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2008年11月

ホーチミンシティは晴れ

先週ひとり酒を飲んでぶらぶらしておりましたら、天井の片隅から声、”ここのところまた、世の中を斜めに見る例の癖がでてきたようね。外に出てすこしリフレッシュしてきたら”というご忠告、ごもっともということで、昨晩、成田からANAで深夜のホーチミンシティ(旧サイゴン)に到着、ニューワールドホテルサイゴンにチェックインしました。

時差が2時間ありますので、ベッドにもぐりこんだのが、日本時間の3時、今朝のサイゴンは一応晴れで、気温は24度、まずまずです。

ホテルの前は大きな木立に包まれた公園で、体操、ジョギングする人々、朝からディスコミュージックをかけて踊っている若者の集団もいます。取り巻く道路はバイクの洪水、聞きしに勝る騒音です。

今回は、ホーチミンシティだけですが、東南アジアで、ベトナムは来たことがなかったので街歩きが楽しみ、今日は、サイゴン川周辺を探検して、うまい(しかも円高ですぞ)フランス料理を食いたいと思っております。

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憎まれ口瓏山

最近よくわからないことふたつみつ

○クリスマスを控え、旅行代理店の店頭には「二人で行きたい○○」というパンフレットばかり。 世の中に、旅をしたりレストランで食事をするのは二人連れだけなのか。

○インフルエンザの予防にワクチン接種をと大がかりに国民を啓蒙しますが、 いざ接種を受けようとすると、医院では、 接種に伴う危険を了承する文書に署名させられる。
 なら初めから呼びかけないでよね。

○「犯人は右利き」と鬼の首でも取ったかのように何回も報道。
 だいたいほとんどの人はもともと右利きではないのでしょうか。なんでそれがニュースになるの。右足で刺したというのならわかるけど。

○東京のほとんどのスーパーには我が愛飲のサントリーモルツがない。 かっての社長の熊襲発言の影響未だに?

○電車のなかで化粧するのはどういうわけか決まって’ぶす’なのはなぜなのだろう?

そう言えば最近、ぶすが増えた。

○ちゃんちゃんこを着せられた犬、動きにくいし暑いだろうし大変迷惑そうに見えるのですが。 そのうち毛皮のコートを着た犬も?   昔の犬は幸せだった。

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初冬の京都

秋になるとなぜか京都を取り上げたテレビ番組が増えますね。
大阪に住んでいたころは何の気なしに見ていたのですが、離れてすぐに行けない状況になると、そういえば今頃あのあたりの紅葉はどうだろうか、あの料理屋さんの風情はいつもどおりかななどと急に懐かしく思えてくるのは不思議です。

おりとりてはらりとおもきすすきかな  飯田蛇笏

俳人である友人のブログで巡り合ったのですが、こんなたおやかな句もあるのですね。
かな文字ばかりの「り」の3連発からくる透明感、俳句の世界の奥深さを感じさせられます。

で初冬の京都のからかぜに俗人瓏山。

祇園町はらりとかろき袂かな

舞妓さんの、それとも瓏山袂の空財布?
蛇笏先生、信幸宗匠ごめんなさい。

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快晴の青梅

久しぶりの抜けるような青空に誘われて外を歩き回りたい気分になり青梅に出かけました。ここは、JRで奥多摩方面へ向かう途中何度も通過しているだけだったので、一度降りてみたいと思っていたのです。

青梅の街はレトロな雰囲気が売り物で、街道沿いに博物館や赤塚不二夫会館などがあり、あちこちに昔ながらの映画の看板が掛けられています(写真をクリックすると拡大しますー余計なお世話かな)。

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赤塚不二夫のオブジェ

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住吉神社

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鍛冶屋さん、珍しい

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街道沿いの家屋

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宮の平に向かうハイキングコースは結構ハードです。途中山越えに富士山を映したつもりだったのですが。

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秋晴れの中、街歩きと丘陵ハイキングを満喫した一日でした。先週新宿の東急ハンズに出かけてミズノのウオーキングシューズ、大枚はたいて購入しただけのことはありました。

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総理と言葉

小学校時代「国語」が一番好きでして、結構先生、同級生にも実力を認められ、大いに得意になっていたものでした。
3年生のあるとき、なにかで欠席した次の授業で復習の朗読を指名され、えたりやおうと立ち上がってどなたかの随筆の一節を朗々と読み上げたまではよかったのですが、最後の「云々」を「ごんごん」と読んだ途端、クラスは大爆笑、哄笑の渦、
一方何で笑われたのか一向に判らなくてきょとんとしていた自分の姿、
いまでも脳裏に残っており、何かの拍子にひょっと顔を出すのです。
この読み方、私が欠席した授業の重点だったので、日ごろから小生意気な坊主の見事な失敗に皆溜飲を下げたわけでした。

現総理が常日頃「踏襲」を「ふしゅう」と読むのを毎日新聞に指摘され話題になっておりますが、誠に思い込みというのは厄介なものでございます。言葉に限らず、一度脳裏に刷り込まれてしまったものが誤りであるということを自分で気付くのは難しいものですよね。
と言って周囲が上位の人の誤りを指摘するというのがこれまたさらに難しいものだということは勤め人を経験した人間なら誰でもわかっていることでもあります。初歩的な間違いであればあるほど、忠告することによって逆に自尊心を傷つけ、感情を逆なでする恐れがありますからね。

ただ、言葉の専門家であるアナウンサーでも「道草を’食べる’」などと平気でいう時代ですから(多分「食う」というようながさつな表現は放送では使ってはいけないと教育されているのでしょう)、言葉に関する限り、首相の思い込みの一つや二つは、ことさらに目くじらを立てるほどのものではないのかも知れません。

大事なのは国の舵取りという大仕事なのですから(間違いは言葉だけにしていただき、政策の間違いのほうは踏襲することのないよう、なんとかよろしくお願いいたします)。

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たわいのないブログも一周年

ふと思いついてログを繰ってみましたら、このブログ昨年の昨日始めたのですね。いろいろなことがありましたが、月日のたつのは早いものです。

たどたどしい足跡を読み返してみると、やはり公開して人様にお見せするようなものではなかったなと思います。ただ日記と違い、同じ文章を書くにしても、ひょっとしてどこのどなたが見ておられるかわからないという、ある種それなりの緊張感がありまして、プロが文章を構成する際の苦労の100万分の一程度の疑似体験ができたことが、私にとってのささやかな収穫であったともいえましょう。

ブログを通してこの一年の自分を見ていると、亡くなった人間を時にふれ思い出すことにもそれなりに気持の折り合いがつけれるようになってきたようにも思われます。

そろそろこのブログも賞味期限切れかも(「もともと賞味できないものに期限などつけるのはおこがましいのではないの」)。

そこまでおっしゃるならば、瓏山、いますこし続けてみますかね。

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大和証券杯優勝パーティー

昨日はいいことがありました。
将棋の大和証券杯の優勝祝賀会に出かけ、優勝者の渡辺明竜王にサインをもらい、
ツーショットの写真も首尾よく手に入れたのです(にこにこ)。

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当方、将棋は殆どやらないのですが、試合の展開がドラマチックなので見るのだけは好きでして、日曜の教育TVで午前は将棋、午後は囲碁の番組をほぼ欠かさず見ています。

16歳でプロになり、20歳で名人と並ぶ棋界最高位の竜王となった渡辺明先生は、なんといっても華があり、注目する棋士のひとりです。
彼のブログ( http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/ )はその世界では有名ですが、自分の負けた試合の翌日であっても更新を欠かさず、悪びれずに敗戦の詳細な解説をするなど、若い人には珍しい素直さと律儀さ、また器量の大きさが感じられ、常々好感を持っておりました(氏素性を明らかにしてのブログですから、いろいろご苦労が多いのではないかとも思います)。

このパーティもそのブログで知り、早速申し込んで300人の招待客の一人になれたのです。

会場は渋谷のセルリアンタワー、ご無沙汰している間に渋谷にも立派な建物が建っているのですね。田舎者はうろうろしてしまいます。

目下、羽生名人を挑戦者に迎えて竜王戦を闘っている最中の竜王、近くで見るとやはり覇者である人間の持つ圧倒的な精気を感じました。

会場には、TVでおなじみの棋士、女流棋士などの顔が見えます。

前もってホテルのショップでカーフのサイン帳を仕入れた71歳の老人、メインテーブルで談笑する人垣を縫って24歳の竜王に近づき深々と一礼、サインを申し込みます。、
気軽に応じてもらえましたが、好青年流石に貫禄がありましたね。こうなると年齢は何の意味も持ちません。

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常により大きな望みを持ち続ける気構えだと勝手に理解しました。

極上のものに接した思いですっかり良い気分になり、白、赤のワイン、ローストビーフ、フォアグラなど大和証券さんに十分御馳走になり満足の一夜でございました。

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紅葉の橋

市主催の文化教室でのお仲間との舞踊の発表会が終わりました。
場所は地方都市独特のゴージャスな文化会館、文化の日の記念行事の一環です。

ちょっとお化粧するからと言われ、ドーランを塗る程度なら経験もあるわいと軽く考えていたのですが、お化粧のひとに任せているうちに、どんどん、顔、首筋、手首におしろいが塗られ、口紅がひかれ、目元に隈が描かれ、見る見るうちにピエロのようになりました(ハロウィーンは終わってるだろう!)。
今度は着付けのひとが来て、着物を着せかけ一文字に帯を締めてくれます(はてこれは女の結び方ではなかったか)。こちらは立っているだけ。周りは他の出しものに出る女性軍の化粧、着付けで戦場です。目のやり場がありません。師匠は、誰も気にしていないですよというのですが、これは当方が男として認められていないということなのでしょうか。日本舞踊の楽屋はこの年になってのカルチャーショックでした。

邦楽のほうで舞台馴れしていたつもりだったのですが、生まれて初めてのおしろい姿でまったく落ち着かない気分です。見に来ている孫がどんな顔をするかと思うと冷や汗ものです。爺さんの権威に関わりますからね。

緞帳が上がってはじまりです。久しぶりの広い舞台、演じるジャンルは違っても気持ちいいものではあります。演技のほうはといいますと、心得た人が一人でもいると違うのですが、初心者だけが息を合わせて踊るというのは実は至難の技なのでございますね。
踊っているうちに、家内のいつものくすくす笑いがどこからともなく聞こえてくるようで妙な気持になりました。

「紅葉の橋」というこの踊り、扇の扱い方初心者には結構難しいのですが、まずは曲がりなりにも踊り終えて祝着至極。7月から練習してきた同志(全部女性、年齢不詳)と肩を組んで喜び合いました。
小さな挑戦ひとまず成功、今後国立劇場、歌舞伎座目指して頑張ります。

しのび笑い聞くは空音か初化粧形見の扇かざし舞う我

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死者の日

11月2日はカトリックでは死者の日となっており、信徒はミサに与り、墓に詣でたりします。
信徒である丑年の長女に曳かれて四谷のイグナチオ教会に参りました。
大聖堂は参列者で立錐の余地もありません。
多くの人が一堂に集まって心を一つに祈りを捧げるのには、えせ信徒といたしましても、いつもながらすがすがしい思いをさせられます。

ただ、口語形式での信徒参加の祭文に、何か今一つ馴染めないものを感じてしまうのは、一時代前のミサを知る者の郷愁に過ぎないのでしょうか。

「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 西行法師

なにか分からないまでも荘重なラテン語の祭文の流れる中で、自分の心にひとり沈潜して静かに祈りを捧げるようなミサもあって良いのではないかと思うのですが。

帰ってから明日に迫った踊りの発表会のおさらいです。
振りは武骨ながら一応覚えたのですが、問題は間の取り方です。
間が抜けないよう頑張らねば。

はるかなる秩父の山に日は落ちて 窓を鏡に舞う男ひとり

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