7月ー3
7月後半の瓏山です。
そぞろ歩きの章
○猛暑が続いた後の曇り日に、かねて一度訪れたいと思っていた秩父に出かけました。
拝島から八高線で東飯能に出、西武線に乗り換えて秩父まで、結構近いと思っていたのですが、全部単線なので、列車のすれ違い、乗り換えの待ち時間を含めだいたい2時間の行程でした。
東飯能を出て次の高麗から列車は山間の渓谷沿いにゆるやかに登っていきます。平日の午前なので流石に乗客は少ないです。
終点の一つ手前の横瀬で山間を抜け、武甲山を背景に秩父の街並みがひらけます。
秩父神社は12月の夜祭りで有名ですが、丁度7月の秩父川瀬祭りの準備で、門前町は活況を呈しておりました。
秩父名産の漬物屋の店頭に並べられているいろとりどりの漬物の産地がほとんど中国産だったのには驚きました。秩父の山奥(秩父の方ごめんなさい)まで中国が進出しているとは。これからは土産物を買うにも眼鏡が必要です。
そう言えば、あの毒入りぎょーざ、どこへ行っちゃったんでしょうかね。
こちらの漬物はなんといってもしゃくし菜ですね。正式には雪白体菜と言うそうで秩父地方の保存食です。秩父の山を望んで一杯やるにはぴったりです。
○柴又
老人どもの集まりがあり、柴又に出かけました。私にとっては都内をこえて更に川向う、乗り換えを含め3時間弱の遠出です。さぞかし帝釈天様も遠方からの参詣を嘉みし賜うたことでしょう。柴又に向かう支線の電車の天井には昔懐かしい扇風機。駅前には寅さんの像、帝釈天境内には渥美清寄進の常夜灯がありました。さすが場所柄ですね。鰻を食って酒を飲み、帰途上野で途中下車してまた一杯、昼酒で盛り上がる元気な老人たちです。
帽子の章
この17日にはわがインペリアルカップルが、カナダ、ハワイへのご外遊から無事帰国されました。国内の解散騒ぎであまりマスコミに取り上げられなかったのですが、我が国にとって大変意義あるものだったのではないでしょうか。
お年を召す中親善外交の実をあげられ誠にお疲れ様でございました(「一平民の分際で’お疲れさま’などとはだいたい言葉遣いが間違っているのではないの」)。
ただ、いつも思うのですが、皇后陛下のあの帽子は気になりますね。
ダイアナ妃など西洋皇室の女性の、顔の造作が大きい、言ってみれば魔女的な顔にはあの帽子がその印象を中和してよく似合うのですが、わが皇后陛下の如き楚々とした大和撫子が、前額に河童のお皿のような帽子をちょこんと乗せておられるお姿からは気高さというよりむしろ似合わないものを身につけられてのお痛わしさすら感じさせられてしまうのです。
皇室を尊崇し皇后陛下を敬愛すること人後に落ちぬ身ではありますが、脱亜入欧は明治の不平等条約時代の話、世はチェンジの時期でもあり、あえて不敬を顧みず申し上げれば、そろそわが皇室も、鹿鳴館から続く西洋式礼装を脱却されて日本古来の伝統衣装に立ち返られてはどうでしょうか。胴長短足というわが民族の特徴をもっとも生かす衣装は美しい和服なのですから(「いつまでたっても女性の帽子となるとむきになる人やね」)。
イベントの章
○25日は両国の花火大会、帰りの雑踏を避けて早めに帰宅しようと立川駅まで来ましたら、ここも大変な人出、昭和記念公園花火大会でした。若い女性のゆかた姿もいいものです。家に帰れば、ベランダから望む秋川の花火。近くの公民館広場では盆踊り大会。
そういえばこの日は大阪では天神祭本宮、 船渡御の日でしたね。あちらの花火も盛大だったことでしょう。
○上海で観損ねた中国雑技団の公演がなんと当地の市民会館であるというので、孫を連れて出かけました。
昨年原宿で公演したフランスの「ドラリオン」は、大仕掛けの舞台装置、閃光と大音響で驚かされましたが、こちらは、舞台装置、背景音楽ともにシンプルで素材の良さで勝負する内容です。
詩的な日本語による進行も感じ良かったです。
紗の幕に包まれた幻想的なシングルハンドバランシング、何段にも重ねたガラスの杯や2枚の傘を足で自在に操る美しい技、1台の自転車に12人が乗って舞台を回る力技など流石に息をのむパーフォーマンスでした。
外国に派遣されるのは、雑技団の中でも特に選抜された精鋭だそうですが、さもありなんという感じでしたね。
なにかと気になることの多い隣人ではありますが、故宮の芸術品、この雑技団など素晴らしいものがあることも率直に評価しなければとは思うのです。
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