不明のやもめの手料理には相性抜群です。

PCの章

先月やっと機嫌を直してもらったPCがまたもや愚図つき出し、またまた丸一日試行錯誤の末、IE8を削除してなんとか動くようになりました。PCにとっても使い手にとっても暑い夏です。

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七月ー1

七月の瓏山です。

○時の章

今日で当地に引っ越してきて丁度一年になりました。
これまで東京には、生まれて幼稚園まで住んでいた杉並和泉町のほか、勤め人になってから東京を出たり入ったりする中で、中野区桃園町、杉並区南荻窪、目黒区八雲、杉並区高円寺、練馬区富士見台、杉並区善福寺、八王子市別所と移り住んできましたが、多分終の棲家となるこの福生市、空気もよく、緑も多く、眺望も広々と開け、都市機能もそれなりに充実していて結構気に入っております(都心に飲みに出かけるには少々億劫ですが)。駐留米軍のおかげで毎日君が代も聴けて日本国民であることを自覚できますし。そろそろなにか小さなことでも地域に結びつくようなことを見つけて取り組んでいきたいと思います。

○本の章
面白かった本

●「欧米の旅」 野上弥生子  岩波文庫3巻

著者が53歳の時、法政大学名誉教授の夫が日英交換教授として渡欧するのに伴われて、昭和13年秋から一年間あまりにわたって、東アジア、インド、エジプト、ギリシャ、ヨーロッパ各国をめぐり、欧州での第二次大戦勃発によりアメリカを経て帰国するまでの旅行記です。

漱石門下、明治の女性の知性と教養が行間にあふれる文章も素晴らしいのですが、当時のイタリアやドイツでのムッソリーニやヒトラーの姿、ロンドンの戦時議会でのチャーチルやチェンバレンの様子、内戦直後のスペインの王宮、プラド美術館、トレドなどのいまでは想像もできない荒廃した状況、ハーバード大学でライシャワー助教授に会った時の様子などが女性の目でいきいきと描かれていて興味つきません。
それにしても、現代ほど情報のない当時の女性が、ギリシャローマフィレンツエの美術、建築など古代中世の芸術に関してこれほどまでに豊富な知識を持っていたことには驚かされます。今の作家といわれる人の内果たして何人が彼女の造詣の深さに太刀打ちできるでしょうか。

文中にイタリア留学中のSとして登場する子息である野上素一さんは、私の学生時代は文学部の教授で、寮のコンパにときどき顔を出され膝を交えて談笑させていただいたこともあるのですが、そのSが当時の錚々たるローマ大学教授陣に囲まれて口頭試問を受けるのを(最高点だった)滞在中許されて傍聴する件りは、そこだけは冷徹な作家の目ではなく感情を抑えながらも母親の目で描かれており、あの野上教授のぷっくりした顔が思い出されて微笑ましく思いました。
筆者の後書きに「運命的に変貌する欧米の最後の姿を記述する機会を偶然に与えられたことを喜んでいる」とありますが、まさにその意味からも、今この時代に読み返されるべき貴重な著作だと思います。

●「杜甫」 宇野直人 江原正士 平凡社

杜甫もまた、李白と同様、仕官のために流浪するなかで幾多の名作を遺したのですね。
戦乱の時代、夫や息子を戦地に送り出す残されたものの悲哀を取り上げた数々の歌が万葉防人の歌と二重写しになって特に印象に残ります。

「痛飲狂歌空度日」(痛飲狂歌してむなしく日をわたる)、まさにいまの瓏山の姿でございます。

「促織」(蟋蟀)、 コオロギの鳴き声が機を織るのを促すように聞こえるというところからきた題名ですが、その一節にある「悲糸急管」( 悲しい弦の響 切迫した笛の音)、人形浄瑠璃の一幕が目に浮かんでくるようです。このような言葉を紡ぎだせる詩人の感覚!

○碁の章

本因坊戦第5局、テレビ放送の後、日本棋院のHPでフォローしていましたが、高尾九段の中押し勝ちとなりましたね。素人目ながら本シリーズ初めて高尾さんの持ち味が出た一局だったように思います。棋界最高峰の両者のやり取りは全く私などの理解の範疇を越えているのですが、第4コーナーを回った追い込みで先行馬を捉えるという形を碁で実感させてくれた高尾九段らしい会心譜だったのではないでしょうか。次回もこのような素人も面白かったと思えるドラマチックな試合を見せてほしいです。

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6月-2

6月の瓏山です。

本の章

面白かった本
○「李白」 宇野直人 江原正士共著
 NHKの「古典講読」で、宇野先生が俳優の江原さんとの対話形式という新しい試みで     李白の生涯を折々の詩とともに解説されたものが平凡社から出版されました。
李白のロマンチックで壮大華麗な作風が好きで、 ときどき岩波新書の新唐詩選など引っ張り出してきて読んでいたのですが、この本を読むと、詩仙李白のはなやかな詩の背後には、なんども挫折しながら、やっと玄宗皇帝に呼び出され日の当る場所にでたのも束の間、追放されて失意のうちに世を去る彼の生涯があったことがわかってさらに興趣が深まります。 
 宇野先生が話し、江原さんが質問し、感想を述べ、さらに先生がそれに応えるという形式は読者の知的好奇心を刺激しますね。漢詩にも本歌取りのような形があるのも改めて知り興味深かったです。
 姉妹編の「杜甫」も図書館から借りてきました。

○「人切り半次郎」
 池波正太郎の時代物は、老人が酒を飲みながら楽しむのにぴったりですな。

酒の章

うまかった酒
○鹿児島焼酎 「富乃宝山」
 森伊蔵、伊佐美に負けない名品です。

音の章

○先週土曜日は、地元の石川酒造さんの酒蔵を改造したイベントセンターで、お琴と尺八、ギターの サロンコンサートがあり、出かけました。
 プロデビューした大阪での瓏山の師匠の息子さんが出演して師匠譲りの音色豊かな演奏、 終わって本当の酒蔵で一杯、近くの多摩川べりの蛍まつりをひやかして帰宅。 

出来事

○先週、インターネットエクスプローラー8をインストールしたところ、 わがパソコンが消化不良を起こして云うことを聞かなくなり、 プロバイダーやメーカー、マイクロソフトに問い合わせ、あちこち入れたり削除したりすること 丸一日、やっとなんとか元通り動くようになりました。
 老人にはこの種の作業は神経にこたえますね。もうこりごりです。 
 自分のパソコンの能力を考えず、ソフトメーカーの甘言に乗せられてなんでもかでもアップグレードするのは もうやめにしよう。
 

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ご挨拶

本日は瓏山72歳の誕生日、2組の娘夫婦に貰ったワインで父親や家内の写真に向かって乾杯です。
5月は、1日は母、31日が私、26日が長女のそれぞれ誕生日、そこに24日家内の祥月命日が加わって私にとって何かと意味のある月なのです。

23日に娘夫婦と墓に詣でましたところ、新しいお花が墓に供えられておりました。
仏教では3回忌ということになりますので、何方様かが手向けていただいたものと思い有り難いことに存じております。

ところで、家内の実家は浄土真宗、家内自身はプロテスタントの学校を出ております。
一方私の家は代々神道で、私自身は一応カトリックという複雑怪奇な取り合わせでして、結婚式もいろいろあった挙句、家内が譲歩してくれてカトリック教会で挙げましたものですから、葬儀も「推定的同意」のもとにカトリック教会で行いました。

ところがお墓のほうは、代々の祭事を墓地ゆかりの神社にお願いしていることから、納骨は神式で行い、十字架の印がついた骨壷と散骨する分骨を神官さんにお祓いをしていただくという仕儀になりました。

神官さんも落ち着かれなかったことと思いますが、家内は墓の中で目を白黒させていたのではないでしょうか。深刻な問題であるのに、我ながらいい加減さもここに極まれりというところで、どちら方面からもお叱りを受けそうでございます。

神式に則れば、墓前祭は5年祭、10年祭ということになるのですが。

このブログは、独り身になったのを契機にどなたさまにも年頭のご挨拶を失礼することにしたため生存情報を発信することにしたことと、いまひとつには、独りになって何かと呟く相手もいないことから始めたものです。
2年が経過し、独り暮らしの生活もようやくそれなりに落ち着き、精神状態も安定してきたように思えます。

今宵誕生祝いの杯を独り傾けていると、「年男ももう何回も回ってこないんやから、ブログなどでぶつぶつ独りごとを言うのはそろそろいい加減にして、もっと世の中に出て行ったらどうなの。なにかもっともらしいことを呟いているようで、知ったかぶりで、ええかっこしいの本性がときどき透けて見えるし、このところまた、世の中をはすかいに見るあなたの悪い癖が出てきているよ」という声が天井(上?)のほうから聞こえてくるのです。

ご忠告誠にごもっとも。この誕生日を節目に、独りよがりのやもめブログについては卒業し、ひと月かふた月に1回程度の生存状況のご報告にとどめさせていただくことといたしましょう(更新が少ないと管理者のココログさんに叱られるかな)。

という次第でございますので、今後、瓏山の状況に関心を持たれる向きにおかれましては、半年に一回程度この陋屋にご来臨いただき、安否のほどを確かめていただければ有り難く存じます。

    頓首再拝

 小夜ふけて窓を鏡に「槍さび」を 舞えば写真の顔は綻ぶ

notes槍は錆びても名は錆びぬ 昔忘れぬ落とし差し
    笛は冴えても心は冴えぬ 秋の武蔵野露分けてnotes

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新型インフルエンザー2

インフルエンザ騒ぎ渦中の大阪で100名程度が集まった催しも、案ずるほどのこともなく無事済み、役割を終えて肩の荷が下りほっとするとともに、これで関西との最後のつながりもなくなり、やや寂しさも感じるというのは我ながら勝手なものでございます。

宴会場でのウエイターは流石にマスクなしでのサービスしたが、一流ホテルのロビーを行き来するスタッフのマスク姿には、衛生観念に劣る私と致しましては、やや違和感を感じましたね。

前夜、大阪の知人の話では、子供が熱を出して発熱相談センターに連絡したところ通常の風邪だろうということだったので、病院に連れて行ったら、熱があり咳があり発熱相談センターに連絡したというだけで診察を断られ、ぐったりした子供を抱えながら6軒目の病院でやっと診てもらえたとのことで、その病院には、同じような事情の人達が詰め掛け長蛇の列だったそうです。

こんなことでは、新型インフルエンザ対策にやっきになっている一方で、まさにそのお陰で緊急の病人が治療を受けられなくなるということが、今後また流行した際、大阪神戸に限らず、日本のどこでも平気で起こりそうですね(くわばら、くわばら)。

それにしても、あれだけ連日感染者数の推移などことこまかくこれでもかとばかり報道していたのに、ここ数日は、ニュースの最後に付けたし程度の取扱、マスコミの対応もいつもながらあっけらかんとしていますよね(マスコミさん曰く、「今回のインフルエンザシリーズはご好評裏に終了いたしました。次回からの北朝鮮シリーズにご期待ください」)。

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新型インフルエンザ

新型インフルエンザ、ここのところ毎日ニュースで大々的に報道され、そこらじゅう感染者だらけのような気にさせられます。
テレビで見る神戸などは、行きかう人々の殆どがマスク姿で、マスクをしていない人は衛生観念がないと看做されかねない状況ですよね(みんな防空頭巾を被っていたあの頃を思い出す)。

マスクの語源は一説によるとアラビア語の道化師からきているのだそうですが、そのうち、わが国も、一億総道化になるのでしょうか。
でも、女性に限って言えば、マスク姿も、瞳が際立って七難隠され、なかなか捨てがたいものではございますね。

それにしても丁度来週、大阪のホテルで、年に一回の老人の集会を予定しているところにこの騒ぎ、まったくもって「豚(とん)だところへ北村大膳」。今回のウイルス、老人は耐性があるということのようではありますが、なんとか無事開催でき、誰も病気に罹らなければよいのですが。

これまでのいささか徹底し過ぎかとも思える水際作戦などの対応は、今回のインフルエンザ対策というよりも、やがて全世界で発生必至とされるスペイン風邪なみの強毒性インフルエンザ発生に備えての政府機関の周到なる予行演習だったとすれば、先日の北朝鮮ミサイル騒ぎともあわせ納得できるような気もしないではありません。

ところで、今日のニューヨークタイムスをネットで見ていましたら、インフルエンザで死者まででている自国に関する報道は見当たらないのに、一面の下のほうに、「日本では神戸で感染者が拡大し、

  ’ hygiene-obsessed country、Japan’が大きなショックを受けている」という記事を見つけました。

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基地文化

ビッグバンドジャズを聴きに公民館の大ホールに出かけました。福生・横田交流クラブが主催、市と教育委員会が後援する米国空軍太平洋音楽隊によるジャズコンサートです。

混むのを想定して開場の6時前に着いたのですが、入場料無料ということもあるのか、早くも老若男女が長蛇の列をなしていました。

空軍音楽隊は、アンカレッジのエルメンドルフ基地、アジアの横田基地とハワイの3か所に拠点を持って太平洋地域全域で活動しており、今回初めての試みとして、エルメンドルフのユニット、’ザ・グレートランダーズ’が来日して横田の’ファイナルアプローチ’とのジョイントコンサートとなったものです。

音楽隊の前身は、グレンミラーが隊長をしていた陸軍音楽隊だそうですから、スィングジャズとは切り離せないですね。

軍服は着ていてもプロのジャズミュージシャンの演奏です。
きらめくブラス、木管のユニゾン、シング・シング・シングのジーン・クルーパを彷彿させる狂瀾怒濤のドラムソロ、聴衆を楽しませる演出の数々。地方都市の公民館がラスベガスの大劇場に。(こういうプロの技能集団を軍の組織の中に持っている米国の懐の深さを感じさせらるところでもあります)。

周囲は手拍子、時に掛け声、口笛を吹き鳴らし、演奏に溶け込んで楽しんでいます。これなども日本というより本場の聴衆の反応に近いように思われます。

われわれの世代も、連合軍(アメリカ軍)の占領によって、好むと好まざるとにかかわらず、水洗腰掛式便所の使い方をはじめ、かの国の生活様式、思考方式の影響を強く受け今日に至っておりますが、とりわけ当地においては、60余年に及ぶ米軍の日本における拠点基地との共存が、良くも悪くも市民生活のいろいろな側面に反映し、この地域に一種の「基地文化」のようなものを形成している様な気がします。

そう言えば、こちらでは、どこの店でも、パスタ、ラーメン、そばうどん、メインディッシュに至るまで、他の地域に比べかなり量が多く、食べ残しは良くないと躾けられている老人は平らげるのにいつも苦労するのですが。

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藤沢秀行名誉棋聖

藤沢秀行先生。囲碁界の泰斗、大奇人大変人、大酒呑み、競輪きちがい、一流の書家えとせとらえとせとら、まさに端倪すべからざる人物、世間一般の物差しでは測れない人でしたね。あのような人物の存在を包容した一つの時代がついに終わったんだという気もします。

アマ初段程度の分際で天下の藤沢秀行を気安く先生呼ばわり、僭越なのですが、先生の「プロもアマも碁を知らないということでは同じ」というお言葉に免じてお許しのほど。

それにしても精力絶倫、一世の快男児にあってさえ、老後は、かってのふくよかな顔が骨格を覆う皮だけになるというのは。

高尾紳路九段の追悼の言葉、http://blog.goo.ne.jp/s-takao-sanには胸を打たれます。

こうなれば、碁の真理を追究して勝負の結果には淡白(そうに見える)な高尾九段でも、さすがに今度の本因坊戦はなんとしても結果を出したいのではないでしょうか。

1ファンとしては、なりふり構わず髪を振り乱して勝ちにいく今までに見られなかった姿が見たいです。

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勝沼ワイン旅行

連休最後の日を狙って勝沼にワインを飲みに出かけました。6日の朝の中央高速、相模湖から小仏トンネルあたりにかけて車の大行列の上り車線を横目に、家から目的地まで1時間半足らずの快適なドライブです。

行先は勝沼町ぶどうの丘。20年ほど前、職場の仲間と甲府にドライブ旅行する途中立ち寄った記憶があります。山梨県産ワイン国内一の品揃えと、180種類のワインのテイスティングができるワインカーブを自慢にしております。

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取りあえず60本を目標にさっそく挑戦しましたが、30種類を過ぎたあたりで味が分からなくなり降参。口に含んで吐き出すのが勿体ない、えせテイスティングなのでいたしかたありません。

ワインカーブには皇太子ご夫妻が訪問された時の写真が大きく飾ってありました(かしこきあたりにおかせられても国産ワイン嗜まれるのでしょうか)。

目をつけたワインを昼食時に1本、夕食時にまた1本、葡萄畑の中、高台にあるレストランでは原価で出してくれるのが嬉しいですね。

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ワイン漬け、温泉漬けの幸せな2日間でしたが、あいにくの雨模様は残念でした。

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草薙の剣

草なぎ氏、起訴されずに済んだようですね。
かの優男、風貌からして20代の青年かと思っていましたが、
34歳とは立派な中年なんですね。
この頃は男の年も外見では分からなくなりました。

警察から釈放されたとたん、容疑者としての立場は変わらないのに、テレビ、ラジオ、新聞を問わず一斉に「草なぎ’容疑者’」から「草なぎ’さん’」に変わったのですが、もしその後起訴ということになったら、今度は、「草なぎ’被告人’」になったのでしょうかね。それとももっと格好いい他の呼び名を考えたかな(「草なぎ’メンバー’」とか)。

それはそれとして、酔って市中放歌高吟傍若無人、深夜の女子学生寮にストームをかけ、裸になって川に跳び込むぐらいは別に珍しいことでもなかったわれわれ焼け跡闇市戦後派の人間としては(われわれとひと括りにしたら怒られるかな)、不起訴になって、なにかほっとする感じではございます(昔は良かった)。

草なぎの「つるぎ」が難を招くとは御釈迦さまでもご存じあるめえ

(「何で日本武尊に御釈迦様が出てきはるの」)

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再び昭和記念公園

春風に誘われ、電車で4駅の昭和記念公園に出かけました。昭和天皇誕生日の今日は入場料ただなのです。

広い庭園なので、人混みとまではいかないまでもかなりの人出です。前回出かけた時は銀杏の葉が黄ばんで木枯らしがふいていましたが、今回は木々の緑の中に花が咲き乱れ春たけなわの様相です。花の名前はほとんど知らない私でも、そこここに咲いている花の美しさはわかります(写真をクリックすると拡大します)。

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シラン 花の名前です。しゃれではありません。

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航空自衛隊ブラスバンド。女性自衛官のパーカッションがクール。

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中神口から立川口に前回とは逆の経路。広い公園ですが方向感覚はつかめました。

昭和天皇ご遺徳のおかげで快晴、瓏山花の一日でございました。

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青天白日

手術で取り出した胆嚢の細胞検査の結果を聞きに昨日病院にでかけました。判決を待つ気持ちでなんとなく落ち着かない3週間でしたが、結果は良性とのこと、現金なもので、病院を出れば空の色も鮮やかに見えます。青天白日の身とはこのことでしょうか。

これもいろいろな人が陰ながら守ってくれているおかげと思えば、これから怠けずに心と体を鍛えていかなければなりませんな。

でも、とりあえずは祝杯です。歌の件とあわせ盆と正月が一緒に来た老人は、昼過ぎからいそいそと馴染みのトラットリアに出向き、まずはティオ・ペペを1杯、普段は高すぎて注文しないボルドーの赤を開け、いつになく上機嫌で女性のソムリエさんと話をし、食後のコニャックをいただき、酔歩蹣跚陋屋に帰宅、早々にベッドにもぐりこみ、安らかな眠りにつきました。

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平成万葉集

家内の葬式を出す日の朝、喪服をまといながらふと心に浮かんだある感慨がありました。
なんとなく口ずさんでいましたら、一首の和歌らしきものになりました。

その後、どういうわけか、これまで歌などに無縁だった私が、折にふれての心境を「歌のようなもの」に凝縮して託すことに興味を持つようになりました。

どうも、家内との別れがきっかけになって、私のような無粋な人間にも歌心のようなものが芽生えたのかも知れません。

夫婦というのは、親子と違って血のつながりは無いのに、親や子供以上に生きていく中での時間をながく共有する不思議な存在だから、片方の欠落がこのような感情を誘発するのでしょうか。

昨年の秋ごろでしたか、ネットで読売新聞を読んでいましたら、万葉集の最終歌が大伴家持によって詠まれてから1250年になるのを記念して編纂する「平成万葉集」への短歌が募集されていました。

選者には、錚々たる歌人に加え、私の憧れの的である檀ふみさんも入っています。
壇ふみさんのお目に留まるのであれば、試しにちょっと応募してみようかということで、ジャンル的には挽歌になる数首を選んで投稿し、そのまま忘れていましたら、今年の3月初旬になって、あなたの作品が3次の選考を経て最終選考の候補に残っているということで、応募内容の確認の文書が送られてきました。

さてこうなると採用されるかどうか大変気になります。3月が過ぎ、4月も下旬になるのに何の音沙汰もなく、やっぱり駄目だったか、もともと和歌の基本もやってないのだから無理だよな、と諦めていましたところ、今朝、ポストを覗きましたら、何と読売新聞社からの入選のお知らせ、結構気分が高揚しましたね。

なんであれ久しぶりの合格の知らせです。こういう知らせは、年取った庶民にとっては、位階勲等など抜きに嬉しいものでございますな。
うきうきhappy01(「まるで学校の入試に受かったみたいな喜び方やね」)。
でも、こんなことを言いそうな人間との別れがきっかけでこの結果を生じたと思えば複雑な心境にもなるのですが。

29日の昭和天皇誕生日に、採用の歌(千首なのですから自慢にはなりません)が読売新聞本誌とHPに発表される予定のようなので、読売新聞、近くのコンビニに買いに行こうかなと思っています(「ひょっとして読売巨人軍の読売、嫌いではなかったの」)。

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久しぶりの大阪

会合の打ち合わせがあり、ひさしぶりに大阪に出向きました。JR大阪駅は訪れるたびに変わっています。南側の阪急百貨店もようやく新装の姿を現しつつあり、北側はかっての梅田貨物ヤードの真ん中を大きく道路が走り、以前は眼をつぶっていても歩けた駅の中は迷路のようになって来るたびにうろうろさせられます。

半世紀の歳月は、南側の闇市と北側に大きく広がっていた汐留に続く日本2位の梅田貨物駅に囲まれていた駅周辺の情景を跡形もなく変えてしまいましたが、当時勤め人になって初めて配属された、駅西方の一角に建つかっての勤め先、昭和初期に建てられた4階建ての古ぼけたビルだけは、どういうものか、この間の激しい周囲の変貌のなかにあって、かろうじてその姿をとどめております。

このあたりが掘割をめぐらして船運の場でもあり、紙の集積地でもあった当時を知る人も少なくなりました。

我が家に帰りついて、ラジオ体操しましたら、手術後初めて、腕を振ったり反り返ったり飛び跳ねてもびくびくすることなく体を動かせるようになっていることに気がつきました。sunsunsun

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お気に入りの場所

春たけなわ 陋屋周辺のお気に入りの場所です。

市営球場

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公民館さくら会館

003 公衆便所を飾る桜

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忠霊塔

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雑木林の中の図書館

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小学校プールの花筏

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もの思わせる桜

大阪の前の住処のそばを流れる淀川の支流、大川は、毛馬から淀屋橋に至る両岸に桜並木が連なる桜の名所でして、開花を待ちかねて大阪城を望みながらの散策を家内と二人でよく楽しんだものでした。

新しい住まいの近く、多摩川堤防の桜並木もさすがに素晴らしく、散るのが惜しくて毎日散歩に出かけるのですが、そのたびにかっての大川での折につけての情景が思い出されます。

さまざまの事おもひだす桜かな   芭蕉

家内が最後の入院をした春病院の前庭に咲き誇っていた桜を思い出していた昨年の今頃、友人の宗匠に教えてもらった一句です。

桜の花がはなやかであればある程、見る人間の感傷もより深まるということなのでしょうか。

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誤探知

北朝鮮のミサイル発射騒ぎは、病院で手術後の無聊をかこつ身にとって恰好の出来事でございました。

一連の我が国の対応は、平和ぼけしている国民に対する、ある方面の思惑による一種の啓蒙活動なのかなと思っておりましたが、「誤探知」まで行ってしまうと却って逆効果だったのかも知れませんね。

水鳥の羽音におびえる富士川の平家。北の将軍様も思わぬ空騒ぎに手を叩いてお喜びになったのではありますまいか。

情報と兵站の軽視が先の大戦における日本軍の根本的欠陥とされておりますが、今回の情報伝達の経緯をみるとまだその戦訓は生かされていないようであります。

そもそも自らが間違っていたことを国民に連絡するのに、「誤探知」のような偉そうな専門用語を使うこと自体違和感を覚えます。電話などで「ごたんち」と言われてわかる人がいるでしょうか。「おたんちん」、「おたんこなす」ならともかく(「手術後のせいかずいぶんとご機嫌ななめのようやね」)。

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放免

腹腔鏡下胆嚢摘出手術、年を取っている割には順調に推移しまして今日のお昼頃、陋屋に生還しました。病院では手術の翌日から歩かされましたが、お腹に4つほど穴を開けられただけでも立ち居振る舞い結構大変なものですな。胸を張れず肩を落としてとぼとぼと歩き、芋虫のように蠢きながら一寸刻みに体を動かし何分もかかってベッドの上り下りをするなど我ながら滑稽な姿ではあります。

でも、一人の人間のために、何人ものお医者さんや看護婦さんがチームを組み、何時間もかかって手術をやり遂げてくださるということは、この世の中に於いて大変尊い行為なのだということは、今回自分がその立場に立たされて初めて痛感いたしました。

このような至れり尽くせりの手当など受けるべくもなく、大戦当時、消毒薬さえも不足するなかで、瘴癘の地の名ばかりの野戦病院で死の床に就いていた父親など何十万の将兵たちのことなど改めて思いながらも男らしくもなく(「性差別表現やね」)ひいひいぜえぜえ言いながら、手術後の体を何本もの管に繋がれ悶えておりました。

ポリープと見えたのは1cm大の石2個だったのですが、精密検査の結果が出るまで執行猶予を申し渡されております。

入院中、ずっと多摩川の桜が気になっておりました。今日あたりがピークなのではないかということで、昼前に帰ってすぐ、付き添いに来てくれた娘と連れ立って出かけましたが、いや想像していた以上の見事な桜並木です。

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桜のトンネルをくぐって、造り酒屋がやっている蕎麦屋に辿り着き、かめ口しぼりたてを1杯、また1杯、五臓六腑(五腑?)に沁み渡りますな。胆嚢無くても酒はどうやら大丈夫のようです。

百年に一度の不況知らぬげに桜は咲きぬ常のごとくに

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ついに御用

大阪に住んでいた頃、義理の弟のお医者さんから、胆嚢にポリープがあるのでこれがさらに大きくなるようだったら気をつけたほうがいいよと言われておりました。

先月ふと思いついて、住居に併設されているクリニックで2年ぶりに超音波検査をしてもらいましたら1センチを超えるポリープがあるということで当地の公立病院を紹介され、このひと月間、CTだの周りの循環器の検査だの受けておりましたが(この間の胃カメラもその一環)、ついに「御用だ!神妙にいたせ!」ということになりました。

「脂肪の塊の可能性もあるんじゃないですか、もう年なので無理にとらないでもうすこし成長を見守ってやってもいいんじゃないですか」などと逃げ回るのですが、「そうでない可能性もあるし、元気なうちに処置したほうがいいですよ、今なら切らずにお腹に穴を開けるだけで済むので簡単、1週間で退院できますよ」などと捕り手の包囲網は狭まります。

なにしろ物心ついてから初めての手術なんですから、腹に穴を開けるのが簡単だなどとはとても了見できません。夏の発表会を目指して折角覚えかけている踊りの所作も忘れるし、名取への道も遠ざかるじゃないですか。

まあしかし、これも家内が自分のような目に遭わないように計らってくれているのかも知れず、観念してお縄を頂戴、この4月1日、永年尽くしてくれた胆嚢にお別れすることになりました(エイプリルフールではありません)。

一応遺言を書き直し、まさかの時の尊厳死依頼文書を近くにいる長女に託し、葬式の時の格好良い遺影の写真を選んでパソコンに保存し、飲みだめ、旨い物の食いだめをし、目下文字通り腹を括って入院に備えております(「腹腔鏡手術ぐらいでほんまに大袈裟な人やね」)。

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日米交流合同音楽会

防衛省と在日米軍は、各地で、地元との交流を様々な形で行っていますが、この日曜、北関東防衛局(防衛局というのもあちこちにあるのですね)が主催し、米軍横田基地と福生市が協賛する「日米交流合同音楽会」が開催されるというので覗きに行きました。

福生第一中学、福生高校、基地内にある横田ハイスクールのブラスバンド、地元の福生吹奏楽団、それに米国空軍太平洋音楽隊ーパシフィック・トレンズのジョイントコンサートです。

入場は無料ですが、満席ということはないだろうとたかをくくって、歩いて5分のところにある公民館に出かけましたら、なんと1100席の会場がほぼ埋まる盛況でした。米軍関係者も多いようでしたが、音楽には縁遠いような(失礼)おじさんおばさんもつめかけていたのには、ちょっと驚きました(当地の文化水準は高いのでは)。

女子が多い福生中学、高校のバンドは、ともに関東のコンクールで銀賞をとっているとかで結構レベルが高く、特にクラリネットのソロは良かったですね。テクニック、高音低音の音色の豊かさもさることながら、高校の制服のきゃしゃな女の子が、大聴衆を前に大人の吹奏楽団を従え、難しいフレーズをひとり臆することなく演奏する舞台度胸がすごい。

尺八にせよ踊りにせよ、舞台に上がると何かしらへまをやらかす72歳の男とは雲泥の差ですな。

米国空軍音楽隊というのは、軍人とはいえ、厳しいオーディションで選抜されたプロ級のミュージシャン達で編成されているのだそうですが、今回出演したパシフィック・トレンズは、ボーカルの男女二人、キーボード、ギター、ドラムスの7人編成で、ポップス、ロック、カントリーなど幅広いレパートリーを持っており60分に渡って披露してくれた演奏は流石に迫力がありました。

なかでも、ブラスをバックにプレスリーやポールアンカのロックンロールメドレーは、半世紀前の思い出がよみがえる感じで久しぶりに血が騒ぎましたね。日本のどこであってもおいそれと聞けるものではないのではないでしょうか。これがここ福生で、しかもただで聞けるなんて。

こういう本場ものを外国に駐留する自国の兵士にいつでも提供できる米軍の一面を見た気がします。

このようなイベントにときどき巡り合えるのも基地の街に住む余禄でしょうか(憲法9条墨守、基地無条件撤廃派のかたがたには、何を脳天気なことを言っておるかと叱られるかな)。

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多摩河原

桜の開花予報が聞かれるようになって、多摩川堤防の桜が気になりだし、様子を見に出かけました。以前、自転車で走った道を今回はウオーキングです。玉川上水取水口までほぼ1時間余り。快晴ながら風は冷たく、流石に蕾はまだ固いようでした。しかし上水沿いに続く桜並木、開花すれば壮観でしょうね。腰を落ち着けて一杯傾けながらの花見に適当な場所をいくつかロケハンしました。月末と言われる開花が待ち遠しいです。

大阪の住まいとこちらでは、どちらも川辺に近いところは共通しておりますが、多摩川もこの辺まで遡ると、まわりに田園風景なども開けてきて、鄙びた雰囲気も捨てがたいものがあります。

かろやかに雲雀はあがる見はるかす多摩の河原に風は光りて

取水堰から羽村に出、またまた青梅を経由して沢井に。車内は、吉野梅郷に向かう中高年の女性客で満員です。日向和田あたりの車窓から対岸の山あいに煙霞のたなびくごとく咲き誇る梅林が望めます。こちらは花より団子、渓流沿いの澤の井酒造庭園で、陽光の下、おでんと湯豆腐で澤の井大辛口です。

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胃カメラ

わたくし瓏山、自慢ではありませんが、「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるはこれ孝の始めなり」の教えを拳拳服膺し、この年に至るまで体にメスを入れられた経験がございません(「単に意気地がないというだけのことではないの」)。

これまでもお医者の義弟から、バリウム検査など時代遅れだと、胃カメラを何度も勧められたのですが、注射でもできれば避けたいのに、あのような無機物の管が体の中を這いまわることを想像すること自体おぞましく、丁重に辞退してまいりました。

逃げ回っていたのですが、このたびわけあってついに御用となり、地元の病院で内視鏡検査を受ける破目になりました。病院から渡された予約表には、検査にあたって、唾を飲み込むなとか、げっぷをするなとか、喉を狭くするなとか細かい注意書きがありましたが、そんなことを言われたって、出物腫れもの止まるわけないじゃないですか。看護婦さんは、そんな大袈裟なものではないですよ、みんな平気でやってますよ、と老人の不安を落ち着かせてくれるのですが、喉への麻酔薬の塗布、注射などのたびに落ち着かなくなってきます。

悶えながらなんとか終了しましたが、とても平気だったとは言えません。ほとんどの人は眼を開けてスクリーンに映し出される自分の胃の状況を見ているそうですが、私の場合とてもそんな気になりませんでした。肉体的苦痛にとことん弱く、普段偉そうなことを言っていても、拷問を受ければすぐ改宗、転向するたぐいの人間であることがよくわかりました。

持病のせいで年に数回は食道に静脈瘤が出来、その都度行われる内視鏡による処置・手術を、特段へこたれる様子もなく、愚痴も言わず受けていた家内など、私に比べれば結構偉い奴だったのでしょうかね。「人の痛みをわがことのように思う」などと言いますが、そのようなことを口で言ってそんな気になっていたとしても、実は普通の人間にはとてもできないことなのだということを改めて思い知らされたような気もします(「たかが胃カメラぐらいのことであなたも大げさやね」)。

ところで瓏山一世一代の胃カメラ検査の結果は、’青年のような胃’異常なしでしたwinebottlerestaurantこれで死ぬまでOKです。

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お水取り

今日から東大寺では修二会本行のはじまりですね。奈良に住んでいたころの住まいは、二月堂のある丘から奈良街道を隔てた小山の中腹にあり、毎晩、堂の階を駆け上り楼上で振り回される松明の動きを2階からよく望むことができました。

松明の火の粉を浴びると健康に恵まれるということで、満行の夜、焼け焦げてもいいように着古しのコートを着こんで、堂の真下の竹矢来の中で善男善女とともに寒さに震え足踏みをしながらお松明があがるのを待っていたことなど思い出します。

厳しい寒さの中でのお水取りが終われば関西では春、冬を耐えてきたかっての陋屋の周囲の桜の蕾もふくらんでくる頃でしょうか。

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奥多摩行きー2

翌日も快晴、奥多摩線、バス、ケーブルカーを乗り継いで、武蔵御岳神社を目指します。ケーブルカーの終点からしばらくは平坦な山道が続きますが、その後は、宿坊や御師集落などの間を縫う急峻な登り、やっと鳥居まで来たかと思えば、ここからさらに永遠に続くかと思える急勾配の石段、私、普通階段は2段づつ上がることにしているのですが、最後には2段どころかまっすぐに上がることさえできず、はあはあ言いながら斜めに足を持ち上げて、やっと社殿の下まで辿り着いた始末、当日は5月中旬の気温だったようでもあり、冬の山上なのに汗だくになりました。

まあ、前の日の昼と夜にそこそこしっかり戴き、朝は朝で朝風呂のあと、ビールに酒を飲んで参拝するという不心得を武蔵御岳さまに戒められたのかもしれません。

それでもよれよれになりながら社殿に額ずいた心懸けを嘉し給い、「武運長久、家内安全、商売繁盛」の祈願、ありがたくお聞き届けいただいたものと思い込んでおります。

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参拝後は日の出山を経て日向和田を目指そうかと思っておりましたが、意気地なく計画変更、元の道を下りました。

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樹齢千年と言われる神代けやき

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御師集落

下界も暑かったです。青梅線に乗り継いで、馴染みの「福生のビール小屋」に直行、ピルスナーと茹でピーナツで今回の旅の打ち上げです。

こうしてみると我ながら酒の話ばかりのようですな。それにしても世間的に知名度の高い方が、満天下に酒の上での醜態を晒すと、われわれ一般の由緒正しい「酒飲み」の品性までもが疑われることになるのは誠に困ったものでございます。家内がいれば、この事態に臨んで自分の亭主に対し、一言なかったはずはありません(「あなたもあちこちで醜態を見せているのではないでしょうね。「日本一」最低の酔いどれ男にはならないようにしてよね。」)

ご訓戒かたじけない。ただ私の場合、どのような場で酔っ払っていたにせよ、なんら社会的影響はないのですが(口惜しいね)。

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奥多摩行き

暖冬快晴の一日、たまには温泉にでも漬かって老骨を休めようと思い立ち(「いつも休んでいるくせに」)、近場の奥多摩に出かけました。青梅から奥多摩線に乗り換えて、なにはともあれ沢井に途中下車、澤の井酒造豆らくさんで豆腐料理と澤の井大辛口。
山間の里に梅がちらほら、まわりは夫婦連れと女性客でいっぱい。

奥多摩の流れに孤影落としつつ 沢井の里で干す梅見酒

微醺を帯びて渓谷に沿って遊歩道を御岳に向かい川合玉堂美術館へ。

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美術館の庭

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さらに上流の川井に向かいます。遊歩道は青梅市と奥多摩町との境で終わり、あとは国道をてくてく。

006国道沿いの旧家

宿は、川井の水香園、客室はすべて離れでして、客層からしましても、これは独り者の来るところではなかったようです。湯屋には、渓谷沿いの庭園の急こう配を下って通います。泉質はつるつるで浴室は気をつけないと滑りやすいです。このところ世に物議をかもしている、さる偉いお方のような派手な酔い方をいたしますと、離れの縁側から庭に降りるときガラス障子を突き破って転がり落ちるか、途中で植え込みに倒れこむか、温泉に辿りついても、滑ってひっくり返る危険がありますので、呑み助にはやや不向きな温泉ではあります(「それにしても、あなたのような独り者ののんべえ、よく旅館が泊めてくれたものやね」)。

山懐深い宿で、せせらぎの音を聞きながら湯船につかるのは久しぶりに最高の気分でございました。

梅が香に誘われひとり奥多摩路 湯船に揺らぐみたけの月影

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サッカー日豪戦

昨日のW杯予選のサッカー、結果は引き分けで残念でしたが、ゲームとしては緊張感があって面白かったですね。これからも楽しみです。

試合前の国歌、だいたい人気歌手が登場してアメリカナイズのアレンジで歌うのにはいつも違和感を感じさせられておりましたが、今回は地元小学生のアカペラ斉唱、これこそ本来の雅楽源流の君が代、実に良かった。ほのぼのとした気持ちになりました。企画した人に喝采。

国際試合の場合、両チームの選手が子供たちとペアでピッチに登場しますが、これからは国歌もこのスタイルでいってほしいです(「ところで君が代、私がいなくてもちゃんと起立して斉唱しているのかな」)。

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確定申告の季節

税務署から確定申告の用紙が送られてきて、昨年とそれ以前とでは生活形態が切り替わっていたことに初めて気付かされました。

まずは、医療費控除の計算のため、ここ10年来続けてきた病院や薬局の領収書の束との格闘が無くなったことです。いまさらながら結構大変な作業だったなと思う反面、長年の恒例行事であっただけに、その原因であった人間が居なくなったということを改めて思い知らされて複雑な気持ちです。

昨年初頭から仕事を整理したため、自身の収入申告の必要がほとんどなくなったこともあります。

一昨年足の骨を折った母親も昨年は大した事故もなく無事過ごしました。

今回は税金の還付も無いなあなどと寂しく思う私、考えてみれば支出のほんの一部を救済してもらっていただけのことであるのに浅はかなものでございます。

それにつけても、健康であるということは国家の医療財政にも寄与しているということですよね。定額給付金にかわり健康長寿報奨金というのはどうでしょうか。

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節分

明日は立春、寒い中であっても春という言葉が聞かれるのはなにかほっとした気がしますな。今日の節分、鬼であろうが福であろうが独り身の人間にはもともと興味を持たないのではないかと思いながら、一応狭い玄関を開けて我が家永年恒例の豆撒きに一人声を張り上げました。

豆を齧りビールを飲みながらNHKのニュースを聞いていましたら、’せつぶんかい’と言う耳慣れない言葉、なんのことかい、ひょっとして節分会のことでしょうか。思わず豆を吐き出しそうになりました。天下のNHK、総理をことあげする資格あるのかな。

目下我が国、経済危機などと言われておりますが、それ以前に未曾有の文化危機にあるようでございます。

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大相撲初場所

朝青龍の優勝、あれだけ世間のほとんどを敵に回してなおかつ結果を出すという根性、気力、執念には同じ男として脱帽ですね。引退を予想した評論家は脱帽どころか皆頭を剃らなければならないのでは。

横綱としての品格を云々されておりますが、少なくとも君が代をきちんと唱和していたという一点において大いに評価されるべきではないでしょうか。

モンゴル出身の横綱が、左胸に手をあてて異国の国歌を斉唱する一方、日本人観客は促されて立ち上がっても腕組み無言、
モンゴル出身の横綱同士が眦を決して決戦する一方で、日本人大関は辛うじての勝ち越し。

そのうち両国国技館も、モンゴル、ブルガリア両国国技館になるのでは。

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パッチワークキルト

今週、東京ドームでは、恒例の東京国際キルトフェスティバルが開催されています。家内の生涯の趣味の主要なひとつがキルトでして、元気なころは、毎年お友達と連れ立って、東京に宿をとり、観に行っていたものでした。

亡くなった当時、大きな段ボールの箱にして20箱程度の作品のための端切れがありました。東京、札幌、大阪と転居するなかでせっせと集めていたものだったのでしょう。汗をかきながら娘どもと整理して、家内の母校のバザーに提供させていただいたのでしたが、それぞれ無事所を得ているでしょうか。

とんとそちらには興味のない私ですが、おかげで印象に残る出来事もありました。

十年ほど前になりますか、東大とカリフォルニアのサンノゼ州立大学が共催する地震シンポジュームに参加した時、サンフランシスコ往きの飛行機で、サンタバーバラに住む写真家で沖縄が大好きというお婆さんと隣り合わせになりました。いまでもクリスマスカードのやりとりをしているのですが、その時いろいろ話をしているうちに、家内に頼まれたのでSFでキルト関係の本が多い書店を教えてくれないかと言うと、’あのようにもともと美しいものをわざわざハサミで切り刻むようなことはするべきでない’とかなり強い口調で言われ、アメリカ本家の手芸なのに、こういう考えの人もいるんだなと思ったことを思い出します。

そんなことがあったこともあって、シンポジューム後のアメリカの研究者たちとのパーティでキルトを話題にしたのですが、どうも話が通じません。’ほら、あなたがたがこうやって作るあのキルトのことなんですが’と言いましたら、

’オー、パッチワーク・クイルトウ!’。

確かに綴りからすれば当然クイルトですよね。それに単なるクイルトとパッチワーククイルトでは意味が違うようです。

それにしても、飛行機の老女性にはキルトで通じたのは何故なのだろうか。

ウッディ・アレン 俺のことかと ウリイアラン

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阪神大震災

阪神大震災から14年、まことに月日のたつのは早いものです。
当時は出張でロサンゼルスに滞在していました。

現地17日、朝刊を見ると日本の神戸で大地震発生、死者数十名と報じており、見覚えのある三宮生田神社の社殿が潰れている写真が掲載されていました(日本の略図に示された震源地が北海道の釧路あたりだったのには、天下のロサンゼルスタイムスにしてこの程度のものかと失望させられましたが)。

社殿があのような状態でよく人的被害がその程度ですんだものだと思ったものでしたが、神戸市がほとんど壊滅し、亡くなったかたがたも数千人に及ぶということを知ったのは、急遽帰国してからのことでした。

神戸で育っただけに、親族をはじめ大変な目に遭われた友人知人も多く、いまでも他人事と思えない気持ちです。

14年を経て、表面上は、殆どあの大災害の痕跡を残さないほど復興した神戸ですが、訪ねるといまでもそこここに歳月では癒しきれない深い憂いと悲しみが秘められていて、眼には見えないまでも、いまだにそれが街中を覆っているように感じられてなりません。

かっての、日本を代表する港町らしいハイカラでおきゃんな街の顔が戻ってくるのにはあと何年かかるのでしょうか。

いま、世の中不況で大変だと喧しいのですが、何の前触れもなく六千を超える人命が失われたあの災害に比べれば、なにほどのことがあろうかと思う14年目の今日でございます。

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松の内

今年の正月も一応明日でお飾りが取れるということになりますが、私のお正月、元旦は、輪島塗のぐい呑みに日本酒でお屠蘇を祝い、佐藤の切り餅を焼いて永谷園の即席松茸風お吸い物でお雑煮、7日は、スーパーで買った七草粥、酒だけは、久保田万寿、〆張鶴、陳年30年紹興酒、円高のベトナムDFSで仕入れたシャトーマルゴー、バランタイン30年などまさに一年に一回の贅沢。

去年は、京都八坂さんにお参りしたのですが、今年は2日に墓参りに行ったほかは、踊りの初稽古を除き、天気が良いというのにほとんど陋屋にこもりきりで酒を飲みながら本ばかり読んでおりました。

中で、三浦朱門(82歳)の「わが老い伴侶の老い」、私小説風の文庫本なのですが、自分と周囲の老いていく状況、それに対する姿勢が練達の筆致で淡々と表現されております。

特にご自分と曽野綾子の親御さんの老化、介護に関するくだりは、我が身に引き比べいろいろと感じさせられるものがありました。今年も自分の健康に気をつけつつ母親の老いに付き合っていきたいと思います。

ともあれ、仕事を離れると正月がいつまでも続くようでメリハリがなくなりますな。明日あたりからは、日常の生活習慣を確立しなくては。

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西麻布界隈

新年の墓参りに出かけましたら、墓地下の「龍土軒」の入口に板が打ちつけられていました。店を閉めてしまったのかとびっくりしたのですが、聞けば、都市再開発でビルが建てられ、そこで営業を再開することになるようでとりあえずは安心です。

仏蘭西料理の龍土軒は、明治33年創業で、戦災で焼失する前は、乃木希典邸近くの麻布新龍土町にあり、柳田国男、国木田独歩、島崎藤村たちが龍土会を作っていたり、乃木大将をはじめ近くにあった近衛連隊の将校たちが出入りし、二二六事件当時は、首謀者達の密会の場所となったことでも知られております。

今は、創業者の血をひく四代目のシェフがやっているのですが、ずっと墓の世話をしていただいている花屋さんのすぐお隣でなにかあれば使わせてもらっておりましただけに、またひとつ墓地下から見慣れた景色がなくなってしまうのは残念です。

幼稚園児の頃から顔なじみの花屋さんも私が出入りしだしてからでも三代目です。以前は、参道沿いの平屋の広い土間の壁に、お守りをしている家々の家紋が入った手桶と柄杓がずらりとかけ並べられており、客はそれぞれその手桶を提げてお墓にお参りしたものですが、ここも三〇年ほど前に三階建ての近代的なビルに建て替わるとともに、桶もただのプラスチックになりました。
お墓の水差しもいつからか以前の竹筒からビニール管のものに変わっております。

この60年ほどで、青山墓地下や西麻布の風景も随分変わったものですが、参道の桜並木と静かに眠る霊園の墓石群は、昔の風格を保ちながら変わらぬたたずまいで眼下の変貌を見つめつつ鎮まっております。

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元旦

新しい年を迎えました。快晴の朝です。快晴の年になるでしょうか。

かって西独の首相、アデナウアーは、「金が無くとも失うものはあまりない。希望を無くすと多くを失う。プライドを無くすと全てを失う」と言ったようですが、今年も人間としての誇りだけは失わず生きていきたいと思います(襤褸は着てても心は錦)。

陋屋から望む元旦の富士

Photo

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年の暮れ

丹沢山塊の彼方に陽は落ちて、いろいろなことがあった今年も暮れようとしております。
今度の正月は一人になって2回目ですが、お許しを得て、去年を契機に以降どちら様にも年頭のご挨拶を失礼させていただくことにいたしております。
もし、生きているかどうか気になられた折には、その時だけブログを覗いてみてくださいませ(「ほんとにいくつになっても身勝手な人やね」)。

それでも瓏山来年は年男、新しい年を迎えるにあたっての抱負(または願望)以下のとおり

○新しい踊りを最低3つ覚える

○袴を手早く綺麗に畳めるようになる

○尺八本曲を最低10曲暗譜で吹けるようになる

○週にせめて1回は掃除する

○テレビに向かってやたら怒鳴らない

○酔って寝てしまう前に忘れず歯を磨く

○アルコールは1日あたり、ビール1本、酒3合程度に留め、節制に努める

○囲碁を一子強くなる

○昭和公園の草テニス大会に挑戦する

○スペインのバスクかガリシア地方、またはアンダルシアに1か月ほど出かける

牛の涎のごとき歩みながら、せめてこのうち前半分くらいは達成いたしたく。

のたうちまわってついに大晦日 夢かうつつか時は過ぎゆく  瓏山

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バイオリンと尺八

このところ贔屓にしているイタリア料理屋のクリスマスディナーコンサートに出かけました。世の中100年に一度の不景気だというのに、店内は盛装した家族連れで満員です。
バイオリンの山内達也さん、ピアノの犬飼新之介さん、桐朋学園出身のまだ20代の若いアーティスト達でしたが、フラスカティ1本開ける間、結構楽しませてくれました。

尺八とバイオリンのコラボレーションは私にとって初めてでしたが、バイオリンの繊細さと尺八の野性味が不思議な共鳴を醸し出して面白かったです。

お琴とバイオリンの合奏は、「春の海」の宮城道雄とルネ・シュメイが有名ですが、吹奏楽器と擦弦楽器では音の流れが同質なので無理かと思っていただけに新しい発見でした。

孫のバイオリンが上達して私瓏山めのレベルまでなんとか到達することができた暁には(かなり難しいだろうけどね、エヘン)、一度二人で童謡など試してみたいものですが(「彼が上達する前にあなたの腕のほうが落ちてくるから大丈夫よ」)。

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国立昭和記念公園

昨日は雲ひとつない快晴、立川の昭和記念公園を3時間ばかり歩きました。
国営だけあってとてつもない広さです。子どもの遊び場の広場だけで東京ドーム2つ分あるんだそうです。

昭和天皇在位50年記念事業の一環として設立されて25年ということで大きな樹林も点在、
葉を落とした木々の間を小鳥たちが飛び交っています。
冬は野鳥観察には絶好のシーズンなんだと、草木、鳥が好きだった家内が言っていたのを思い出します。

立川側から公園への入り口を入ったところに、昭和天皇記念館があります。
館内に、といっても1部屋だけなのですが、昭和天皇87年の生涯に関する展示がされています。

折々に詠まれた歌も時系列で掲げられておりますが、体調を崩されて沖縄訪問が叶わなかった時の一首からは、特に、人としての当時の天皇の思いが伝わってきて感慨をおぼえました。

それにしても、3年前訪れた台北中正記念堂では、広大な館内の部屋毎に所狭しと蒋介石の遺品や資料が展示され、正面の吹き抜けのロビーにある蒋中正の大きな銅像を兵士が24時間立番捧げ銃で警衛していたのに比べれば
(今の政権下ではどうなっているかな、中正空港の名称も変わったことだし)、
なんとも控え目かつささやかなものではあります。

館内では、ちょうど、金婚式を迎えられてインタビューを受ける陛下の肉声が流れており、
懐かしく聞かせていただいたのですが、いがぐり頭の小学生で終戦の詔勅を聞いた我々の世代にとっては、やはり昭和天皇は、その行動、姿勢態度を通じて、国の象徴として敬愛する存在であったのだなと改めて思うのです。

世に類例のない万世一系の日本皇室が、我々の次の世代、その次の世代からも常に尊敬され愛される存在であり続けていただきたいものでございます(「たまにはえらい大層なことも言わはるのやね」)。

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将棋竜王戦

昨日は竜王戦の最終第7局の二日目、果たして息詰まる展開になりましたね。母親のところのクリスマスパーティに参加する関係で、4時からの衛星放送が見れず、10時過ぎに帰宅してネットで読売新聞のコラムを見て、渡辺竜王が未曾有の3連敗からの4連勝で5期連続防衛を果たしたことを知りました。

このシリーズ、将棋ファンの誰でもが感動する死闘の連続だったように思えます。

佐藤棋王が、実力、運、執念、気力のすべてが極限までぶつかり合う最高の試合だと言っていましたが、ど素人の私からしても、両者天性の勝負勘、勝負の駆け引きが垣間見えたような気がして、まことに面白かったです。

渡辺竜王が、出だしの3連敗での思い切りの悪さ、諦めの早さを、4局目から鮮やかに切り替えて、臆することなく堂々と戦った姿が印象的でした。なにしろ勝率抜群の羽生名人の矢倉を後手で2連破したのですものね(「いっぱしの評論家気取りよね」)。

惚れ惚れする弱冠24歳の男ぶりですな。第1局敗戦後のパーティでサインしてもらった「大望」の二文字、実現に向かいつつあるようですね。この色紙、家宝にしなければ。

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弓道大会

指の疼きもようやくおさまったことでもあり、弓道高段者の友人が出場する多摩地区のシニアクラスの大会を観戦に出かけました。

広大な昭和記念公園と青梅線を隔てて設置されている昭和公園は、昭島市の総合体育センターになっており、弓道場はその一角にあります。女性を含め60人ほどの選手が参加。

柔剣道の大会は、実業団を含め結構観戦しましたが、弓道は初めてです。武道であっても、勇ましい掛声などは一切なく、試合場は、選手が的を射抜いたときに拍手が起こるほかは静寂そのものです。立ち居振る舞いも方式に従い優雅なのには日本武道の原点を見る思いで感銘を受けました。

友人の話によると、弓道でも、道具、特に矢羽根などの調達は、材料の問題、職人の不足で困難になりつつあるようです。邦楽器も同様の問題を抱えていますが、日本文化の伝承、文武とも課題が多いようですね。

それにしても、黄金色の銀杏並木の公園、初冬の印象。次の機会には、近くにいながらまだ行っていない昭和国営公園を1日かけて歩いてみたいものです。

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やってしもうた

ついにやりました、といってもマイナスのほうです。鮭の切り身を焼きながら、大根おろしを作ろうということで、ビール片手に鼻歌交じりで大根の皮をピーラーで削っていましたら、勢いあまって持っている左手の中指の先をピール、大根は真赤です。

人参ジュースを作るのに林檎を剥いているときとか、玉ねぎを刻んでいるときとか、不器用な人間のことですから、いつかこの手のことはやるだろうと思ってはいましたが、いざやってしまうとショックです。

また、こんな時に限って、いつもその辺にある、メンソラとかバンドエイドが見当たらないのですよね。まあ、それほどの深傷でなくて良かったのではありますが。

中指の先といえども結構不便を強いられています。キーボードで一本でも指先が使えないと困りますよね。尺八も指先に力が入れられないので駄目。皿洗いも中指を立てて洗うわけにはいかないので往生しております。

指先1センチほどの傷がこれほど生活に影響するとは。

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再び青梅

今年の年末は、去年までのような仕事などを通じたお付き合いもなくなったので寂しくなるだろうなあ、その分、母親のもとにせっせと通うかと思っておりましたら、こちらの友人知人たちがあちこちから声をかけてくれ結構カレンダーが埋まってきまして、寒い中なんとなくほのぼのとした気持ちです。これで失語症の危機も当面かわせそうでございます。

せっかくのお酒のお付き合いで粗相があってはいけませんので、このところの旅行三昧で鈍った体を鍛えるべく、快晴の昨日、青梅から前回より足を延ばして(といっても1駅分ですが)日向和田まで初冬のハイキングコースを歩きました。

山あいから、富士が鮮明に顔を出し、途中振り返ると木立の開けた間から遠く新宿の高層ビル群が望めます。日曜でしたが、コースに人はそれほど多くなく、枯葉を踏みしめて歩きながら時折行きかう人達と挨拶を交わすのも、教会堂のそれとはまた異なった趣きがあります。

青梅の駅から山に入り、歩きづめで日向(「ひなた」と読むのですね)和田駅まで、私の足でほぼ2時間弱の行程でしたが、下りの30分は木の根を伝いながらのかなりの急坂で、これは今後杖が要りそうです。

結構このコース気に入りましたので、次回は、杖を手にいれ、おむすびを腰につけて、軍畑、御嶽あたりまで挑戦しようかと思っております。(「靴の償却もしなければならないしね」)。

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コミュニケーションの能力

人前でスピーチなどさせていただきながら、自分の表現力の乏しさにもどかしさを感じるのはいつものことなのですが、このところ特にその度合いが増してきたように思われます。話しながら、いつしか同じようなことを繰り返して言っていたりする自分に気がつくのです。

今回旅に出て、自国の言葉だけでなく、異国でのコミュニケーションの能力も格段に落ちていることに改めて気付かされました。

話すほうもさることながら、ブロークンな英語とはいえ、相手の言っていることがなかなか聞き取れないのです。今度のベトナムだけ特殊というわけでもないでしょう。ボディランゲージも含めシチュエーションに応じ相手の気持ちを忖度するという力というかエネルギーが低下してきているということなのだと思います。楽しみにしていた街の人たちとのコミュニケーションがほとんどできなかったのはショックでした。

お役所や旅行社の情報で、現地ではひったくりなどの被害が増えているということで、今回は、カメラも尺八も持っていかなかったこともいまとなっては残念です(言葉の代わりに音曲でということなのですが、ただ、あのバイクの氾濫と騒音のなかではこれも通じたかどうか)。

この交信能力の低下、転居前は大阪でほそぼそとSOHOでの仕事をするなかで、依頼主との打ち合わせ、同業者間の会合などを通じて、いろいろな話をする場があったのに対し、現在はそのような機会がほとんど無くなってしまったことが影響しているのかとこれまで思っていたのですが、さらに基本的な要因があることに、今回の旅で気がつきました。

旅から帰ってきて交わされる「ただいま」、「お帰り」というやりとり、それに続く会話が、私の場合ないということなのですよね。たとえそれがいやみや皮肉の応酬であったとしてもそれなりに頭のリフレッシュにはなるのでございます。家庭における日常会話の存在こそが、人間、特に老人の会話能力の維持におおきく寄与しているのではありますまいか。

その機会が与えられない独居老人においては、社会で暮らしていく能力、生命力が低下し、ひいては余命が減少するのは当然のことなのでしょう(心理学者みたい)。

かかるがゆえに、瓏山、せめて旅先でコミュニケーション能力を磨くべく、今後とも老骨に鞭打って外国へ旅しなければならないのでございます。

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帰国

帰国便が機材到着遅れで1時間以上遅れ、昨日朝8時に快晴の成田に到着、高速バスで9時出発、途中極めて順調、立川経由で11時半無事帰りつきました。

深夜便なので、旅慣れた人間を気取るのであれば、食事をパスして寝てしまうところですが、そこは飲み食いに意地汚い性格、乗ってすぐの夜食、朝食ともシャンパン、シャルドネ、ソーヴィニヨンとともにしっかり頂戴しましたので、飛行時間6時間ほどの間ほとんど眠る時間がなく、帰って風呂に入り、3時から今朝の7時までぐっすり寝ました。

いつもながら旅は新しい発見があって、スリルもあり楽しくもあったけれど、家に帰ってやれやれという気分になったということは、ここ東京郊外の住処がどうやらやっと本来の住処になり、生活習慣もそれなりに定着してきたということなのでしょうか。

家内との大阪での生活も時空を隔たり次第に遥かなものになりつつあります。

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今日もまた晴れー2

今日はチョロン地区を歩きました。中華街です。暑さとバイクの埃と特有のにおいには参りました。中国系の生活力はどこに行ってもすごいと感じさせられます。

サイゴン市内では、トラックは小型を含めほとんど見かけません。消費地なのですね。バイクの大群は水族館の鰯の群れのようです。市民は一日中バイクに乗ってただひたすら市内を走り回っているのではないかとさえ思ってしまいます。

これから足つぼマッサージで疲れをほぐし、懸案のフランス料理を平らげ、タンソニェット空港深夜発のANAで帰国です。バイクの波のなか、広い道路を平然と渡りきる技術をようやく身につけたところではあるのですが。

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今日もまた晴れ

結構暑いです。日陰を拾って歩きます。公園では、パタクローが盛んです。ボールのかわりに羽子板の羽根に似たようなのを蹴りあっているグループもたくさんいます。足を背中のほうに回して蹴り上げるなど技術を競っています。

どうでもいいことですが犬が居ません。もっともこのバイクの洪水のなかでは、犬が居たところでおちおちうろうろしてはいられないでしょうがね。それにしても公園でも街中でもこれまで一匹も見かけないのは不思議です。

私の”流暢”な英語が通じないのも不可解です。ベトナム戦争時代、ここサイゴンには、GIがわんさかいたはずなのに。まあ、戦後30年以上もたてば、当時生まれた子供はすでに大人だし、戦争の影響もかなり薄れてきているということでもありましょう。地名表示や標識がベトナム語だけなのも不便です。立ち止まって地図など見ていると、必ず、バイクタクシーやシクロの運ちゃんが近づいてきて、かなり煩わしいことになります。彼らの呼びかけだけは日本語です。

開高健や近藤紘一の光と闇の世界には、夕暮れのホテルサイゴンのバーでもめぐり合うことはできませんでした。

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今日も晴れ

昨日は市内中心地を歩き回りました。公共交通機関はバスだけだし、タクシーに乗るのは億劫なので足に頼るほかありません。

サイゴン港に遊覧船に乗りに行ったら出たばかり、どうするかとうろうろしていましたら、ぎょろ目の男が近づいてきまして、一時間20$でどうかと言います。これまでもうるさく寄ってくるシクロ、バイクタクシーの運ちゃんを掻い潜りはねつけてきたのですが、川面を遊覧する誘惑に勝てず、若干の値段の交渉の後OKしますと、やってきたのは船頭一人のエンジン付のサンパンです。

乗客は私一人、やや躊躇しながら乗り込みましたが、いざ船が動き出しましますと、ひょっとするとこのままどこかに連れて行かれるか、サイゴン川の真ん中で脅迫されて身ぐるみ剥がされるかもしれないとちょっと不安に駆られましたね。幸い神のご加護があって、ちゃんと一時間、サイゴン港、対岸の農村風景を満喫しました。

最近引ったくりが多いと聞いていますので、街を歩いていても、周囲に目を配るなどやや緊張気味です。植民地だっただけに広い道路に、顔にマスクかタオルを巻いたバイク(二人乗りが多い)の洪水、横断歩道の標識はあっても信号はほとんどなく、右左、いやこちらは右側通行なので左右(この順番を間違えると危ない)を見ながら素早く走り抜けなければなりません。

それやこれやで結構疲れ、フレンチは先に延ばして、ホテルの広東料理を食べて一応満足の一日が終了です。

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ホーチミンシティは晴れ

先週ひとり酒を飲んでぶらぶらしておりましたら、天井の片隅から声、”ここのところまた、世の中を斜めに見る例の癖がでてきたようね。外に出てすこしリフレッシュしてきたら”というご忠告、ごもっともということで、昨晩、成田からANAで深夜のホーチミンシティ(旧サイゴン)に到着、ニューワールドホテルサイゴンにチェックインしました。

時差が2時間ありますので、ベッドにもぐりこんだのが、日本時間の3時、今朝のサイゴンは一応晴れで、気温は24度、まずまずです。

ホテルの前は大きな木立に包まれた公園で、体操、ジョギングする人々、朝からディスコミュージックをかけて踊っている若者の集団もいます。取り巻く道路はバイクの洪水、聞きしに勝る騒音です。

今回は、ホーチミンシティだけですが、東南アジアで、ベトナムは来たことがなかったので街歩きが楽しみ、今日は、サイゴン川周辺を探検して、うまい(しかも円高ですぞ)フランス料理を食いたいと思っております。

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憎まれ口瓏山

最近よくわからないことふたつみつ

○クリスマスを控え、旅行代理店の店頭には「二人で行きたい○○」というパンフレットばかり。 世の中に、旅をしたりレストランで食事をするのは二人連れだけなのか。

○インフルエンザの予防にワクチン接種をと大がかりに国民を啓蒙しますが、 いざ接種を受けようとすると、医院では、 接種に伴う危険を了承する文書に署名させられる。
 なら初めから呼びかけないでよね。

○「犯人は右利き」と鬼の首でも取ったかのように何回も報道。
 だいたいほとんどの人はもともと右利きではないのでしょうか。なんでそれがニュースになるの。右足で刺したというのならわかるけど。

○東京のほとんどのスーパーには我が愛飲のサントリーモルツがない。 かっての社長の熊襲発言の影響未だに?

○電車のなかで化粧するのはどういうわけか決まって’ぶす’なのはなぜなのだろう?

そう言えば最近、ぶすが増えた。

○ちゃんちゃんこを着せられた犬、動きにくいし暑いだろうし大変迷惑そうに見えるのですが。 そのうち毛皮のコートを着た犬も?   昔の犬は幸せだった。

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初冬の京都

秋になるとなぜか京都を取り上げたテレビ番組が増えますね。
大阪に住んでいたころは何の気なしに見ていたのですが、離れてすぐに行けない状況になると、そういえば今頃あのあたりの紅葉はどうだろうか、あの料理屋さんの風情はいつもどおりかななどと急に懐かしく思えてくるのは不思議です。

おりとりてはらりとおもきすすきかな  飯田蛇笏

俳人である友人のブログで巡り合ったのですが、こんなたおやかな句もあるのですね。
かな文字ばかりの「り」の3連発からくる透明感、俳句の世界の奥深さを感じさせられます。

で初冬の京都のからかぜに俗人瓏山。

祇園町はらりとかろき袂かな

舞妓さんの、それとも瓏山袂の空財布?
蛇笏先生、信幸宗匠ごめんなさい。

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快晴の青梅

久しぶりの抜けるような青空に誘われて外を歩き回りたい気分になり青梅に出かけました。ここは、JRで奥多摩方面へ向かう途中何度も通過しているだけだったので、一度降りてみたいと思っていたのです。

青梅の街はレトロな雰囲気が売り物で、街道沿いに博物館や赤塚不二夫会館などがあり、あちこちに昔ながらの映画の看板が掛けられています(写真をクリックすると拡大しますー余計なお世話かな)。

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赤塚不二夫のオブジェ

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住吉神社

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鍛冶屋さん、珍しい

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街道沿いの家屋

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宮の平に向かうハイキングコースは結構ハードです。途中山越えに富士山を映したつもりだったのですが。

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秋晴れの中、街歩きと丘陵ハイキングを満喫した一日でした。先週新宿の東急ハンズに出かけてミズノのウオーキングシューズ、大枚はたいて購入しただけのことはありました。

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総理と言葉

小学校時代「国語」が一番好きでして、結構先生、同級生にも実力を認められ、大いに得意になっていたものでした。
3年生のあるとき、なにかで欠席した次の授業で復習の朗読を指名され、えたりやおうと立ち上がってどなたかの随筆の一節を朗々と読み上げたまではよかったのですが、最後の「云々」を「ごんごん」と読んだ途端、クラスは大爆笑、哄笑の渦、
一方何で笑われたのか一向に判らなくてきょとんとしていた自分の姿、
いまでも脳裏に残っており、何かの拍子にひょっと顔を出すのです。
この読み方、私が欠席した授業の重点だったので、日ごろから小生意気な坊主の見事な失敗に皆溜飲を下げたわけでした。

現総理が常日頃「踏襲」を「ふしゅう」と読むのを毎日新聞に指摘され話題になっておりますが、誠に思い込みというのは厄介なものでございます。言葉に限らず、一度脳裏に刷り込まれてしまったものが誤りであるということを自分で気付くのは難しいものですよね。
と言って周囲が上位の人の誤りを指摘するというのがこれまたさらに難しいものだということは勤め人を経験した人間なら誰でもわかっていることでもあります。初歩的な間違いであればあるほど、忠告することによって逆に自尊心を傷つけ、感情を逆なでする恐れがありますからね。

ただ、言葉の専門家であるアナウンサーでも「道草を’食べる’」などと平気でいう時代ですから(多分「食う」というようながさつな表現は放送では使ってはいけないと教育されているのでしょう)、言葉に関する限り、首相の思い込みの一つや二つは、ことさらに目くじらを立てるほどのものではないのかも知れません。

大事なのは国の舵取りという大仕事なのですから(間違いは言葉だけにしていただき、政策の間違いのほうは踏襲することのないよう、なんとかよろしくお願いいたします)。

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たわいのないブログも一周年

ふと思いついてログを繰ってみましたら、このブログ昨年の昨日始めたのですね。いろいろなことがありましたが、月日のたつのは早いものです。

たどたどしい足跡を読み返してみると、やはり公開して人様にお見せするようなものではなかったなと思います。ただ日記と違い、同じ文章を書くにしても、ひょっとしてどこのどなたが見ておられるかわからないという、ある種それなりの緊張感がありまして、プロが文章を構成する際の苦労の100万分の一程度の疑似体験ができたことが、私にとってのささやかな収穫であったともいえましょう。

ブログを通してこの一年の自分を見ていると、亡くなった人間を時にふれ思い出すことにもそれなりに気持の折り合いがつけれるようになってきたようにも思われます。

そろそろこのブログも賞味期限切れかも(「もともと賞味できないものに期限などつけるのはおこがましいのではないの」)。

そこまでおっしゃるならば、瓏山、いますこし続けてみますかね。

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大和証券杯優勝パーティー

昨日はいいことがありました。
将棋の大和証券杯の優勝祝賀会に出かけ、優勝者の渡辺明竜王にサインをもらい、
ツーショットの写真も首尾よく手に入れたのです(にこにこ)。

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当方、将棋は殆どやらないのですが、試合の展開がドラマチックなので見るのだけは好きでして、日曜の教育TVで午前は将棋、午後は囲碁の番組をほぼ欠かさず見ています。

16歳でプロになり、20歳で名人と並ぶ棋界最高位の竜王となった渡辺明先生は、なんといっても華があり、注目する棋士のひとりです。
彼のブログ( http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/ )はその世界では有名ですが、自分の負けた試合の翌日であっても更新を欠かさず、悪びれずに敗戦の詳細な解説をするなど、若い人には珍しい素直さと律儀さ、また器量の大きさが感じられ、常々好感を持っておりました(氏素性を明らかにしてのブログですから、いろいろご苦労が多いのではないかとも思います)。

このパーティもそのブログで知り、早速申し込んで300人の招待客の一人になれたのです。

会場は渋谷のセルリアンタワー、ご無沙汰している間に渋谷にも立派な建物が建っているのですね。田舎者はうろうろしてしまいます。

目下、羽生名人を挑戦者に迎えて竜王戦を闘っている最中の竜王、近くで見るとやはり覇者である人間の持つ圧倒的な精気を感じました。

会場には、TVでおなじみの棋士、女流棋士などの顔が見えます。

前もってホテルのショップでカーフのサイン帳を仕入れた71歳の老人、メインテーブルで談笑する人垣を縫って24歳の竜王に近づき深々と一礼、サインを申し込みます。、
気軽に応じてもらえましたが、好青年流石に貫禄がありましたね。こうなると年齢は何の意味も持ちません。

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常により大きな望みを持ち続ける気構えだと勝手に理解しました。

極上のものに接した思いですっかり良い気分になり、白、赤のワイン、ローストビーフ、フォアグラなど大和証券さんに十分御馳走になり満足の一夜でございました。

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紅葉の橋

市主催の文化教室でのお仲間との舞踊の発表会が終わりました。
場所は地方都市独特のゴージャスな文化会館、文化の日の記念行事の一環です。

ちょっとお化粧するからと言われ、ドーランを塗る程度なら経験もあるわいと軽く考えていたのですが、お化粧のひとに任せているうちに、どんどん、顔、首筋、手首におしろいが塗られ、口紅がひかれ、目元に隈が描かれ、見る見るうちにピエロのようになりました(ハロウィーンは終わってるだろう!)。
今度は着付けのひとが来て、着物を着せかけ一文字に帯を締めてくれます(はてこれは女の結び方ではなかったか)。こちらは立っているだけ。周りは他の出しものに出る女性軍の化粧、着付けで戦場です。目のやり場がありません。師匠は、誰も気にしていないですよというのですが、これは当方が男として認められていないということなのでしょうか。日本舞踊の楽屋はこの年になってのカルチャーショックでした。

邦楽のほうで舞台馴れしていたつもりだったのですが、生まれて初めてのおしろい姿でまったく落ち着かない気分です。見に来ている孫がどんな顔をするかと思うと冷や汗ものです。爺さんの権威に関わりますからね。

緞帳が上がってはじまりです。久しぶりの広い舞台、演じるジャンルは違っても気持ちいいものではあります。演技のほうはといいますと、心得た人が一人でもいると違うのですが、初心者だけが息を合わせて踊るというのは実は至難の技なのでございますね。
踊っているうちに、家内のいつものくすくす笑いがどこからともなく聞こえてくるようで妙な気持になりました。

「紅葉の橋」というこの踊り、扇の扱い方初心者には結構難しいのですが、まずは曲がりなりにも踊り終えて祝着至極。7月から練習してきた同志(全部女性、年齢不詳)と肩を組んで喜び合いました。
小さな挑戦ひとまず成功、今後国立劇場、歌舞伎座目指して頑張ります。

しのび笑い聞くは空音か初化粧形見の扇かざし舞う我

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死者の日

11月2日はカトリックでは死者の日となっており、信徒はミサに与り、墓に詣でたりします。
信徒である丑年の長女に曳かれて四谷のイグナチオ教会に参りました。
大聖堂は参列者で立錐の余地もありません。
多くの人が一堂に集まって心を一つに祈りを捧げるのには、えせ信徒といたしましても、いつもながらすがすがしい思いをさせられます。

ただ、口語形式での信徒参加の祭文に、何か今一つ馴染めないものを感じてしまうのは、一時代前のミサを知る者の郷愁に過ぎないのでしょうか。

「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 西行法師

なにか分からないまでも荘重なラテン語の祭文の流れる中で、自分の心にひとり沈潜して静かに祈りを捧げるようなミサもあって良いのではないかと思うのですが。

帰ってから明日に迫った踊りの発表会のおさらいです。
振りは武骨ながら一応覚えたのですが、問題は間の取り方です。
間が抜けないよう頑張らねば。

はるかなる秩父の山に日は落ちて 窓を鏡に舞う男ひとり

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切れる

最近の報道で「切れる」という表現が多いのですがこの表現、報道する側にとって便利ですよね.
質問に対し、相手が当然の反論をしているケースであっても、この言葉を使うことによって、正義を代弁して質問する側は常に冷静であるのに、うさんくさい相手は弱点を突かれて感情的になっているという印象を巧まずして一般の人々に与えることができますからね。

この「切れる」という表現は本来の日本語の使い方ではないし、使うにしても、感情の抑制がきかずに暴言を吐くとか人を傷つけるとかの反社会的行動を称していうもので、語気を強める程度の一般のやり取りの表現に使われるべきものではないでしょう。

自分の気に入らない反論に対して、安易に「切れる」という表現を繰り返し使うのは、マスコミの傲慢であると同時に語彙の貧弱さを示すものではないでしょうか
(声あり、「しょっちゅう切れてはあたりかまわず暴言を吐く生来の癖、古希を過ぎてそろそろ治りましたかね?」)。

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元気な大阪

来月の会合の打ち合わせがあり、6月末に引っ越して以来初めて大阪に出向きました。
ここのところの不景気のなかで、大阪の地盤沈下さらに進んでいるのではないかと思っていたのですが、結構、建設工事用のクレーンが目につくのですよね。

大阪駅北ヤードの開発も活発に行われております。
かっては東京の汐留に次ぐ存在であった巨大な梅田貨物駅の面影もいまは殆ど失われ、
近い将来には、現在の汐留シオサイトと同じ風景になることでしょう。
この貨物ヤードが職場であった人間の一人としては、時代の流れに一抹の寂しさを感じる現象でもあります。

永年の懸案であった京阪電鉄中之島新線が開業して、都心の田舎であった大阪国際会議場へのアクセスが便利になり、行政と市民団体が進める水の都計画も大川、道頓堀川周辺で具体化しつつあるなどやっとすこし活気が出てきたような気もします。

橋本知事の元気がありすぎる言動があちこちで波紋を呼んでおりますが、ここのところの底知れぬ関西の低迷を抜け出せるような感触を与えてくれているのも事実ではないでしょうか。

離れていても大阪が元気になってくれそうなのは嬉しいことでございます。

それにしても今回の阪神タイガース、あの体たらくは!

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着物と踊り

毎週踊りのお稽古に通うので、かなり手早くいくつかの方法で帯を締めれるようになりました(勤め人になった頃、ウインザーノットでネクタイを締めれるようになって得意になっていたことを思い出す)。
こうなると着物を着て颯爽と出歩く機会を増やそうという意欲が出てくるのですが、もう単衣というわけにはいかず、襦袢など身につける物も増えてくるのでそうそう気軽にもいきません。

押入れの片隅にあって、これまで見向きもしなかった衣装箱に父親のものらしい着物、襦袢、羽織、袴などがあるのを、今になって興味深くひっくり返しているのですが、どれをどのような状況で着たらいいのかわからないというのも困ったものです(つれあいに教えてもらっておけばよかった)。

それにしても踊りというのは、女性の纏う着物の美しさを極限にまで表現するためにあるという見方もできますよね(その意味では肉体の美しさをこれも極限まで主張するバレーとは対極にあるのでしょう)。

過日、お師匠さんの一門のおさらい会を見に行って特にその感を強くしたのですが、
上手な踊りは、衣裳の特徴をひとつひとつの動作によって最大限に引き出しているのだろうと思います(男踊りの場合もある意味そうではなかろうか)。
この辺は、踊りの巧拙などわからぬ素人の目の付け所かもしれません。

それにしても、いよいよ迫る発表会を前に、「とってんしゃん」と、お三味線の節が耳について離れないこの頃の瓏山でございます。

舞扇妻の遺せしかざしつつひとさし舞わん初の舞台を

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運動会の子供たち

過日、孫が通っている小学校の運動会にいそいそと出かけました。なんと敬老席というのが市長などが座る来賓席の隣に設けられていまして、座ると担当の先生が、ちゃんとお茶托にのったお茶を勧めてくださいます。これだから老人はやめられません。

子供は、自由気ままに遊んでいるのも無邪気で可愛いものですが、こういった場で、規律を守り統制のとれた子供達の動作を見ていると、「健気」、「可憐」という言葉が浮かんできます。ところどころ子供らしく綻びつつもきびきびとした集団行動に彼らの限りない可能性を見る思いで、”年老いた心”も高揚しますね。

老人になると、次世代(次々世代か)がしっかりしてほしいという遺伝子の思いがより強まるということなのでしょうか。

前夜からの小雨が降り続き肌寒い天候でしたが、子どもたちは気にする様子もなく元気いっぱい、それに渙発されたか昼前後には快晴となりました。

心身ともに晴れ晴れとした一日でした(声あり、「ところで私たちの孫、駆けっこ何等賞だったの?」)。

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基地の街ーその2

1960年から15年続いたベトナム戦争当時、この街は米軍兵士の住宅が基地を取り巻き、兵士を対象とした、商店、飲食店、バーなどが密集しておりました。

当時の盛況見る影もないこの頃ですが、散歩している町のあちこちに、そのころの面影が残されていることに気がつきます。

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典型的な米軍宿舎、廃屋になっています。

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これらは、改修されて住民が住んでいます。

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芝生が刈り込まれたフロントヤード付き住宅も残っています。

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商店街に残るレストラン

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基地の街

日曜日、米軍基地と東京環状道路を隔てて並ぶアメリカンスタイルの店々は、若者で賑わいます。

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どっと繰り出したクラシックカー行列

バンドは、ハワイアンあり、ウエスタンあり、ジャズあり

011 009 014 007 016 017 019 店はハロウィーンの飾り付け

裾の下からジーンズがのぞくシスターは一応十字架のペンダント

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いもたま

北海道の秋の収穫(出来秋)第一陣はジャガイモと玉ねぎ(いもたま)です。
毎年この時節になると某所からブランドものの玉ねぎを大量に頂戴するので、このところ玉ねぎのレシピには詳しくなりました。

といっても、独身の男としては、手間がかからず、ゴミの出ないものに限られます。
このところのお気に入りは、玉ねぎ、チーズのおかか掛け。

玉ねぎ一個を細かく刻み(くし型とかいろいろ刻み方があるようですが、かまわずとにかく切り刻む)、そこにとろけるチーズをたっぷり振りかけ、電子レンジに4,5分ほり込み(ラップをかけてはいけないー念のため)、出来上がったら、鰹節をどっさりふり掛けて食するのですが、これがマキシムやトゥールダルジャンのグランシェフも裸足で逃げ出すというすぐれものなのです。

時間も包丁を握ってから口に入るまで10分とかかりません。

気分によってオリーブ油を加えたり、出来上がりに黒コショウを振りかけたりします。
オイルサーディンなど付け合わせるのもいい。

天気の良い朝、洗濯し、掃除して、ちょっと本など読み、昼になったら、ベランダに干したシャツやパンツの間から顔を出す富士山を望みながら、これを肴にビールというのはまさに男の贅沢というものでございます。

最近、さすがに食品や調味料の原産地表示を確かめるようになりました。
しかし末端まで残存農薬などのすべてを確かめるのは到底無理だということに気がつきました。

私としては、余命10年程度とすれば、その程度で許容できる範囲でなら、多少の毒性あるものでも別にかまわないと思いますが(だいたい普通飲んでる薬などある意味では毒の塊ではないのか)、但しその分普通のものより価格が安くなければ(消費期限切れといってそれこそ毒性もないのに山ほど廃棄されているものがもったいないと思うのは乞食根性なのだろうか)。

世の中にそれなりの仕組みができれば、無駄に廃棄される物も減り、環境面にも寄与すると思うのですが。

当然、私ども老人と違い、幼児、子供やこれから子供を産む大人が食うものは、これは最大限の注意が必要なのは言うまでもありません(特に若い女性は、老人のようにインスタント食品や外食に頼るのでなく、お化粧する暇があるのなら、次世代のためにも、自分で食べるものぐらいは自分で作ってほしい)。

ただ、食物の安全はもちろん必要なのですが、空気や水の安全、人生が嫌になったという奴に思いがけず殺されるということのない安全も同時に必要なのですよね。

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灼熱のラテン

過日、中米4カ国(グアテマラ、パナマ、コスタリカ、ホンジュラス)の音楽祭(Viva! Centro America)に出向きました。

久しぶりの中野サンプラザのホールは国際色豊か、2000人近く入る盛況です。
マリンバの超絶技巧、ガリフナ太鼓の響き、カリビアンスタイルの強烈なビート、熱帯雨林にひびくようなフォルクローレ、舞台を舞い踊るサルサ。

さらに印象的だったのは、果てしなく続くかのようなアンコール、3、40分は続いたでしょうか。
4ヶ国のスタイルの違うアーティストたちがステージ上、一緒になって演奏し、歌い、踊り、
観衆は総立ちで手を振り腰を振り掛け声をかけて熱狂(およばずながら瓏山もおくれじと立ち上がってせめてもの手拍子です)。

サービスというよりも、ラテンの血が限りなく騒ぐという感じである種の感動を受けましたし、
ラテンの音楽は、本来演奏と踊りが一体となっているのだということもよくわかりました
(邦楽の「静」とは対極にありますよね)。

終了後、昔よく出入りしていたカラオケ酒場に立ち寄り,久しぶりに女主人相手に駄法螺を吹いて、酔歩蹣跚、夜半過ぎに帰宅しました。

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精神梗塞

このところ、どうも会合に出るのがますます億劫になっている自分に気がつきます。狭いお付き合いの中に安住していて、日ごろあまりお目にかかっていない方たちの中に出たくないのです。

そのような場で、近況をいちいち説明するのが面倒だし(不遜)、慰めの言葉を掛けていただくのは有難いのではあるけれど、心の片隅にあまり構ってほしくないという気持ちがちょっと顔を出し(何たる不遜)、相手の気遣いに素直に有難うと言えない偏屈な自分を自覚させられてしまう、そのことが嫌ということでもあります。

ひょっとしたら、ひとり者の老人の死亡率が高いのはこのような「精神梗塞」のせいかも知れませんね。精神梗塞で脳梗塞にならぬよう、当面は、同世代のみめうるわしい女性のみなさんとの舞踊のお稽古に励まなければ。

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訃報

人生の大半を過ごした職場での上司、先輩、同僚、後輩とは、
良くも悪くも、公私にわたる濃密な時間を共有しております。

そのような一人である敬愛する先輩の訃報に接しました。
初秋の一日、生病老死は人の宿命であることを今更ながらに感じさせられます。

数年前奥さまを亡くされ一人暮らしの身でしたが、去年私が同じ境遇に陥った時も、男同士の言葉で力づけていただいたものでした。

ご一緒した嬉しい酒、悲しい酒、どうでもいい酒、舞い上がる酒、奈落に落ちる酒、さまざまな場面が改めて思い出されます。

勤め人生活に有終の美を飾られた人なので、さだめし葬儀は盛大でしょう。
ご薫陶をいただきながら期待に応えられなかった人間としては、数々のご本人との思いを胸に、ひっそりとお通夜に出席したいと思います。

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どうしてかな

最近の世相についてマスコミの報道賑やかなこの頃ですが、なにかもうひとつよくわからないよなと思うことも多いのです。

一国を代表する首相を、マスコミがよってたかって貶める傾向があるように見えるのですが、天に唾をするようであまりお行儀が良いとは思えません。世の中に偉いといわれるあの人なんかでも、所詮我々と同程度のだらしない人なのよねということなのでしょうが、いざその人の前に一対一で出ると途端にへいこらするという、これもわびしい我々の「さが」なのでしょうか。

首相選出の朝の「皆様のNHK」,地上放送もBSもアメリカ大リーグ実況放送。

今、大臣の重責を担うのは容易なことではないと思うのですが、皆さん就任を通知されて、小学生がご褒美をもらった時のよう、あまりにも自分の感情に素直すぎ。一人ぐらい眦を決する人がいてもよかったのに。

街角のインタビューで生活の苦しさを訴える方々、結構身なりがいいんですよね。
ほんとに苦しい人たちは、勤務先、病院、老人ホーム、自宅の病床で悪戦苦闘、昼間商店街などぶらついてはいられませんよね。

生活者からの政治に対する怒りの声を特集する番組の間に出る広告は、デラックスな衣食住関係。次の番組は、グルメの旅、行ってみたい温泉宿。われわれはこれらの番組を楽しむ一方で、もっともらしく政治家の棚卸をしております。

凶悪犯罪事件の捜査状況、同じ警察発表を何度も繰り返し報道する意味はあるのだろうか。犯人に情報を与え喜ばすだけではないのでしょうか。

(「世を拗ねた老人の繰り言、かわいくないわね」)。

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羽村取水堰

昨晩は、長いヨーロッパ勤務から帰国した友人と仲間内で久闊を叙するということで、久しぶりに人形町に出撃。単衣を着るのもそろそろ終わりでしょうか。駅の階段を下駄で上り下りするのは結構難しいものです。

ネットで目を付けていたグレイの足袋を仕入れました。

今日お彼岸は久しぶりの「秋天涼快」、自転車で5キロ先の羽村取水堰へ。多摩川堤防沿いの道路は、サイクリング族、ジョギン4 グ族で賑やかです。

玉川兄弟の碑

この堰から玉川上水に水が取り入れられているのですが、江戸初期,開削に功績のあった農民兄弟に、玉川の姓が与えられ、上水にその名が付けられたということは、初めて知りました。

1 取水堰

2

村山貯水池にも供給されています

3 ここから始まる玉川の流れ

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滝山城

さわやかな気候となったので、かねて行ってみようと思っていた滝山城址に自転車で出かけました。
茅屋から5分ほどで多摩川を渡りさらに秋川を渡っていくと,黄金色の稲田が風にそよぐ彼方に滝山城址がある丘陵が見えてきます。

滝山城は戦国時代中期、多摩川と秋川の合流点を望む要害に北条方が築いたもので、山城としては日本有数の城郭とされています。

1569年、小田原攻撃に向かう途中、拝島に着陣した武田信玄の猛攻を受け、二の丸まで攻め落とされながらも耐え抜いたという城だけあって、頂上まで険しく細い山道です。
息を切らせながら自転車を担ぎあげるようにして本丸跡までたどり着きましたが、それでもさして汗をかかなかったのは、やはり秋が近いということなのでしょうか。

一帯は東京都が管理する公園になっているのですが、登り口に特段の標識があるわけでもなく、中の丸跡に簡単な説明板があり、本丸跡の300坪ほどの空き地の片隅にぽつんと小さなお社があります。空堀や土塁の跡を見ながら、どんな形の城だったのか想像の羽が広がります。

こうやってみるとこの近辺もなにかと歴史のあるところのようです。
多摩川沿いには広々とした公園も整備され、堰堤に沿ってどこまでも続く古木の桜並木が見事で、いまから春が待たれます(「また花見酒ですかね」)。

帰りは、「多満自慢」の石川酒造さん構内にある蕎麦屋兼レストラン「福生のビール小屋」に立ち寄り、塩ゆでピーナッツでベールエール。
向かいには大きな酒樽を挟んで、秋篠宮植樹記念碑となぜか郵便ポスト。
ひげの宮様を郵便ポストと同列に脇侍にするとは酒樽も豪儀ですね。

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琴棋書画

テレビ番組で、有名な政治家の皆さんがフリップに自分の見解を書いて示すのを最近よく見るのですが、常々思うのは、失礼ながら、そのフリップの「字」が、おしなべていかにも美しくないというか、がさつというか、率直に言って下手だということです。ああいう字を見せられると内容までがいい加減に見えてしまいます。
サインペンで書いているにしても、もうすこし何とかならないものでしょうか。

下手であるのはともかくとしても、大の大人が小学生のような字を堂々と人目に晒して、恥ずかしいという感覚が無いように思えるのは、「字」というものを単なる情報交換の道具と考えているからなのでしょう。

しかし、古来、書は人格を表すとも言われ、我が国において、琴棋書画の一つとして、一人前の大人が持つべき教養であり、伝統文化でもありました。
終戦直後、紙がなくて教科書も使い回ししていた時でも、小学校では習字の授業があり、
墨をすり、当時貴重なざら紙の上に何回も筆で重ね書きして練習させられたものです
(習字という言葉も今は死語に近いようですが)。

須らく、一国の総理や大臣になるほどのトップエリートにおいては、王羲之とまではいかないまでも、そこそこの水準の字を書いてその教養を天下に示してほしいと思うのは、老人のアナクロニズムなのでしょうか(「そういうあなたの字と教養はどうなのかなあ」)。

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天気

昨晩も大雨、稲光。9月に入っても天候不安定な日々が続いています。
住んでみてだんだん分かってきたのは、東京都ではあっても、当地の気候風土は東京都心のそれとは違うということです。

関東平野の中心部から西に、埼玉県と神奈川県に挟まれながら細長く延びる東京は、
西の端でその嘴を秩父山脈の南側に差し入れて終わっています。

嘴の根元にあたるこの辺では、平野の端ではあっても、もはや山の天候なのですね。
そのせいか真夏でも朝夕は結構さわやかな空気が山並みを渡ってきます。
都心のようなヒートアイランド現象はないのですが、天候の急変にはいつも気をつけねばなりません。

天気予報も、東京のではなく、埼玉、山梨のをむしろ参考にしたほうが良いようです。

そういう意味では、これらの情報、予報も、固定的な行政区分に捉われることなく、
山とか川とかの自然の地勢に即し、メッシュを細かくしてやってくれるのが望まれますよね
(「災害も行政区分単位に起きてはくれないものね」)。

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夏の夜の愚考(その2)

昨8月24日は、昭和20年敗戦の日を過ぎてビルマとタイの国境近くの野戦病院で死去した父親の命日でした。どのようにして息をひきとったのかなどは定かではありませんが、異国の山野に斃れたまま打ち棄てられた幾万の方々に比べればまだ恵まれていたほうだったのではないかと思います。
インパール作戦による戦死、戦病死、餓死者7万2千人のうちの1人だった父親を持つ私にとって、毎年8月15日の終戦記念日から24日までのこの期間は、
私なりに「国家と戦争」について考えさせられる日々となっております。

戦没者の日の天皇陛下のお言葉にはいつもながら胸をうたれます。
これとうらはらに歴代総理大臣の式辞は、いたずらに「平和」という言葉ばかりが繰り返される空虚なものに感じられてならないのは、我が国が一度として、国の尊厳と独自性をもって、
かの戦争の総括をしていないからだと思います。

国家の存立をかけ、幾多の国民が生命を賭して戦った戦争のすべての側面について、独立国としての評価、検討が未だになされていないということは驚くべきことであり、
これがないばかりに、領土、教科書、靖国など国の存立にかかわる重大な問題に関し、周辺の国々に侮られる結果を生じています。

闘って亡くなった勇士たちを代弁すれば、彼らは、彼らが生まれ育ち、妻子が暮らす日本が
他国からいやしめを受けず存続するため、国家として、民族としての誇りを保つために
貴重な命を賭けたのであって、
誤解を怖れずにあえて言えば、「平和」とか「不戦」のために戦ったのでは無いのだと思います。

そしてその自己犠牲があって、今の我々があります。私は、父親たちが意味のない戦争を戦い無駄に命を落としたとは思いません。

反戦平和をあながち否定するものではありませんが、まずはかっての大戦の日本独自の総括をきちんと行い、反省すべきは反省し、評価すべきは評価したうえで、自国民および世界に対してそれを明らかにし
兵士として、国に命を捧げた230万の父親たち、青年たちが希求した、誇りある国家、民族の存続を目指すことが、戦没者に報いる道であり、子孫に課せられた使命ではなかろうかと思うのです
(「珍しく真面目やね、24日は私の命日でもあるけれど」)。

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日米友好祭

住処の隣の米軍基地では、5時の国旗降納時、ラッパに続いて流されるのは、まず「君が代」、次に「The Star-Spangled Banner」なのです。

「ホストネーション」に対する気配りなのでしょうが、米軍基地の隣に住んだおかげで初めて毎日自国の国歌が聞けるというのは不思議な気がします。

この基地が年に1回開催する日米友好祭が、今年は、この23,24日に開催されました。
折角近くに居ることでもあるし、ちょっと覗いてみようかと孫を連れて出かけたのですが、
どうして大変な人出、年20万人を超す参加者があるようで、生憎の雨模様だったのですが、若い人、迷彩服を着込んだ人、子供づれを中心に、広い敷地内は人で埋まっておりました。

基地沿いの沿道には店々がハンバーガー、ホットドッグ、アイスクリームなどアメリカ風の屋台を出して賑やかです。
最寄りのエスカレーターも無いホーム一つの田舎駅には臨時の切符売場に長蛇の列、
駅から基地のゲートまでは人の波です。

11月の入間基地の航空祭も例年大変な人出のようですが、
我々の中に潜在的に飛行機のような非日常のものに対するあこがれのようなものがあるのかもしれませんね。

久しぶりに草鞋のようなステーキを喰い、滑走路の彼方に上がる花火を鑑賞した一日でした010

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夏の夜の愚考

ある大学の紀要をぱらぱらとめくっていましたら「配偶者との死別研究に関する性差の視座ー男性にとっての配偶者との死別体験とは何かー」という論考を見つけました。
小林信一さんという博士課程の人の論文なのですが、わが身に引き比べ大変興味深かったですね(ところでこの人はまだ独身なのだろうか)。

配偶者の死後の生存年数が女性に比べ、男性のほうが格段に短いことはよく知られています。
なぜかという分析がいろいろされているのですが、なかでさもありなんと思ったのは、
男の場合、人生設計に妻の存在が織り込み済みなのに対し(いなくなられると人生設計がすべて狂う)、
女の場合は、夫の存在をそれほどは前提にしていないこと、
自分に対するソーシャルサポートに関し、女性はふだんから周囲との付き合いなどを通じ開拓しているのに対し、
男は加齢とともに、逆に、より妻に頼る傾向にあることなどの指摘です。

確かにわが身に引き比べても、老後の人生につれあいの存在を当然のこととしておりました。
それだけに配偶者がいなくなると、単に新しく家事その他の負担が増えるということだけでなく、妻が引き受けてくれていた周囲との調和、ソーシャルサポートの開拓などにも取り組まねばならないのですが、実は年取った男にとってこれが一大事業なのです(スーパーで買い物かごを提げて歩くのを人に見られるのは体裁が悪いなどという奴もまだまだいるのです)。

女性のほうは、ある意味連れ合いがいるいないに関係なく生きていた側面があるわけで、
亭主が死んだからと言って新たな仕事が増えるわけでもなく、
逆に、むしろ束縛、負担が減少して、より自由になる側面があるとも言えますよね。

子供が成人し、老年期に入ったた夫婦に限って極めて乱暴な言い方をすれば、配偶者の死は、夫にとっては負担増、妻にとっては負担減ということになるということでもありましょうか。

配偶者との死別につきまとういま一つは、亡くなってしまった相手に対する自責の念です。
あのときあのような対応をするべきでなかった、ああしてやればよかったという思いが時に沸き起こってくると懊悩しますね。

一般的に言って、これまでの生活の中で家庭の維持等について配偶者に負担をかけて来たという思いは男のほうが特に強いのではないでしょうか(究極のところ男はナイーブなのか)。

借りを返そうにも返すべき相手が居ないということなのではありますが、
かといって居たら居たでやっぱり返さなかったかも知れず、
ということになるとこれは私に限って言えば、自責の念などという高尚なものではなく、単なるひとりよがりの感傷なのかも知れません。

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撫子と益荒男

五輪女子サッカーチーム「なでしこジャパン」、誰が名づけたのかいい名前ですね。
願わくはドイツに勝って「銅」を取ってくれれば良いのですが。

なでしこは、古来、清楚、慎ましさを象徴する花として、控えめながらも芯のある日本女性の代名詞とされているのですが、
過日の女子マラソンレースで途中棄権したランナーが、かわいそうではあるのですが足の痛さに耐えきれず、衆人環視のなかで大声で泣き喚いている姿を見ますと、
大和撫子の花も、喜怒哀楽の感情を我慢せずに素直に表に現すようになったという意味では国際標準になってきたのだなと改めて感じました。

そう言えば、この五輪、「大和益荒男」のほうも、その点だけは負けずにグローバル化しつつあるようですが。

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やっぱりオリンピックは凄い

北島選手を見ていると、大きな目標への飽くなき挑戦を通じて
一個の人間が成長していく過程が如実に実感できますね。

4年前は、「ちょー気持ちええ」という下町のやんちゃ坊主の素朴な雄叫びでした。
今回100Mで金を取ってのインタビューでは、やっと絞り出した声がかすれていましたが、
これは、4年前には燃焼しきれなかった彼の60兆の全細胞が全力を出し切って、体内で物凄い雄叫びをあげていたからなのでしょう。
そして200Mの金、追い求めてきた目標をついに達成した静かな喜びと誇り、王者の自覚。

常人にない身体能力を持った人間が、4年間、8年間あるいはもっと長期間、これまた常人に出来ない練習をストイックに継続できるようなモチベーションを与えるオリンピックというのは、やはり凄いなと思います。

われわれ常人にとっての「オリンピック」は何なのでしょうかね。

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懐かしやヘーシンク

懐かしやヘーシンク。

44年前の東京オリンピック、神永を袈裟固め、
興奮して試合場に駆け上がろうとする自国のファンを両手で制して仁王立ちの姿、
いまでも鮮明に思い出されます。

そのヘーシンクから金メダルを掛けてもらった内柴選手、
勝って試合場を駆け回ったり、でんぐり返りをしたりする選手が多い中で、
終わって静かに一礼する姿が印象的でした。

女子52KG級銅の中村選手、インタビューの時、噛みしめた唇の端にうっすらと一筋血が滲んでいたのは悔しくて歯を食いしばったからでしょうか。
マスコミにちやほやされ、女優のような選手が多い中で、あんな健気な女の子もいたのですね。

試合全般を見る限り、これが柔道かという内容がほとんど(返されるリスクも無く、掛け逃げの反則もとられにくいもろ手刈りの大流行、対戦姿勢は嘉納治五郎先生なら破門もの)だったのですが、すくなくとも昨日の日本人選手、礼に始まり礼に終わる柔道の原点は見せてくれました。
(「最底辺のへなちょこのくせにオリンピック試合を評論するとはおこがましいわよ」)

それにしても「自然体」のヘーシンク、残照の富士。

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夏の夜の夢

001 いつ頃なりしかMR&MRS瓏山

居は移る 想いは薄らぐ昼下がり 蝉しぐれのみ常のごとくに

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舞踊

この28日、転居して以来初めて富士が西方の山並み(大山あたりか)の上に顔を出しました。
梅雨の濛気もようやく去ったということなのでしょう。
北西には秩父連山もくっきり姿を現しています。

周囲に高層ビルがないので、フラットの5階にある陋屋の窓を開け放つと、秩父の山から渡ってくるさわやかな風が吹き抜けて暑気を払ってくれます。

転居して一か月、知人、友人が催してくれた会合も一段落、
近くの公民館でちょうど始まった初心者向け日本舞踊の講習会に
挑戦することにしました。

家内の持ち物に舞扇を見つけ、ちょっとやってみるのもいいかと思っていたところ、たまたま見た市の広報誌に案内があったのです(地域住民向けの催しもの、企画が多いのは、中小都市の良いところですな)。

10人程度のお仲間は皆さん女性、男は私一人、しかも全くの初心者、さすがに直前まで逡巡しましたが、意を決して、昨晩、目と鼻の先にある公民館に浴衣を着て出かけました。

70過ぎた男が日本舞踊を習おうという心がけ、なかなか殊勝であるということで、先生も手取り足取り教えてくださるのですが、
頭でわかっても体がついていかず、2時間の練習で結構くたくたになりました。

とは言え、何につけても初めて物事に取り組むというのは、その都度新鮮な気持にさせてくれるものではありますね(負け惜しみ)。

まあ折角始めたので、11月の最終日まで持ち堪えて、
いずれは海外の旅の空で尺八と一緒に披露できるようになりたいものでございます
(声あり、「あなたらしい空想やね」)。

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紀尾井ホール

なにかここ一月ほどの疲れがどっと出てきたようで、このところの暑さもあって、青菜に塩の状態、昼からビールを呷ってはぐったりしております(やはり年か)。

かくてはならじと、昨日は、邦楽界の名山のひとつ、
宮下伸先生の芸道50周年記念演奏会に出向きました。

和洋の演奏会を聴く機会が増えるのは、転居して楽しみにしていることのひとつです。大阪、京都は、もともとお茶、お花、お琴、尺八、歌舞伎、文楽など、我が国文化の発祥地なのですが、この世界でも、アーティストの東京への一極集中が進み、良い演奏を聴く機会も減りつつあります。

山に例えれば、工業、芸術、学術の分野でも、トップクラスの高さは東京と変わらなくても(いやもっと高いのもある)、裾野の広がりが全然違うというところでしょうか。

800人収容の四谷の紀尾井大ホールは満員、しかも若い人たちが多かったですね。
打楽器を入れるなど意欲的なプログラム編成で、2時間あまり楽しませていただきました。

50周年記念ということだったのですが、来賓の祝辞、ご本人の挨拶等は無く、演奏題目の音声紹介もなく、音は、演奏だけという江戸前の粋な演奏会でした。

特に、新作初演の「軌跡」は、宮下先生の三十弦、十七弦、箏、打楽器による
まさに煌めくような演奏でしたね。

最後に「ブラボー」などという掛声(賛辞?)がかからないのも、
やたらに拍手でアンコールを強制したりしないのも邦楽演奏会の良いところでございます。

帰りに四谷三丁目の「八竹」さんで大阪寿司を仕入れて帰宅、
余韻に包まれながら一杯やらせていただきました。

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高専賃

「高齢者の居住の安定確保に関する法律」(2001年8月施行)
というのがあるのですが、
これは、高齢者の夫婦、単身世帯が安心して居住できる賃貸住宅を確保するため、
国や自治体が補助金を出すというものでして、
これら住宅には、広い廊下を確保し、室内の段差を解消するなど一定水準のバリアフリー設備など、高齢者が生活しやすいものにすることが求められております
(国も高齢者いじめだけやっているわけでもないのですよね)。

制度発足以来あまり普及していなかったのですが、ここにきて大都市周辺でいわゆる「高専賃」(高齢者向け専門賃貸住宅)が、ぼつぼつ見られるようになってきました。

ワンルームマンションでの一人暮らしには突然倒れた時などやや不安がある、
かといって、居住スペースが狭く、食事、風呂等共同の老人ホームでは、生活の自立性が保てないと考える独居老人が増えてきていることを反映するものではないでしょうか。

今回、私が選んだ住まいも、その高専賃のひとつでございまして、
バリアフリー、
浴室・手洗い・居室には非常呼び出し装置(24時間対応)、
車椅子利用可能の廊下、
クリニック隣接、
郵便物、宅配便等の受取代行、ごみ出し代行、
1,2階がデイケアセンターになっているので、
食事などのサービスを居室で受けることも可能、
など、独居老人向けのサービスが一応整っております。

とりあえず、ここに居を定めておけば、
たとえば長期間海外に行ったとしても、
留守中の心配をする必要もないということになります。

ただ炊事のシンク、調理スペースが申し訳程度で、
調理人としての腕の振るいようが大きく制限されるのは
大変残念なことではございます。

スペースも以前住んでいた広さのの4割程度で一人としてはまずは十分、在日米軍がヘッドクオーターを置く有名な基地がすぐ東側に隣接しているのですが、敷地のかなり奥にある滑走路に航空機が並行して発着するせいか、騒音は殆ど気にならず、基地のため東西に視野が開けております。

それにしても東京近郊にこのような広大な米軍基地が、占領当時と変わらぬ規模でいまだに存在し、機能しているということの意味を、住んでみて改めて考えさせられます(双眼鏡で覗いても銃撃される心配は無いようですが)。

ここのところは、自転車で周囲の事情を偵察、野良犬のようにあちこちマーキングしながらテリトリーを確認して回るのに忙しい毎日でございます。

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いったん立ち止まります

六甲の夕日最後に眺めおり かの人掛けいし椅子に座りて

先月29日の晩、陋屋明け渡しを翌日に控えて、
家内がちょこんと止まり木のように座っていた椅子から
いつもそうしていたように、
六甲の山並みに沈んでゆく夕日をしばし眺めていました。

赤城の山ではありませんが、
「六甲の山も今宵かぎりか、カラスも西の空に飛んでいかあ」
というところでしょうか
(送ってくれるかわいい子分も居ないし、月にかざす小松五郎義兼の業物もありませんが)。

引っ越しは何回やっても大変ですが、
只でさえ物忘れがひどくなっている人間が、
一人で荷物を整理するのは拷問を受けるようなものです。
なにしろ、さっき片付けた物の行き場所が
5分と経たない間にもう分らなくなるのですから。

パニックの連続です(70過ぎた老人が、段ボール箱の山の中で、汗まみれで、赤くなったり青くなったりしながら、自分自身に罵声を浴びせている情景をご想像ください)。

加えて、家内の持ち物を最小限の物を残した上で
すべて整理するという作業は結構精神的にこたえました。

今後二度とすることはないにしても、もうこりごりです。

新しい生活拠点に荷物を運びこんでから5日目、
ようやくなんとか生活空間が確保できました。

ブログも開設してから8か月、改めて目次を読み返してみると、
ここのところ、やもめ男の嘆き節のほかに、
独りよがりの浅薄な社会時評が目立ちますね。

どうも自分をよく見せたいという矮小な願望が透けて見えて来るようで、極めてよろしくない傾向でございます。

「多くの人すなるブログといふもの、われもしてみむとて」
はじめたブログですが、
知らず知らずの内に、書くことそのものが目的となり、バーチャルな世界に踏み込みすぎていたような気がします。

この辺で、まともな世界に立ち返り、周囲の人々と現実に触れあい、
尺八を吹き、碁を打ち、なにかのボランティアをするなかで
社会との繋がりを深めていきたいと思います。

とは言え、折角ここまで続けたので、
中断して、ついにアル中で認知症になったかと思われるのも本意でなく、
10日に一度程度、元気で生きていることくらいは発信しようと思っております
(誰も気にしていないかな)。

遙か西の方富士山を望む新陋屋にて

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大阪に住むのもあと僅か、天満橋の大乃やさんに出かけますと、
カウンターの向こう、天婦羅のねたに鱧が登場。

関西の夏は鱧ですね。天神祭、祇園祭のお囃子の音が聞こえてきそうです。
湯引き、しゃぶしゃぶ、お吸い物、いずれも結構なのですが、
私の場合、新鮮な鱧の天ぷらが気に入っております。

鱧は梅雨の雨水を吸って油が乗ってくるといわれておりますが、
大乃やの天婦羅、瓏山大阪最後の贅沢となりました。

板前さんによりますと、この鱧、近頃は、韓国産が多いのだそうです
(鱧よ、おまえもか)。
しかも、皮が国産のものより柔らかいので、あちらのものを好む向きもあるとか。

こうなると「旬」という言葉の意味も変わってくるような気がしますね。

天ぷら、すし、うなぎの3大日本食を国産の材料で食べようというこだわりは、
もはや許されないのでしょうか。

鱧を最後に明日からPCを含め移転作業に入ります。
陋陋屋への引っ越しで心身ともにくたばらなければ、
来月に入って、またお目にかかりたいと思ってはいるのですが。

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喜連瓜破

今回の旅で広島に立ち寄りましたら、市電の駅名表示がすべてハングルとの併記になっていました。
下関の地名表示、案内標識が以前からハングル併記なのは立地条件からうなずけるのですが、
中国路一帯に韓国からのお客さんが増えているということなのでしょうか。

これが大阪の場合、地名そのものに、かの国の影響がありますよね。
毛馬(けま)、門真(かどま)あたりもそれらしいのですが、
南のJR貨物ターミナルである百済はそのものですし、
市内には、高麗橋という橋もあります。
野江内代、杭全、喜連瓜破(それぞれ、「のえうちんだい」、「くまた」、「きれうりわり」と読む)
などという地名は、大和ことば起源とは思えません(それこそローマ字併記でなければ大阪人以外には読めないのでは)。
それにしても、これらの読みが一発で変換できるIMEの機能はすごい。

内陸の奈良、飛鳥同様、難波津に上陸した人々がそれぞれ住み着いた場所なのでしょうか。
あるいは有史以前からの地名なのでしょうか。

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見島

見島は、103年前、バルチック艦隊との間での日本海海戦がそのすぐ沖合で戦われ、
吉村昭によると、沈没したロシアの工作船カムチャッカの乗員55人が漂着、
島民の手厚い介護を受けた場所でもあります。

一度、歴史を作ったその海域を間近に望み、一管の笛をもって、「海往かば」など献奏したいとかねがね思っていたのですが、果たせずじまいとなりました。

吉村昭については、事実を克明に積み重ねて畳み込んでいく稠密な文体が私にはややしんどく、さらに死に至るまでの凄絶な闘病ぶり(最後は自分で点滴の管を引き抜いたという)に圧倒されて、このところ敬遠していたのですが、書店でふと「わたしの普段着」という随筆集を手にしましたら、
そこには、私が想像していた剛直な吉村昭でなく、それこそ普段着で酒を嗜む吉村さんが
いて、なんとなくほっとしました。改めて「海の史劇」、「ポーツマスの旗」など読み返してみようかなという気になりました。

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1年遅れの古希

父の日にあわせ、娘夫婦、孫共が、年代物のワインで一年遅れの古希を祝ってくれました。

まことに兼好法師の言われるとおり、「ものくれる人」がいることは嬉しいことです。ただ、彼の言う悪しき友に、「酒飲む人」が挙げられているのは残念です。よほど周りに酒癖の悪い輩がいたのではありますまいか。あるいは彼は下戸だったのか。

一人生き 古希を迎えて子や孫が くれし祝いに妻の名は無く

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山陽路

広島から下りの山陽本線、トコトコとのんびり走る車窓から見る瀬戸内海と島々の風景には心和みます(ひねもすのたりのたりかな)。
山中を走る新幹線ではこうは行きません。

湯田温泉に漬かり、翌日は、萩沖45KMに浮かぶ見島に行ってみようと思っていたのですが、朝からの雨模様で中止、山陰本線で帰る計画も変更して、新山口から新幹線で帰阪。所要時間2時間。
確かに、早く便数も多いという意味では新幹線は便利であることに違いありません。
いろいろ楽しみにしていた旅もあっという間に終了です。

在来線やバスでの移動は、時間がある人間に与えられた特権だということだけは再認識した短い旅でした。

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毛馬堤

かって繊維の街、大阪市内を流れる淀川の左岸には、東洋紡、鐘紡、敷島紡など紡績会社の工場が建ち並んでおりました。繊維業の衰退とともにこれらの工場の多くは高層マンション群に姿を変えました。繊維業に限らず、大企業は本社機能を軒並み東京に移し、数多くあった業界団体の本部もことごとく東京に移転する中で、ただひとつ日本紡績協会だけが中央区の当時の繁栄の面影が残るビルで孤塁を守っております。

004_4 鐘紡の跡地の一角、陋屋から淀川左岸毛馬堤までは歩いて10分です。 ここには蕪村の生家跡に句碑が立っています。

春風や堤長うして家遠し

この毛馬堤の下の商店街には、店々の軒先に、それぞれ好みの蕪村の句が掲げられているのです(大阪の風流です)。

句碑のすぐ河口よりに毛馬の閘門があります。

1907年放水路として新淀川が開削され、従来の淀川(現大川)との間に設けられた閘門です。

当時としては国家的大事業であったようです(国土交通省もそれなりのことはやっているー当り前か)。

現在の閘門011_2

なにか獣医さんの広告みたい。

010_2 100年前の閘門

008_2 この辺の河川敷は日蘭交流400周年記念広場、オランダ風平面幾何学様式。

新淀川掘削を提言したオランダ人技術者デ・レイケの記念碑もあります。

絶好の散歩道、サイクリング道路だった愛すべき淀川左岸も、これからの私にとっては遠いものになります。

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酒道

酒の飲み方に茶道ならぬ酒道なるものがあるとすれば、その先達で敬愛する人といえば、李白、横山大観、吉行淳之介、開高健、友人の何某何某などなど数多くおられるのですが(めちゃくちゃなリストやね)、あえて一人を挙げよと言われれば、私の場合、吉田健一氏なのですね。

氏は時の宰相吉田茂の息子でありながら、父親と全く違う道に進み、かつその道で一家を成した人でした(鳩山一郎などをはじめとする戦後政治家の2世3世が祖父や親と同じ政治の道に進んでいるのとは対照的な生き方です)。

なめくじが出るような家での生活をしながら、権勢の絶頂にあった父親にすがることをしなかったことも偉いのですが(一切手を差し伸べなかった父親も偉い)、もっと尊敬するのは、そのような生活のなかでも、酒だけは、きちんと品よく飲んでいたというところです。

しかも、貧乏のくせに、銀座、築地など一流の場所で堂々と飲んでいたというのがいかにもダンディですよね。

まあ、そのようなことが出来たのも先輩、同輩など周りの人に愛されていたからのことでもありましょう。

彼の随筆がまた、英文学者としての該博な知識に裏打ちされていながら理屈に走ることなく、イギリス流のウイットに富んで、悠揚迫らぬ風情で書き進まれており、読みながら、吉田大人に連れられて一緒にあちこちを陶然と飲み歩いているような贅沢な気分にさせられるのは、当方もようやく相応の年をとってきたということでもあるのでしょうか。

「はじめに酒に対して礼儀を尽くしておけばあとは酒のほうで気をつけてくれる」、「酔わずに酒の味がわかるということはありえない」という吉田先生の有難いお言葉を、勝手に弟子を名乗る身として拳拳服膺し、これからも酒道に精進したいと思います(酒は飲めても一芸に秀でるのは難しい)。

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新月の宵

遅まきながら誕生日を自ら祝うべく、瓏山ミシュラン3つ星、阿倍野の明治屋さんに浴衣で出撃(さすがにちょっと寒かった)。

半年楽しませてもらった名物の湯豆腐に代わり、今月からは冷奴です(季節を感じさせられますな)。ひと月に3,4回程度は出入りしていたこの店にも、もう気軽に来れないと思うと、お銚子一本ごとの時間も貴重に思えます。急に足が遠のいて、飲みすぎでくたばったかと思われてもいけないので、カウンター越しに主人に挨拶。

今月中に、あと5,6軒は、顔を出しておかねばならず、長い草鞋を履くにあたり、あいさつ回りも大変でございます(勤め人時代も転勤の都度、溜まったつけの清算のため、飲み屋回りに忙しかったものですが)。

送り来し 孫のカードを懐に 祝い酒干す新月の宵

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誕生日と出生日

71歳の誕生日を迎えました。去年は祝う気もせず、また誰からも祝ってもらえない寂しい古希でした。実は、私には事実上の誕生日のほかに、法律上の誕生日があるのです。戸籍の上での出生日が6月4日であることは、迂闊なことに成人しても気がつかず、就職時戸籍謄本を取って初めて知ったように思います。

物心ついてからずっと5月31日に誕生祝をして貰っており、自分は、5,3,1のカブで縁起が良いんだと思ってきたのに、6,4ではブタではないですか。

なんでこんなことになったんだと母親に聞きますと、お父さんが役所への届け出を忘れていたのではないかしらとこれまたいい加減な返事です。息子の私でさえ自分の娘の出生届けはきちんとやっているのに、一人息子の手続きを怠るとはどういうことなのか、追求しようにも父親は私が8歳のときに亡くなっているので文句の言いようもありません。

法律上は、出生後14日までに手続きをしなければならないことになってはいますが、それを怠ったからといって出生日までずらされるようなことは無い筈なのですが、当時の戸籍法は厳格だったのでしょうか。いずれにせよ、法学部出身だったくせに法を守らない不埒な親父ではあります。

おかげでこんな目にも逢いました。行政書士試験の一次試験を免除してもらうために、大学法学部の卒業証明書を取り寄せたところ、記載されている出生日が5月31日となっていたのです。

出生日ぐらい戸籍と違っていても大丈夫だろうとたかをくくって手続きにいきましたが、本人であるかどうかの確認ができないと総務省は受け付けてくれません。大学に訂正を申し入れるのですが、こちらはこちらで、あなたが40年前に本学を卒業した本人であるかどうか戸籍事項と違うので確認がとれないなどと言い出しましてますます話がややこしくなり、三拝九拝、縷々事情を説明、なんとか再発行してもらうのに大汗をかいたものです。

たしかペパーダインなにやらとか学歴詐称が話題になっていた頃だったので、早速、家内などは、「あなたの法学部卒というのも怪しいね、そもそも入学もしてなかったのではないの」などと言い出す始末です(まあそう思われても致し方ないというところもあるのですが)。

しかし、戸籍と照合もしないで、私の申告を鵜呑みにした大学もいい加減なものではございませんか。ーー「一番いい加減なのはご本人でしょう」

まあ、これからは、死亡届ぐらいの他は戸籍事項の証明を必要とするような局面も無くなると思いますので、晴れて本来の5月31日生まれに立ち返り、娘どもにはあと何十回かの誕生祝、盛大にしてもらいたいものです。

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出帆

一昨日、近親者で家内を偲ぶ会を催し、昨日は渡世の義理働きの会合が無事終了、引っ越しにあたっての身辺整理がこれでほぼ終わりました。

一応全部片付いたという思いで気が抜けたのか、今朝のテニスは積極精神に欠け、さんざんな目にあわされました(このような状態が続くようでは困りますな)。

昨日の神戸は初夏を思わせる陽気、港近くのホテルでの会合が終わってから、42年前の3月、家族友人たちにテープで見送られ、新婚旅行用の白い帽子をかぶった家内と、中突堤から関西汽船に乗った朝のことなど思い出しながら、久しぶりに埠頭をそぞろ歩きしました。

もともと私は女性の帽子には偏見を持っておりまして、付き合い始めてから、一緒に歩くときはなんとか帽子はやめてほしいと申し出ていたのですが、彼女は頑として受け入れず、粘り強い交渉の末、野球の巨人阪神戦の結果で勝負をつけようということになりました。

私は勿論子供の時からの阪神ファンなのですが、彼女は、根っからの関西人であるのに、奇妙というか主体性がないというか熱烈な巨人びいきなのです(だものですから、結婚してから巨人阪神戦のテレビは一緒には見ないことが多かったですね)。

結局勝負をかけた試合に阪神がだらしなくも負けたため、にこにこ顔で帽子が実現したわけでした(勝負に強い人ではありました)。

この神戸港からは、丁度100年前の4月28日、781人の移民を乗せた笠戸丸が、ブラジル、サントス港に向け出帆しました。皆さん不安もあったでしょうが、新天地を開拓する大きな希望、意欲に溢れていたことでしょう。

私も、これからは彼等にあやかって、めげることなく、新しい生活を意欲を持って送っていきたいものでございます(「ブラジル移住と比べるとはえらい大げさやね」)。

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1年経ちました

一年が経ちました。

一年前のこの日、家内が息をひきとったばかりの昼さがりの病室には、5月の明るい陽光が差し込んでいました。

夫君を亡くされ,私などより遥かに辛い経験をお持ちの家内のお友達から、「時が薬」とありがたいお慰めをいただきましたが、この薬、お言葉の中にもありましたが効いてくるのにはまさに時間がかかるようです。ましてやアルコール摂取過多の身としては、薬の効き目さらに薄れるようで。

ひととせを過ぎて思いは革まる 汝闘病の床に臥し居て

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ロサンゼルススポーツアリーナ

ロサンゼルスといえば、以前ロサンゼルススポーツアリーナにNBAの試合を見に行ったときのことを思い出します。地元のクリッパーズの試合でアリーナは超満員でした。

いまは大リーグの中継放送で珍しい風景ではなくなりましたが、試合前に兵士が捧げ持つ大星条旗がコート中央に厳かに入場、ざわめいていた場内が静まり、腕に刺青した男、鼻にピアスをした女、白黒黄色、老若男女一斉に起立して国旗に注目、国歌を斉唱する有様に、当時一種のカルチュアショックを覚えたものです。

多分何処も似たようなものだとおもうのですが、このアリーナのトイレがまた特徴的でして、朝顔や仕切りなどは無く、横に長い壁面に大きな竹筒を半分に割ったような樋が緩やかな角度で右端から左端まで斜めに取り付けられ、そこをそうめん流しのように水が流れ下っておるのに向け、白いのや黒いの、貧富貴賤を問わず何十人もが横一列にぎゅうぎゅう詰めに並んで、一斉に砲列を敷く様はまさに壮観です(日本のパーキングエリアのトイレは壁面の上部からすだれの様に水が流れ落ちる様式になってますね)。

大人は右のほうに、背が低い子供などは樋が低めの左のほうに立つという意味で合理的な設計なのですが、私などは左のほうに立っても、そうめん流しの樋が高過ぎ、隣の人間の放出物が流れる水に命中して跳ね返ったしぶきがまともに当方の顔あたりに飛んでくるような気がしまして、当時エイズが話題になっていた頃でもあり、大いに辟易したものです。

今から考えると「樋」方式より「すだれ」方式のほうが合理的ではないかと思うのですが(樋方式のほうが水の消費量が少なくてすむのかな)。

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月末の26日、神戸で会合があるのですが、そこでのスピーチで、”風さわやかな”建武3年5月25日の楠木正成の湊川合戦に触れようとしていて、ふと気がつきました。これは旧暦5月の出来事なのですよね。今の暦に置き換えれば、6月末か7月初旬の夏の盛り、瀬戸内の蒸し暑さのなかで、鎧に身を固めた武者たちの汗みどろの戦いが今の神戸駅付近で繰り広げられていたことになります。

まあ湊川神社の楠公祭りも、12月14日の赤穂義士祭りも新暦で行われてはいるのですが、古い出来事を取り上げるときは、暦の違いによる季節感の違いに注意しなければならないんだなと改めて思いました。

そういえば、外国に行ったときのマイルとかフィートの表示にも戸惑わされます。何時だったかロサンゼルスからラスベガスに飛行機で向かう途中、眼下の山々を地図で確かめると軒並み標高4千とか5千なので、隣の同僚に、「すごいな、この辺の山はみんな富士山より高いんだぜ」と危うく言いかけるところでしたが、これは無論表示はされていなくても単位はフィートなのでした(「勘違いというより単なるあほやね」)。

知ったかぶりに気をつけなければならないのは、私の場合、なにも暦と度量衡ばかりではないのですが。

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瓏山取扱説明書

パンダ、日中首脳会談の大変大きなテーマだったようですが、今回はその棲息地での大災害、特に幼い子供たちがなんとか無事でいてほしいものです(それはそうとあの辺に核はないんでしょうね)。
ところでパンダの件では、、動物も、国際間で貸し借りの対象になる(しかも動物園同士でなく国と国との約束で)ということを知り勉強になりました(これはどういう法律行為なのか、やっぱり賃貸借の一種なのでしょうかねーどなたかご教示くださいませ)。

で死んだら死体は五星紅旗にくるんで特別機で返還するのでしょうか。

パンダに準じ、ウイドワー1年を経過した瓏山の今後の取り扱いについて以下に申し述べます。

瓏山取扱説明書

○給餌について
朝は人参ジュース以外餌をやらないでください。
昼にアルコール分を欲しがって暴れても与えないようにしてください。
夜は出来るだけ酒5合以上は飲まさないようにしてください。

○すくなくとも1週間に一度は檻の掃除をさせてください。
埃のアレルギーを防ぐためです。

○尺八を取り出したときは、けなしたり耳栓をしたり逃げ出したりしないで、取り敢えず聞いている振りをしてください。
将来国立劇場で演奏するという本人の意欲を阻害しないためです。

○テニスの相手をするときにはチャンスボールになる中途半端なロブをあげないでください。
動体視力が落ちているため、意気込んでスマッシュしては失敗して怒り出します。

○檻の中で書物や衣類等を処分するために選別しているときはそっとしておいてやってください。
刺激すると情緒不安定になります。

○なにか一人でしきりにぶつぶつ言っていることがありますが、まだ認知症ではなく、一応外国語の復習をしているので気味悪がらないでください。

○スーツの袖ボタンが取れていたり、ズボンの後ろに洗濯タグがついたままになっているときは見て見ぬ振りをしてやってください。

○テレビに向かい目を三角にして罵詈雑言を吐いている時は、大変危険ですから近寄らないようにしてください。
品性の悪さが伝染するおそれがあります。

○夜8時から翌朝4時までの間は、睡眠時間8時間を保たせる必要があるので電話をかけないでください。
でないと早死にさせるおそれがあります。

○いきなり後ろに立たないでください。後頭部の薄さに異常なまでの劣等感を持っていますので、攻撃されるおそれがあります。

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高齢者医療

「青春とは人生のある時期を言うのではなく心の様相を言うのだ。人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる」という言葉があります。

国のやり方は老人いじめだ、死ねと言うのかと声高に言うのが最近の風潮です。たしかにそのような実態があるにせよ、逆に、自らがそれを言い立てることによって、我々はまさに疑惑とともに惨めに老いつつあるのかも知れません。

我々の仲間には、病床に臥している人、障害を持つ人、自身老齢であるのにかかわらず近親者の介護にかかりきりの人なども数多く居られ、そのような社会的弱者に対する手厚いサポートが国の基本的な役割であることは言うまでもありません。ただ、一方、それに倍する元気な、まだまだ社会的貢献できる人たちも居るはずです。

園遊会に招かれることもなく、1本何十万もするワインには縁遠い身ではあっても、アフリカやミャンマーで大変な目に遭っている人たちに比べれば格段に幸せなのでありまして、「なにか最近何かと理屈をつけて取られ過ぎだとは思うぜ。晩酌の回数が減るのは辛いけど、まあしょうがないか。だけど俺にとっては命の次に大事な金なんだから無駄遣いはしてくれるなよ。」ぐらいのことを言える老人は、経済大国のこの日本には結構居るはずなのに、なぜこういうのは街頭やスタジオなどでのTVインタビューに登場しないのでしょうか(あるいは居たとしても、”国民の皆様の声”の形成に都合が悪いので放映されないのかなー決して政府を擁護しているわけではございません)。

どうにもならなくなったら、降参して、国家、地域社会、娘共のお世話にならざるを得ないとしても(でもその前に自分なりに人生の結末をつけたい)、そこまでは、これまでそれなりに社会に貢献してきた人間としての自尊心を保ち、出来るだけお国のお世話にならず、出来れば逆にご奉仕するなかで、心に青春を抱いて生きていきたいものでございます。そうでないと、老人の無上の楽しみである若いやつらへの説教もできませんものね。

「あなたも一杯入ると格好いいこと言いますね。私も国の医療費削減には去年私なりに協力したものね」

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年金特別便

世上論議喧しい年金特別便が私にも届きました。冒頭に、舛添要一大臣のお詫びの言葉とこれからの取り組みについての決意表明があります。

字体も大きく、内容も整理されていて結構読みやすく、悪名高い社会保険庁の文書にしては、受け取り手である老人に配慮した内容になっているのではないかと感じました。あれもこれもということはありますが、取り合えずの確認方式としてはまあまあではないでしょうか(行政書士瓏山の見解ー甘いかな)。

ただ、個人の受給内容の確認というのは、現在年金受給している人だけでなく、これから受給する団塊の世代の問題でもあります。その意味では、退職時に、受給内容(加入期間、標準報酬額などを含め)を、今回と同様、本人に示して確認することによって、今後、今問題になっているような事態の発生を防ぐことが出来ると思いますし、これからは、そのような親切さが、制度上も必要になるのでしょう。

いずれにしても、これを契機に、役所の国民向けの通知文書が、日本語であるのに通訳を要する役所間の専門用語(”標準報酬月額”なんて普通の人にはわかりませんよね)でなく、一般の人にわかる言葉で書かれるようになったらいいですね(行政書士、社会保険労務士など士業の仕事は減るけれど)。

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サイクロンのミャンマー

ミャンマー、ヤンゴン周辺のサイクロンによる被害は甚大のようで、死者は一万人を超すだろうと言われております(まだまだ増えるのではないか)。

いつものことながら、いち早く巨額の支援を表明した諸国に比べ、日本は一足遅れ、しかもいまのところはテントを送るということのようです。

福田首相のお父さんは、人命は地球より重いと言って超法規的措置でテロリストを釈放した方ですが、このような時こそこの理念を受け継がれ素早い行動をしていただきたいものです。

日本の報道も、これもいつものことながら、同じアジアの事件であるのに、欧米の報道に比べ、動きが鈍いですよね。

ネット上で見る限り、ニューヨークタイムズ、ヘラルドトリビューン、USAトゥデイ、CNNなど、いち早く豊富な現場写真、ビデオで報じていますが、たとえば朝日ドットコムは、国際欄の片隅での報道で、写真は一枚です(NHKの晩のニュースのメインは、中国主席の来日と並んでメジャーリーグ、レッドソックスの松坂の勝利についての詳細な報道です)。

外紙の写真を見ていると、見覚えのあるヤンゴン中央駅周辺の広い道路が倒木でふさがれていたり、去年日本人記者が撃たれたあたりスーレーパゴダに通ずる道路が水浸しになっており(イラワジ川の氾濫でしょう)、パゴダに住民が避難している様子も映し出されていて、一昨年歩き回ったところだけに他人事でない気がします。

ただでさえ、電力事情が悪く、ホテルですら昼間は節電しているような国なので、復興には大変な労力と時間がかかるでしょう。政権に問題あるとしても、国民に罪咎はありません。かってかの国を戦場としたわが国としても、なんとかみんなで援助して、本来は温厚な仏教の国の立ち直りを願いたいものです。

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合唱団コルステレジア

夙川カトリック教会の信徒が中心となり活動している合唱団コルステレジアには、中学高校時代の同窓生が二人参加しています。昨日は、その演奏会に仲間とともに出かけました。会場となった夙川教会聖堂は満員です。

コルステレジアは、ルネッサンス時代の宗教曲を、無伴奏でしかも純正律によって演奏するという特色ある合唱団です。基本に忠実な発声による究極のハーモニーを、4部混声合唱の20人ほどのアマチュアメンバーが追求するのですから、日頃からの大変な努力の積み重ねがあるはずです。

人間の声というものはすべての音楽の原点であるとも言われていますが、アカペラでの純粋な合唱による教会音楽を、まさにその揺籃の場であるゴシック様式の聖堂で聴くというのは、精神的な贅沢であり、またそれがアマチュアによる演奏だからこそ、魂が洗われる気がしますね。

彼らの演奏を聴くのは3回目ですが、前々回、前回と比べ、明らかに作り出される音楽の濃密度、透明度が増しているのが感じられ、快い充実感に浸りました(間に挟んだ日本語の聖歌、日頃歌いつけているだけに、やや持ち前の癖が出たかなという気もしましたが)。

やはり聖歌というものは、たとえ意味がわからなくても、いやわからないからこそ、原典であるラテン語で歌われると、有り難味が一層増しますな(大伽藍でのお坊さんのお経の合唱による精神の高揚と合い通じるものがあるのではないだろうか)。

いや結構な2時間でした(その後の仲間との2次会、悪声交錯するなかでハーモニーは良好だったです)。

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皐月

風光る5月になりました。陋屋から見下ろす小公園も新緑に染まっています。今日から京都鴨川には床が出ますね。

私事ながら、この5月という月は、母親と私と長女の3代にわたる生まれ月なのですが、今年から新たに家内の命日も加わることになりました。

去年は、この月のはじめに母親の卆寿を祝い、月の終わりに家内の葬式を出したのでしたが、今後このさわやかな季節は、私にとっては、生老病死を考えさせてくれる時にもなるようです。

春を留むるに春留まらず 春帰って人寂寞(白居易)

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積ん読の本

本の整理をしていて、買ったものの、ぱらぱらとページをめくっただけでそのままにしてある書籍のジャンルに特徴があることに気がつきました。

そのひとつが楽典関係です。中学では、ブラスバンドをやり、その後もなにかと楽器をたしなんできましたが、実はいまもって、洋楽や邦楽の音階、音程、律、調号、和音など若干あやふやなところがあるのです。邦楽を5線譜で演奏するのも苦手です。

尺八都山流師範の沽券に関わるところでもありますので、ヤマハや山野楽器を冷やかすたびに、意気込んで解りやすそうなのを買い込んでくるのですが、買ったということに安心してそのままになっているのですね。

同じようなのが、「男の料理」、「独り者の料理」、「すぐ出来る酒の肴」など、表紙や写真に惹かれ、これだというので買って来たものの、調理方法の複雑さ、調味料、材料の多さにうんざりして投げ出した料理関係の本。

「これであなたも碁敵をぎゃふんと言わせられます」などという謳い文句に、その都度性懲りもなく引きずられて注文した通信販売の碁の教則本、ビデオなど。

いずれも永年にわたって問題意識を持ち、何とかしようとはしていても、結局なんともならなくて経過した不甲斐ない自分の姿を、買い込んだまま読まれなかった本が示してくれているようです。

思い切って処分するべきか、今一度挑戦するべきか、ハムレット瓏山、ここのところの悩みでございます。

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読書に淫する

このところ読書の虫になっています、いやならざるを得ない状況になっていると言うべきでしょうか。

引越しを控え本を処分する前に、敬意を払いもう一度目を通そうとしては一日中本を読み続けることになってしまうのです。

今日は、陳舜臣さんの一連の著作、ぱらぱらと読み返すつもりでしたが、読み始めると、中身の濃さにひき付けられて貪るように読んでしまいました。

陳舜臣さんは、かって通学した中学校の近くにながくお住まいで、神戸に関する著作も多く、かねてから親近感を抱いている作家ですが、なかでも「中国の歴史」は、陳さんらしい公平な歴史観に貫かれた大作だと思います。ブックオフに送るのは止めにしました。これだから本の整理は難しい。

聖火リレーの長野は朝から真っ赤、大小の五星紅旗の氾濫です(北京が引越ししてきたか)。良くも悪くも5千年の歴史をもつ民族感情噴出の一局面なのでしょう。

空前の警備に大した揉め事はおきず、”すは一大事”を待ち構えていた報道機関は拍子抜けだったのでは?

無事終了願うと言いつつ騒ぎ待つ テレビクルーの狂奔する街

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五分刈り

どうも最近気分がいまひとつぱっとしません。春になったことでもあるし、ひとつ髪を思い切って短くして気分一新しようと散髪屋さんに出向きました。

囲碁の世界では、依田紀基さんは五分刈り、結城聡さんは丸坊主、武宮正樹さんは剃り上げた坊主頭、趙治勲さんはぼさぼさの長髪とそれぞれ独自性を発揮していますが、将棋の世界は、頭髪に関しては保守的のようですね。

今回は、依田さんの5分刈りを目指しました。エドガーアランポーではありませんが、誰もが見えるところに隠す、つまり髪をより短くすることによって、後頭部の薄さが目立たなくなるであろうという深遠な考えあってのことでもあります。

短い髪というのは、実は散髪屋さんにとって、頭蓋骨の形状とか髪の生え具合とかが如実に現れるので、長髪よりも扱いにくいもののようですね。諸事簡単明瞭にすることは難事であるということなのでありましょう。

すっきりはしましたが、せっかく短くした毛が、依田さんのようにしっかりと立たず、台風の後の稲のように、なよなよと頭皮上に臥せっている形状で、当初の目論見どおりとは行きませんでした(テニスに行きましたら、仲間の女性軍から、「なにその頭!」と顰蹙の声)。

かくなるうえは、次回夏場には、結城聡で行こうと思っております(頭の外側だけは)。

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幼い姉妹

微笑ましい光景にめぐり合いました。

すこし混雑したバスに小学生低学年と4,5歳ぐらいの幼い姉妹の二人連れが乗っていまして、たまたま空いた席に姉が妹を庇って座らせていました。そこに杖をついたお婆さんが乗ってきますと、座っていた人々の中から、小さい妹がぴょんと立ち上がってお婆さんに席を譲ったのです。

親や周囲にその都度言われてやっているのではなく、おそらく普段から自然にやれている動作のように思えて小さな感動を覚えました。

こういうのは、躾というより、親みずからが日常の立ち居振る舞いの中で、自然に子供に身につけさせていくものなのだと思います。私の娘ぐらいの年頃であろう親御さんの人柄がしのばれます。

普段乗り物の中で、シルバーシートに大股開いて座っている若い男どもを目にするたび、金玉を蹴りあげてくれようかという衝動に駆られますだけに、この小さなお嬢さん方が誠に愛らしく思えましたね(孫どもは、私の背中を見習ってちゃんとやっておるだろうか)。

幼くも 杖曳く嫗に児は立ちて すわり居し席ゆずる笑顔で

瓏山

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身辺整理

大阪の街は朝から霧雨に煙っています。

だいぶ前のことですが、高峰秀子さんが、生きていくのに必要最小限のもの以外は全部処分してしまえば如何に快適な生活が送れるかという話をしておられ、高峰さんぐらいの人なら物も一杯あっただろうによく思い切れるものだな、それにしても男勝りに爽快な人だなという感じを抱いておりました。

この機会に彼女を見習って、こんどこそ身の回りを極限まですっきりしようと決意しまして、このところ本や資料、写真、衣服などせっせと身辺整理をしているのですが、これはかなりの心理的重圧を伴いますね。改めて高峰さんを尊敬せざるを得ません。

去年、家内の持ち物を整理処分した際もかなり落ち込んだのですが、本や資料にしても、写真にしても、あるいは使わない衣類雑貨にしても、自分がこれまで過ごしてきた人生のそれぞれの局面と結びついているので、いかに今後使わないものだとしても、これらを処分するというのは、過去との訣別を厳しく迫られることになります。

ある意味で、自分の一部分に対する一種の死の宣告、あるいは死の式典への序幕と言ってよいのかもしれません(大袈裟)。相当心が強くないとなかなかできないのだと思います。

花は散り、どんよりした空が重く感じられる日々でございます(「うじうじしているのは男らしくないよ、ぱっと飲みに行ったら?」ーよしきた、片付けは後だ)。

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同窓の友

小学校の同窓生からの呼びかけで神戸に。勤め人になって、ながい草鞋を履いていましたので、地元の仲間とは付き合う機会がすくなく、特に小学校の同窓会などとんとご無沙汰でした。

60年近く隔てて卒業以来会ってない友人との出会い、顔がわかるだろうかと思っていましたが心配無用でした。子供の頃の面影は70歳になっても残っているものですね。

今は統合で名前が変ってしまった当時の小学校を訪ね、通学路を通ってかくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ会下山を散策し、一応老人らしく近頃の時勢を憂えながら一献酌み交わしました。

地震の災禍を免れた卒業写真、終戦後間もない昭和25年当時の我々の服は、親が精一杯着せてくれた一張羅ではあっても今とは比べ物にならない質素さです。

仕事の整理、身辺の整理、友人たちとの会合、関西を去る準備は着々と進行中でございます。

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雨の京都

昨日は、古い知り合い(残念ながら男性)に逢いに京都に。久しぶりに良く歩きました。吉田山の麓から疎水沿いに南禅寺ー青蓮院ー知恩院ー八坂神社ー高台寺。

粟田口から青蓮院の前を知恩院に抜けていく道の風情は、瓏山のお気に入りです。舗装されてはいますが最も京都らしい趣のある道の一つではないでしょうか(ぽつんと甘酒茶屋があるのもいい)。

桜は盛りを過ぎて、高瀬川には花筏でした。

下駄履きて 八坂道から高台寺 枝垂桜の雨に打たるる

瓏山

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low-riseと痴漢と

近頃の言葉ではローライズというのでしょうか、腰周りの肉をこれ見よがしに露出させる人類が徘徊する頃となりました。丁度サーロインの部位ですよね。脂が乗ってそうだな、霜降りなんだろうかなどと思ってしまいます(おまえはシャイロックか)。

警察は、ローライズに目が眩みお尻を触った男どもを捕まえて名前を公表するのには非常に積極的かつスピーディですが、白昼堂々銃や包丁を持ち歩いている人間の人権は尊重して見て見ぬふりをするばかりか、そいつ等が現実に人に切りつけたり、線路に人を突き落としたりしてもなかなか捕まえられません。

法の秩序を保ち、市民生活の安全を図るという立場からは、警察は、巷をうろうろしている国法違反の犯罪者を、まずもって早く捕まえて欲しいですよね。簡単に検挙率が上がるからと言って、人殺しをほっといて、府や県の条例違反者(それもはっきりした容疑がないケースもある)を捕まえるのに熱心というのは、なにかちょっと順番が違うような気がしないのでもないのですが。

お尻触られたぐらいでは命に別状ない、その場で相手をひっぱたいておけばいいんだ、といったら娘に怒られるだろうな(刑法犯罪である強制わいせつは勿論別ですよ)。

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灌仏会

山田風太郎の人間臨終図巻を読む。思うにこれは昭和の奇書いや怪書ですな。上下2巻にわたって、シーザーからネルソン、孔子から毛沢東、聖徳太子から新門辰五郎にいたるまで、ほぼ1000人のいわゆる有名人がどのようにして死に向かい合い、どんな風に死んで行ったかが克明に描写されておるのです。

人間というのは、日頃悟りきっているような偉い人でも、いざ死に臨むと結構じたばたするものだということがよく解ります。かの吉田寅次郎松蔭ですら、安政の大獄時目撃者の話によれば、死罪を申し渡されて大いに狼狽、取り乱したとあります。(もっとも当時29歳ですからね、やりたいことが山ほどあってさぞかし無念だったでしょう。井伊大老が原案では流罪であった「流」を「死」と書きかえたとも言われていますが。)

死期を悟り泰然と座して遷化した鑑真和上、あるいは「埋火のあたたまりの冷むるがごとく」息を引き取った松尾芭蕉などに大いにあやかりたいものなのですが、そうも行きそうにないのが凡人なのでしょう(それにしてもかの人は最後だけは蕉風だったー「修行積んでるの知らなかったでしょう」)。

散り初める桜のもとで古今東西の死を見つめる、お釈迦様の誕生日のひと時でございます(「でもワイングラス片手に不謹慎ではないの」ーこれ甘茶なんですけど)。

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陋屋桜

陋屋から見下ろす道沿いに続く桜並木、これで見納めと思えば特に見事に思えます。

桜は、寒さに耐えに耐えて蕾をつけるのに大変なエネルギーを費やすために、見事に花を咲かせきった後は、ぱっと一斉に散って仕舞うのだということのようですが、そのありようが、古来我々の心の琴線に触れてきたのでもありましょう。

我々人間の世界では、厳しさに耐え切れずに蕾を落とすもの、見事に咲かせた花がしぼんでも散らないものなどいろいろですが。

時来れば孫に教えん一人酒 その楽しさと侘びと寂びとを  

瓏山

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奈良薬師寺

奈良薬師寺の日光、月光菩薩が、天武天皇による発願以来初めて寺を出て東京国立博物館に出展されるのですが、今日のNHK衛星放送では、この一大イベントの作業過程などが放映されていました。

NHKにしては珍しく、作業に携わる業者のユニフォーム、トラックのロゴなどがきちんと映し出されていましたが、美術品の取り扱いについてのこの業者の専門性、高度な技術を高く評価する私としては、NHKも時にはちゃんとした報道をするんだなと見直す思いがしました(こういうのは、主要な事実の客観的報道であって、一業者の宣伝に組するものではないのですよね)。

薬師寺は先々代高田好胤管長が発案した写経による募金で金堂を再建したので有名ですが、これも高田管長譲りといいますか、坊さんの落語もどきの説話が面白いのでも修学旅行生など若い人々に好評でして、それもあって奈良在住中も西の京にはよく出かけたものです。

薬師三尊は、奈良の仏さんのなかでもとりわけやさしく、拝観するたびになんとなく心が癒されるような気持ちになるのです。

今度、正面からだけでなく、光背を取り除いた後姿も拝めるわけですから、国立博物館には是非行ってみたいものです(となれば早く引越ししなければ)。

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さらば行政書士稼業

永年の勤め人生活に別れを告げるにあたり、新しいレーゾンデートルを求めてじたばたして、いろんな資格試験に挑戦するなかで、行政書士の資格を取り、「青雲の志?」に燃え、SOHOで開業しました。

14業種とも16業種とも言われる国家資格の士業のなかで、弁護士、公認会計士が高級専門店であるとすれば、行政書士は100円ショップ(同業者の方々、ごめんなさい)の位置づけにはあるのですが、国際化のなかで、知的財産権とか外国人出入国在留関係など新しい分野でのニーズも出てきており、挑戦し甲斐ある分野だと思ったのでした。

よく言われることですが、資格をとるということと、お客さんのニーズに応えてきちんとした仕事が出来るということとは全く別なんだということを、この世界に入ってみて、思い知らされ続けた6年間でした。

特に、自営業では、失敗は当然ながら自分が全て負うことになりますが、個人が失敗しても外部に対しては(内部はともかく)組織が責任を負ってくれる構造のなかに永く安住してきた人間にとっては、この当たり前のことに慣れるのがまず大変でしたね。

その意味では、自営業をやるなら、体力、知力充実している壮年期に転向するのがベストなのだと思います。

それにしても、開業するとき、陰に陽に励ましてくれた人々には、改めて感謝の念が湧き上がってきます。普通、行政書士などとわけもわからないものをはじめますという挨拶状をもらったとして、ああそうかというぐらいが通常の反応だろうと思うのですが、わざわざ手紙や電話で激励してくれた友、どんな仕事かよくわからないけれどなにか自分で役に立つことがあれば言って来いと言ってきてくれた友。そっと遠くから成り行きを見守ってくれていた友。友、友、友。

こういう局面で、なにか初めて本当の友達の心情に触れることが出来た思いでしたし、わが身を振り返って、自分なら、「物好きな奴やなあ」ぐらいで、どうという反応もしなかっただろうと思い、改めて自分の心の貧しさを思い知らされた気がしたものです。

そういう経験をしただけでも挑戦した甲斐はあったというべきでしょう。

人は、自分ひとりだけでは生きては行けないという当たり前のことを改めて心に刻みながら(勤め人生活時代はそんな殊勝な考えは毛頭なかったのですが)、残された人生を生きていきたいと思います(「それエイプリルフールと違うの?」)。

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新年度

昨日先勝の日、法務局で定款の変更登記、引越しを控え仕事の整理をしてきていましたが、これで最後に残っていた仕事が片付きました。

この歳で、新しい土地で顧客を開拓するのは大変なので、これが事実上の私の6年間の行政書士稼業の仕事納めになるのでしょう。

来月には71歳になる新年度、新しい人生設計をして生きていかなければ。とりあえず、死ぬ間際まで旨い酒を飲んでいられるようでありたい(「単純だけど難しい願望やね」)。

ともに見し花は咲きたり我ひとり夜桜の下人波のなか

                    瓏山

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北京バイオリン

刈間文俊先生の中国語応用講座「陳凱歌(ニューウエーブの映画監督です)の世界」が終わりました。文化大革命以降の中国の文化活動の一端を見るようで、毎回聴くのが楽しみでした。

なかでも映画「北京バイオリン」-息子の成功のために身を引こうと北京を去る父親、国際舞台への登竜門となるコンクールを放り出して、バイオリンを手に北京駅に走る息子、駅頭での父に捧げるバイオリンの演奏ーじんとくるシーンです。

丁度、去年同時期の再放送だったので、講座の内容もですが、去年の3月時点の周囲の状況が講座の展開と同時に頭の中に蘇って来て複雑な思いにもなりましたね。

毎朝8時からのスペイン語と中国語講座、4月からは、今までの各20分が15分になり、金曜と土曜の応用編が無くなるというのですが、これまで慣れ親しんできた方式が急に変えられるのは残念です。

NHKさん、せめて語学番組ぐらいは骨惜しみをせず、充実したものにしてくださいよね。20分は長すぎるという視聴者の声があったというが、20分程度も集中できないやつは講座など聴くな!(「まあ、語学番組ぐらいのことでそんなに怒らんでもいいやないの」)。

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甲子園

甲子園球場が改装されたということで、高校野球を観戦に出向きました。子供の頃はよく行ったものですが、勤め人になってからは、作新学園の江川を見に行って以来ですから30年ぶりぐらいになりますか。

平日なので、ネット裏でゆうゆう観戦できると踏んで出かけたのですが、どうして大変な人出で席を見つけるのがやっとでした。考えてみれば春休みでもあったのですね。ただ、我々子供の頃は無料の外野席が定席だったのですが、いまどきの子供は1600円の中央特別席です。

県立高校が健闘しました。愛知県立成章高校は平安高校に1点差の惜敗、滋賀県立北大津高校は優勝候補の横浜高校に6-2の快勝でした。浜風に乗って大会600号ホームランも出ましたね。エラーもありましたがエラーしたあとの処理が良かった。

たとえ失敗しても、すぐに立ち直って傷を大きくしないということが大切なのですね。

野手のきびきびした動きとか、応援団の統制のとれ方とかは、実際に観戦しないと見れないわけで、晴天の下、久しぶりの高校野球、堪能しました。

帰りは灘の酒蔵「福寿」に立ち寄り、「桜花見御膳」で初しぼり酒、酔歩満跚。

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家を売る

陋屋の前の桜並木、薄紅色の花房をそこここに目にするようになりました。

昨日は、家を売りに出して初めて、一組のご夫婦が下見に見えました。陋屋は、20年前の売り出し当時、同じ棟のなかでは最高の競争率の人気の部屋でして、家内が当選のくじを引き当てて大喜びしたものです。

籤運に強い人でしたね。結婚当時、カラーテレビ、旅行券などいろいろなものを引き当ててくれて随分生活の助けになりました。

漫画家のやなせたかしさん、体操の小野清子さんなどが講師のキッコーマンが初めて企画した「奥様洋上大学」とやらに応募して、20名ぐらいのお仲間と一緒にハワイにクルーズさせてもらったりもしていました(まあ何と言いましても、私を引き当てたのが最高の当たりだったということではないでしょうかー「飲み過ごしてなにを寝惚けた事言ってるの」)。

今回、もちろん当時の値段とは比べ物にならない価格設定なのですが、いざ売るとなるとさまざまなことを思い出し、売れて欲しいような欲しくないような複雑な心境です。

でもあと10年かそこら、ここで一人で生きていくのもなにかと大変だし。

桜咲く さんざめく人陽の光  背を向けひとり家を売る我   

瓏山