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2009年3月

ついに御用

大阪に住んでいた頃、義理の弟のお医者さんから、胆嚢にポリープがあるのでこれがさらに大きくなるようだったら気をつけたほうがいいよと言われておりました。

先月ふと思いついて、住居に併設されているクリニックで2年ぶりに超音波検査をしてもらいましたら1センチを超えるポリープがあるということで当地の公立病院を紹介され、このひと月間、CTだの周りの循環器の検査だの受けておりましたが(この間の胃カメラもその一環)、ついに「御用だ!神妙にいたせ!」ということになりました。

「脂肪の塊の可能性もあるんじゃないですか、もう年なので無理にとらないでもうすこし成長を見守ってやってもいいんじゃないですか」などと逃げ回るのですが、「そうでない可能性もあるし、元気なうちに処置したほうがいいですよ、今なら切らずにお腹に穴を開けるだけで済むので簡単、1週間で退院できますよ」などと捕り手の包囲網は狭まります。

なにしろ物心ついてから初めての手術なんですから、腹に穴を開けるのが簡単だなどとはとても了見できません。夏の発表会を目指して折角覚えかけている踊りの所作も忘れるし、名取への道も遠ざかるじゃないですか。

まあしかし、これも家内が自分のような目に遭わないように計らってくれているのかも知れず、観念してお縄を頂戴、この4月1日、永年尽くしてくれた胆嚢にお別れすることになりました(エイプリルフールではありません)。

一応遺言を書き直し、まさかの時の尊厳死依頼文書を近くにいる長女に託し、葬式の時の格好良い遺影の写真を選んでパソコンに保存し、飲みだめ、旨い物の食いだめをし、目下文字通り腹を括って入院に備えております(「腹腔鏡手術ぐらいでほんまに大袈裟な人やね」)。

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日米交流合同音楽会

防衛省と在日米軍は、各地で、地元との交流を様々な形で行っていますが、この日曜、北関東防衛局(防衛局というのもあちこちにあるのですね)が主催し、米軍横田基地と福生市が協賛する「日米交流合同音楽会」が開催されるというので覗きに行きました。

福生第一中学、福生高校、基地内にある横田ハイスクールのブラスバンド、地元の福生吹奏楽団、それに米国空軍太平洋音楽隊ーパシフィック・トレンズのジョイントコンサートです。

入場は無料ですが、満席ということはないだろうとたかをくくって、歩いて5分のところにある公民館に出かけましたら、なんと1100席の会場がほぼ埋まる盛況でした。米軍関係者も多いようでしたが、音楽には縁遠いような(失礼)おじさんおばさんもつめかけていたのには、ちょっと驚きました(当地の文化水準は高いのでは)。

女子が多い福生中学、高校のバンドは、ともに関東のコンクールで銀賞をとっているとかで結構レベルが高く、特にクラリネットのソロは良かったですね。テクニック、高音低音の音色の豊かさもさることながら、高校の制服のきゃしゃな女の子が、大聴衆を前に大人の吹奏楽団を従え、難しいフレーズをひとり臆することなく演奏する舞台度胸がすごい。

尺八にせよ踊りにせよ、舞台に上がると何かしらへまをやらかす72歳の男とは雲泥の差ですな。

米国空軍音楽隊というのは、軍人とはいえ、厳しいオーディションで選抜されたプロ級のミュージシャン達で編成されているのだそうですが、今回出演したパシフィック・トレンズは、ボーカルの男女二人、キーボード、ギター、ドラムスの7人編成で、ポップス、ロック、カントリーなど幅広いレパートリーを持っており60分に渡って披露してくれた演奏は流石に迫力がありました。

なかでも、ブラスをバックにプレスリーやポールアンカのロックンロールメドレーは、半世紀前の思い出がよみがえる感じで久しぶりに血が騒ぎましたね。日本のどこであってもおいそれと聞けるものではないのではないでしょうか。これがここ福生で、しかもただで聞けるなんて。

こういう本場ものを外国に駐留する自国の兵士にいつでも提供できる米軍の一面を見た気がします。

このようなイベントにときどき巡り合えるのも基地の街に住む余禄でしょうか(憲法9条墨守、基地無条件撤廃派のかたがたには、何を脳天気なことを言っておるかと叱られるかな)。

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多摩河原

桜の開花予報が聞かれるようになって、多摩川堤防の桜が気になりだし、様子を見に出かけました。以前、自転車で走った道を今回はウオーキングです。玉川上水取水口までほぼ1時間余り。快晴ながら風は冷たく、流石に蕾はまだ固いようでした。しかし上水沿いに続く桜並木、開花すれば壮観でしょうね。腰を落ち着けて一杯傾けながらの花見に適当な場所をいくつかロケハンしました。月末と言われる開花が待ち遠しいです。

大阪の住まいとこちらでは、どちらも川辺に近いところは共通しておりますが、多摩川もこの辺まで遡ると、まわりに田園風景なども開けてきて、鄙びた雰囲気も捨てがたいものがあります。

かろやかに雲雀はあがる見はるかす多摩の河原に風は光りて

取水堰から羽村に出、またまた青梅を経由して沢井に。車内は、吉野梅郷に向かう中高年の女性客で満員です。日向和田あたりの車窓から対岸の山あいに煙霞のたなびくごとく咲き誇る梅林が望めます。こちらは花より団子、渓流沿いの澤の井酒造庭園で、陽光の下、おでんと湯豆腐で澤の井大辛口です。

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胃カメラ

わたくし瓏山、自慢ではありませんが、「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるはこれ孝の始めなり」の教えを拳拳服膺し、この年に至るまで体にメスを入れられた経験がございません(「単に意気地がないというだけのことではないの」)。

これまでもお医者の義弟から、バリウム検査など時代遅れだと、胃カメラを何度も勧められたのですが、注射でもできれば避けたいのに、あのような無機物の管が体の中を這いまわることを想像すること自体おぞましく、丁重に辞退してまいりました。

逃げ回っていたのですが、このたびわけあってついに御用となり、地元の病院で内視鏡検査を受ける破目になりました。病院から渡された予約表には、検査にあたって、唾を飲み込むなとか、げっぷをするなとか、喉を狭くするなとか細かい注意書きがありましたが、そんなことを言われたって、出物腫れもの止まるわけないじゃないですか。看護婦さんは、そんな大袈裟なものではないですよ、みんな平気でやってますよ、と老人の不安を落ち着かせてくれるのですが、喉への麻酔薬の塗布、注射などのたびに落ち着かなくなってきます。

悶えながらなんとか終了しましたが、とても平気だったとは言えません。ほとんどの人は眼を開けてスクリーンに映し出される自分の胃の状況を見ているそうですが、私の場合とてもそんな気になりませんでした。肉体的苦痛にとことん弱く、普段偉そうなことを言っていても、拷問を受ければすぐ改宗、転向するたぐいの人間であることがよくわかりました。

持病のせいで年に数回は食道に静脈瘤が出来、その都度行われる内視鏡による処置・手術を、特段へこたれる様子もなく、愚痴も言わず受けていた家内など、私に比べれば結構偉い奴だったのでしょうかね。「人の痛みをわがことのように思う」などと言いますが、そのようなことを口で言ってそんな気になっていたとしても、実は普通の人間にはとてもできないことなのだということを改めて思い知らされたような気もします(「たかが胃カメラぐらいのことであなたも大げさやね」)。

ところで瓏山一世一代の胃カメラ検査の結果は、’青年のような胃’異常なしでしたwinebottlerestaurantこれで死ぬまでOKです。

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お水取り

今日から東大寺では修二会本行のはじまりですね。奈良に住んでいたころの住まいは、二月堂のある丘から奈良街道を隔てた小山の中腹にあり、毎晩、堂の階を駆け上り楼上で振り回される松明の動きを2階からよく望むことができました。

松明の火の粉を浴びると健康に恵まれるということで、満行の夜、焼け焦げてもいいように着古しのコートを着こんで、堂の真下の竹矢来の中で善男善女とともに寒さに震え足踏みをしながらお松明があがるのを待っていたことなど思い出します。

厳しい寒さの中でのお水取りが終われば関西では春、冬を耐えてきたかっての陋屋の周囲の桜の蕾もふくらんでくる頃でしょうか。

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