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2009年7月

7月ー3

7月後半の瓏山です。

そぞろ歩きの章

○猛暑が続いた後の曇り日に、かねて一度訪れたいと思っていた秩父に出かけました。
拝島から八高線で東飯能に出、西武線に乗り換えて秩父まで、結構近いと思っていたのですが、全部単線なので、列車のすれ違い、乗り換えの待ち時間を含めだいたい2時間の行程でした。
東飯能を出て次の高麗から列車は山間の渓谷沿いにゆるやかに登っていきます。平日の午前なので流石に乗客は少ないです。
終点の一つ手前の横瀬で山間を抜け、武甲山を背景に秩父の街並みがひらけます。

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秩父神社は12月の夜祭りで有名ですが、丁度7月の秩父川瀬祭りの準備で、門前町は活況を呈しておりました。

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秩父名産の漬物屋の店頭に並べられているいろとりどりの漬物の産地がほとんど中国産だったのには驚きました。秩父の山奥(秩父の方ごめんなさい)まで中国が進出しているとは。これからは土産物を買うにも眼鏡が必要です。

そう言えば、あの毒入りぎょーざ、どこへ行っちゃったんでしょうかね。

こちらの漬物はなんといってもしゃくし菜ですね。正式には雪白体菜と言うそうで秩父地方の保存食です。秩父の山を望んで一杯やるにはぴったりです。

○柴又
老人どもの集まりがあり、柴又に出かけました。私にとっては都内をこえて更に川向う、乗り換えを含め3時間弱の遠出です。さぞかし帝釈天様も遠方からの参詣を嘉みし賜うたことでしょう。柴又に向かう支線の電車の天井には昔懐かしい扇風機。駅前には寅さんの像、帝釈天境内には渥美清寄進の常夜灯がありました。さすが場所柄ですね。鰻を食って酒を飲み、帰途上野で途中下車してまた一杯、昼酒で盛り上がる元気な老人たちです。

帽子の章

この17日にはわがインペリアルカップルが、カナダ、ハワイへのご外遊から無事帰国されました。国内の解散騒ぎであまりマスコミに取り上げられなかったのですが、我が国にとって大変意義あるものだったのではないでしょうか。
お年を召す中親善外交の実をあげられ誠にお疲れ様でございました(「一平民の分際で’お疲れさま’などとはだいたい言葉遣いが間違っているのではないの」)。
ただ、いつも思うのですが、皇后陛下のあの帽子は気になりますね。
ダイアナ妃など西洋皇室の女性の、顔の造作が大きい、言ってみれば魔女的な顔にはあの帽子がその印象を中和してよく似合うのですが、わが皇后陛下の如き楚々とした大和撫子が、前額に河童のお皿のような帽子をちょこんと乗せておられるお姿からは気高さというよりむしろ似合わないものを身につけられてのお痛わしさすら感じさせられてしまうのです。
皇室を尊崇し皇后陛下を敬愛すること人後に落ちぬ身ではありますが、脱亜入欧は明治の不平等条約時代の話、世はチェンジの時期でもあり、あえて不敬を顧みず申し上げれば、そろそわが皇室も、鹿鳴館から続く西洋式礼装を脱却されて日本古来の伝統衣装に立ち返られてはどうでしょうか。胴長短足というわが民族の特徴をもっとも生かす衣装は美しい和服なのですから(「いつまでたっても女性の帽子となるとむきになる人やね」)。

イベントの章

○25日は両国の花火大会、帰りの雑踏を避けて早めに帰宅しようと立川駅まで来ましたら、ここも大変な人出、昭和記念公園花火大会でした。若い女性のゆかた姿もいいものです。家に帰れば、ベランダから望む秋川の花火。近くの公民館広場では盆踊り大会。

そういえばこの日は大阪では天神祭本宮、 船渡御の日でしたね。あちらの花火も盛大だったことでしょう。

○上海で観損ねた中国雑技団の公演がなんと当地の市民会館であるというので、孫を連れて出かけました。
昨年原宿で公演したフランスの「ドラリオン」は、大仕掛けの舞台装置、閃光と大音響で驚かされましたが、こちらは、舞台装置、背景音楽ともにシンプルで素材の良さで勝負する内容です。
詩的な日本語による進行も感じ良かったです。

紗の幕に包まれた幻想的なシングルハンドバランシング、何段にも重ねたガラスの杯や2枚の傘を足で自在に操る美しい技、1台の自転車に12人が乗って舞台を回る力技など流石に息をのむパーフォーマンスでした。
外国に派遣されるのは、雑技団の中でも特に選抜された精鋭だそうですが、さもありなんという感じでしたね。

なにかと気になることの多い隣人ではありますが、故宮の芸術品、この雑技団など素晴らしいものがあることも率直に評価しなければとは思うのです。

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7月ー2

7月中旬の瓏山です。

気候の章

当地も昨日梅雨が明けました。いよいよ夏本番です。アロハと浴衣の季節ですな。

それにしても、最近北海道に雨マークが多いですね。今日もあちらは大雨のようです。そもそも北海道は梅雨が無いのが売り物で、かの地の6月は一年を通じての最高のシーズンだった筈なのですが。
だいたい梅雨前線というのは日本南岸沖に停滞するものだったのに、最近は日本海側にあることが多いようなのが原因なのでしょうか。
そういえば北海道を襲う台風も増えてきているようですが、以前は台風も来ないことになっていて、昭和58年ごろでしたか、滅多に来ない台風が襲来して、大雨対策などしていない札幌市内が水浸しになったのを覚えています。

最近、テレビでは熱中症予報まで出るようになりました。われわれ子供の頃は、多少の暑さでひっくり返るような奴はいなかったように思うのですが、気候変動とともに体質も変動しているのでしょうか。

本の章

平成万葉集が中央公論社からこのほど出版され、入選者に送られてきました。

このところ世間様に評価されること絶えて久しい老人にとっては、自分の名前が活字になるのは、泥酔して公園で裸になりお巡りさんに捕まった時ぐらいかと思っていましただけに、、新しい本の中に自分の名前を見つけるのは、それが虫眼鏡で見るような大きさであっても、ささやかにして密かな喜びでございます。

送られてきた歌集を改めて読み直してみると、話し言葉、散文が素直に歌になった形式のものも多く見られます。若い人たちが、従来の枠にこだわらず和歌という形を借りて自由に自分の思いを表現することが新しい和歌の流れとなりつつあるということでもあるのでしょうか。

万葉集以来、和歌といえば文語のたおやかな世界、’秘すれば花’のやりとりと思っている人間には、この流れ、率直に言って些かの戸惑いもあるにはあるのですが、拙い歌が採用された身として文句を言える筋合いじゃありませんよね。

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酒の章

終に私に合った赤をひとつ見つけたような気がします。
ワインも安いのを中心にかなり飲んではいるのですが、感性が低いせいか超高級のワインを知らないせいか、特に赤については、重いのも軽いのもなにかもう一つ有難味がわからないところがありました。

穂坂カベルネ・ベリー2008 本坊酒造
しつこく主張せず、しかも個性があり、飲んでも味は変わらず、値も年金生活者にぴったりということで、味付けいい加減、和風洋風不明のやもめの手料理には相性抜群です。

PCの章

先月やっと機嫌を直してもらったPCがまたもや愚図つき出し、またまた丸一日試行錯誤の末、IE8を削除してなんとか動くようになりました。PCにとっても使い手にとっても暑い夏です。

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七月ー1

七月の瓏山です。

○時の章

今日で当地に引っ越してきて丁度一年になりました。
これまで東京には、生まれて幼稚園まで住んでいた杉並和泉町のほか、勤め人になってから東京を出たり入ったりする中で、中野区桃園町、杉並区南荻窪、目黒区八雲、杉並区高円寺、練馬区富士見台、杉並区善福寺、八王子市別所と移り住んできましたが、多分終の棲家となるこの福生市、空気もよく、緑も多く、眺望も広々と開け、都市機能もそれなりに充実していて結構気に入っております(都心に飲みに出かけるには少々億劫ですが)。駐留米軍のおかげで毎日君が代も聴けて日本国民であることを自覚できますし。そろそろなにか小さなことでも地域に結びつくようなことを見つけて取り組んでいきたいと思います。

○本の章
面白かった本

●「欧米の旅」 野上弥生子  岩波文庫3巻

著者が53歳の時、法政大学名誉教授の夫が日英交換教授として渡欧するのに伴われて、昭和13年秋から一年間あまりにわたって、東アジア、インド、エジプト、ギリシャ、ヨーロッパ各国をめぐり、欧州での第二次大戦勃発によりアメリカを経て帰国するまでの旅行記です。

漱石門下、明治の女性の知性と教養が行間にあふれる文章も素晴らしいのですが、当時のイタリアやドイツでのムッソリーニやヒトラーの姿、ロンドンの戦時議会でのチャーチルやチェンバレンの様子、内戦直後のスペインの王宮、プラド美術館、トレドなどのいまでは想像もできない荒廃した状況、ハーバード大学でライシャワー助教授に会った時の様子などが女性の目でいきいきと描かれていて興味つきません。
それにしても、現代ほど情報のない当時の女性が、ギリシャローマフィレンツエの美術、建築など古代中世の芸術に関してこれほどまでに豊富な知識を持っていたことには驚かされます。今の作家といわれる人の内果たして何人が彼女の造詣の深さに太刀打ちできるでしょうか。

文中にイタリア留学中のSとして登場する子息である野上素一さんは、私の学生時代は文学部の教授で、寮のコンパにときどき顔を出され膝を交えて談笑させていただいたこともあるのですが、そのSが当時の錚々たるローマ大学教授陣に囲まれて口頭試問を受けるのを(最高点だった)滞在中許されて傍聴する件りは、そこだけは冷徹な作家の目ではなく感情を抑えながらも母親の目で描かれており、あの野上教授のぷっくりした顔が思い出されて微笑ましく思いました。
筆者の後書きに「運命的に変貌する欧米の最後の姿を記述する機会を偶然に与えられたことを喜んでいる」とありますが、まさにその意味からも、今この時代に読み返されるべき貴重な著作だと思います。

●「杜甫」 宇野直人 江原正士 平凡社

杜甫もまた、李白と同様、仕官のために流浪するなかで幾多の名作を遺したのですね。
戦乱の時代、夫や息子を戦地に送り出す残されたものの悲哀を取り上げた数々の歌が万葉防人の歌と二重写しになって特に印象に残ります。

「痛飲狂歌空度日」(痛飲狂歌してむなしく日をわたる)、まさにいまの瓏山の姿でございます。

「促織」(蟋蟀)、 コオロギの鳴き声が機を織るのを促すように聞こえるというところからきた題名ですが、その一節にある「悲糸急管」( 悲しい弦の響 切迫した笛の音)、人形浄瑠璃の一幕が目に浮かんでくるようです。このような言葉を紡ぎだせる詩人の感覚!

○碁の章

本因坊戦第5局、テレビ放送の後、日本棋院のHPでフォローしていましたが、高尾九段の中押し勝ちとなりましたね。素人目ながら本シリーズ初めて高尾さんの持ち味が出た一局だったように思います。棋界最高峰の両者のやり取りは全く私などの理解の範疇を越えているのですが、第4コーナーを回った追い込みで先行馬を捉えるという形を碁で実感させてくれた高尾九段らしい会心譜だったのではないでしょうか。次回もこのような素人も面白かったと思えるドラマチックな試合を見せてほしいです。

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