七月ー1
七月の瓏山です。
○時の章
今日で当地に引っ越してきて丁度一年になりました。
これまで東京には、生まれて幼稚園まで住んでいた杉並和泉町のほか、勤め人になってから東京を出たり入ったりする中で、中野区桃園町、杉並区南荻窪、目黒区八雲、杉並区高円寺、練馬区富士見台、杉並区善福寺、八王子市別所と移り住んできましたが、多分終の棲家となるこの福生市、空気もよく、緑も多く、眺望も広々と開け、都市機能もそれなりに充実していて結構気に入っております(都心に飲みに出かけるには少々億劫ですが)。駐留米軍のおかげで毎日君が代も聴けて日本国民であることを自覚できますし。そろそろなにか小さなことでも地域に結びつくようなことを見つけて取り組んでいきたいと思います。
○本の章
面白かった本
●「欧米の旅」 野上弥生子 岩波文庫3巻
著者が53歳の時、法政大学名誉教授の夫が日英交換教授として渡欧するのに伴われて、昭和13年秋から一年間あまりにわたって、東アジア、インド、エジプト、ギリシャ、ヨーロッパ各国をめぐり、欧州での第二次大戦勃発によりアメリカを経て帰国するまでの旅行記です。
漱石門下、明治の女性の知性と教養が行間にあふれる文章も素晴らしいのですが、当時のイタリアやドイツでのムッソリーニやヒトラーの姿、ロンドンの戦時議会でのチャーチルやチェンバレンの様子、内戦直後のスペインの王宮、プラド美術館、トレドなどのいまでは想像もできない荒廃した状況、ハーバード大学でライシャワー助教授に会った時の様子などが女性の目でいきいきと描かれていて興味つきません。
それにしても、現代ほど情報のない当時の女性が、ギリシャローマフィレンツエの美術、建築など古代中世の芸術に関してこれほどまでに豊富な知識を持っていたことには驚かされます。今の作家といわれる人の内果たして何人が彼女の造詣の深さに太刀打ちできるでしょうか。
文中にイタリア留学中のSとして登場する子息である野上素一さんは、私の学生時代は文学部の教授で、寮のコンパにときどき顔を出され膝を交えて談笑させていただいたこともあるのですが、そのSが当時の錚々たるローマ大学教授陣に囲まれて口頭試問を受けるのを(最高点だった)滞在中許されて傍聴する件りは、そこだけは冷徹な作家の目ではなく感情を抑えながらも母親の目で描かれており、あの野上教授のぷっくりした顔が思い出されて微笑ましく思いました。
筆者の後書きに「運命的に変貌する欧米の最後の姿を記述する機会を偶然に与えられたことを喜んでいる」とありますが、まさにその意味からも、今この時代に読み返されるべき貴重な著作だと思います。
●「杜甫」 宇野直人 江原正士 平凡社
杜甫もまた、李白と同様、仕官のために流浪するなかで幾多の名作を遺したのですね。
戦乱の時代、夫や息子を戦地に送り出す残されたものの悲哀を取り上げた数々の歌が万葉防人の歌と二重写しになって特に印象に残ります。
「痛飲狂歌空度日」(痛飲狂歌してむなしく日をわたる)、まさにいまの瓏山の姿でございます。
「促織」(蟋蟀)、 コオロギの鳴き声が機を織るのを促すように聞こえるというところからきた題名ですが、その一節にある「悲糸急管」( 悲しい弦の響 切迫した笛の音)、人形浄瑠璃の一幕が目に浮かんでくるようです。このような言葉を紡ぎだせる詩人の感覚!
○碁の章
本因坊戦第5局、テレビ放送の後、日本棋院のHPでフォローしていましたが、高尾九段の中押し勝ちとなりましたね。素人目ながら本シリーズ初めて高尾さんの持ち味が出た一局だったように思います。棋界最高峰の両者のやり取りは全く私などの理解の範疇を越えているのですが、第4コーナーを回った追い込みで先行馬を捉えるという形を碁で実感させてくれた高尾九段らしい会心譜だったのではないでしょうか。次回もこのような素人も面白かったと思えるドラマチックな試合を見せてほしいです。
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