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2009年4月

再び昭和記念公園

春風に誘われ、電車で4駅の昭和記念公園に出かけました。昭和天皇誕生日の今日は入場料ただなのです。

広い庭園なので、人混みとまではいかないまでもかなりの人出です。前回出かけた時は銀杏の葉が黄ばんで木枯らしがふいていましたが、今回は木々の緑の中に花が咲き乱れ春たけなわの様相です。花の名前はほとんど知らない私でも、そこここに咲いている花の美しさはわかります(写真をクリックすると拡大します)。

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シラン 花の名前です。しゃれではありません。

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航空自衛隊ブラスバンド。女性自衛官のパーカッションがクール。

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中神口から立川口に前回とは逆の経路。広い公園ですが方向感覚はつかめました。

昭和天皇ご遺徳のおかげで快晴、瓏山花の一日でございました。

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青天白日

手術で取り出した胆嚢の細胞検査の結果を聞きに昨日病院にでかけました。判決を待つ気持ちでなんとなく落ち着かない3週間でしたが、結果は良性とのこと、現金なもので、病院を出れば空の色も鮮やかに見えます。青天白日の身とはこのことでしょうか。

これもいろいろな人が陰ながら守ってくれているおかげと思えば、これから怠けずに心と体を鍛えていかなければなりませんな。

でも、とりあえずは祝杯です。歌の件とあわせ盆と正月が一緒に来た老人は、昼過ぎからいそいそと馴染みのトラットリアに出向き、まずはティオ・ペペを1杯、普段は高すぎて注文しないボルドーの赤を開け、いつになく上機嫌で女性のソムリエさんと話をし、食後のコニャックをいただき、酔歩蹣跚陋屋に帰宅、早々にベッドにもぐりこみ、安らかな眠りにつきました。

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平成万葉集

家内の葬式を出す日の朝、喪服をまといながらふと心に浮かんだある感慨がありました。
なんとなく口ずさんでいましたら、一首の和歌らしきものになりました。

その後、どういうわけか、これまで歌などに無縁だった私が、折にふれての心境を「歌のようなもの」に凝縮して託すことに興味を持つようになりました。

どうも、家内との別れがきっかけになって、私のような無粋な人間にも歌心のようなものが芽生えたのかも知れません。

夫婦というのは、親子と違って血のつながりは無いのに、親や子供以上に生きていく中での時間をながく共有する不思議な存在だから、片方の欠落がこのような感情を誘発するのでしょうか。

昨年の秋ごろでしたか、ネットで読売新聞を読んでいましたら、万葉集の最終歌が大伴家持によって詠まれてから1250年になるのを記念して編纂する「平成万葉集」への短歌が募集されていました。

選者には、錚々たる歌人に加え、私の憧れの的である檀ふみさんも入っています。
壇ふみさんのお目に留まるのであれば、試しにちょっと応募してみようかということで、ジャンル的には挽歌になる数首を選んで投稿し、そのまま忘れていましたら、今年の3月初旬になって、あなたの作品が3次の選考を経て最終選考の候補に残っているということで、応募内容の確認の文書が送られてきました。

さてこうなると採用されるかどうか大変気になります。3月が過ぎ、4月も下旬になるのに何の音沙汰もなく、やっぱり駄目だったか、もともと和歌の基本もやってないのだから無理だよな、と諦めていましたところ、今朝、ポストを覗きましたら、何と読売新聞社からの入選のお知らせ、結構気分が高揚しましたね。

なんであれ久しぶりの合格の知らせです。こういう知らせは、年取った庶民にとっては、位階勲等など抜きに嬉しいものでございますな。
うきうきhappy01(「まるで学校の入試に受かったみたいな喜び方やね」)。
でも、こんなことを言いそうな人間との別れがきっかけでこの結果を生じたと思えば複雑な心境にもなるのですが。

29日の昭和天皇誕生日に、採用の歌(千首なのですから自慢にはなりません)が読売新聞本誌とHPに発表される予定のようなので、読売新聞、近くのコンビニに買いに行こうかなと思っています(「ひょっとして読売巨人軍の読売、嫌いではなかったの」)。

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久しぶりの大阪

会合の打ち合わせがあり、ひさしぶりに大阪に出向きました。JR大阪駅は訪れるたびに変わっています。南側の阪急百貨店もようやく新装の姿を現しつつあり、北側はかっての梅田貨物ヤードの真ん中を大きく道路が走り、以前は眼をつぶっていても歩けた駅の中は迷路のようになって来るたびにうろうろさせられます。

半世紀の歳月は、南側の闇市と北側に大きく広がっていた汐留に続く日本2位の梅田貨物駅に囲まれていた駅周辺の情景を跡形もなく変えてしまいましたが、当時勤め人になって初めて配属された、駅西方の一角に建つかっての勤め先、昭和初期に建てられた4階建ての古ぼけたビルだけは、どういうものか、この間の激しい周囲の変貌のなかにあって、かろうじてその姿をとどめております。

このあたりが掘割をめぐらして船運の場でもあり、紙の集積地でもあった当時を知る人も少なくなりました。

我が家に帰りついて、ラジオ体操しましたら、手術後初めて、腕を振ったり反り返ったり飛び跳ねてもびくびくすることなく体を動かせるようになっていることに気がつきました。sunsunsun

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お気に入りの場所

春たけなわ 陋屋周辺のお気に入りの場所です。

市営球場

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公民館さくら会館

003 公衆便所を飾る桜

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忠霊塔

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雑木林の中の図書館

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小学校プールの花筏

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もの思わせる桜

大阪の前の住処のそばを流れる淀川の支流、大川は、毛馬から淀屋橋に至る両岸に桜並木が連なる桜の名所でして、開花を待ちかねて大阪城を望みながらの散策を家内と二人でよく楽しんだものでした。

新しい住まいの近く、多摩川堤防の桜並木もさすがに素晴らしく、散るのが惜しくて毎日散歩に出かけるのですが、そのたびにかっての大川での折につけての情景が思い出されます。

さまざまの事おもひだす桜かな   芭蕉

家内が最後の入院をした春病院の前庭に咲き誇っていた桜を思い出していた昨年の今頃、友人の宗匠に教えてもらった一句です。

桜の花がはなやかであればある程、見る人間の感傷もより深まるということなのでしょうか。

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誤探知

北朝鮮のミサイル発射騒ぎは、病院で手術後の無聊をかこつ身にとって恰好の出来事でございました。

一連の我が国の対応は、平和ぼけしている国民に対する、ある方面の思惑による一種の啓蒙活動なのかなと思っておりましたが、「誤探知」まで行ってしまうと却って逆効果だったのかも知れませんね。

水鳥の羽音におびえる富士川の平家。北の将軍様も思わぬ空騒ぎに手を叩いてお喜びになったのではありますまいか。

情報と兵站の軽視が先の大戦における日本軍の根本的欠陥とされておりますが、今回の情報伝達の経緯をみるとまだその戦訓は生かされていないようであります。

そもそも自らが間違っていたことを国民に連絡するのに、「誤探知」のような偉そうな専門用語を使うこと自体違和感を覚えます。電話などで「ごたんち」と言われてわかる人がいるでしょうか。「おたんちん」、「おたんこなす」ならともかく(「手術後のせいかずいぶんとご機嫌ななめのようやね」)。

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放免

腹腔鏡下胆嚢摘出手術、年を取っている割には順調に推移しまして今日のお昼頃、陋屋に生還しました。病院では手術の翌日から歩かされましたが、お腹に4つほど穴を開けられただけでも立ち居振る舞い結構大変なものですな。胸を張れず肩を落としてとぼとぼと歩き、芋虫のように蠢きながら一寸刻みに体を動かし何分もかかってベッドの上り下りをするなど我ながら滑稽な姿ではあります。

でも、一人の人間のために、何人ものお医者さんや看護婦さんがチームを組み、何時間もかかって手術をやり遂げてくださるということは、この世の中に於いて大変尊い行為なのだということは、今回自分がその立場に立たされて初めて痛感いたしました。

このような至れり尽くせりの手当など受けるべくもなく、大戦当時、消毒薬さえも不足するなかで、瘴癘の地の名ばかりの野戦病院で死の床に就いていた父親など何十万の将兵たちのことなど改めて思いながらも男らしくもなく(「性差別表現やね」)ひいひいぜえぜえ言いながら、手術後の体を何本もの管に繋がれ悶えておりました。

ポリープと見えたのは1cm大の石2個だったのですが、精密検査の結果が出るまで執行猶予を申し渡されております。

入院中、ずっと多摩川の桜が気になっておりました。今日あたりがピークなのではないかということで、昼前に帰ってすぐ、付き添いに来てくれた娘と連れ立って出かけましたが、いや想像していた以上の見事な桜並木です。

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桜のトンネルをくぐって、造り酒屋がやっている蕎麦屋に辿り着き、かめ口しぼりたてを1杯、また1杯、五臓六腑(五腑?)に沁み渡りますな。胆嚢無くても酒はどうやら大丈夫のようです。

百年に一度の不況知らぬげに桜は咲きぬ常のごとくに

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