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2021年4月27日 (火)

緊急事態宣言

3度目の緊急事態宣言が発令される中、このところ何か目標を定めて進んでいこうという積極的な意欲が薄れ、ともすれば世の中の状況やお上の政策に対してぶつぶつ言いたくなる後ろ向きの蟄居老人です。

それにしても、政府や自治体の施策は、これをやるなあれをやるなということばかり、ろくに小遣いも渡さずがみがみ小言ばかり言う因業親父のようで、これでは息子たる国民が言うことを聞かず反抗するのもむべなるかな。
”健康保持のため一人でマスクを付けて散歩するのは一時間4キロ程度ならええで”ぐらいのことも言えませんかね(欧米なみに)。

国民の命と健康を”しっかり”守ると声高に言いながら言葉のみが一人歩き、感染拡大を変異ウイルスのせいにしているのですが、そもそも変異ウイルスの侵入を許した水際対策は”しっかり”していたのでしょうか。

飲食店の休業などを国民に強いる一方で、政府がやるべき防疫対策、医療体制の整備、効率的なワクチン接種などは”しっかり”と取り進められているのでしょうか。
ここのところの政府のやり方は、意地の悪い見方をすれば、「国民のため」というより、「支持率を落とさないため」、「五輪開催のため」ということの方が優先されているようにも見えるのです(「究極のポピュリズムやね」)。

この状況下では、お上のお達しに素直に従い家に閉じこもっているうちに、コロナには罹患しなくても運動不足でフレイル化し突如心筋梗塞、脳疾患を発症して病院満床のため救急治療も受けられず、あの世に直行となってしまうんやないやろかなどと思っている老人のこの頃でございます。
でも、どちらにしても年寄りが減れば医療費負担が軽減し国家財政健全化に寄与するのでそれもよしということなのかも知れず(とほほ)。

 

2021年4月 3日 (土)

照の富士優勝

〇大相撲3月場所、照の富士3度目の優勝、彼にとっても大関復帰を確実にした忘れられないものになったのではないでしょうか。
表彰式インタビューでの謙虚で落ち着いた応答にも好感が持てました。

大関伝達式後、恒例の大杯を飲み干す姿はなく、周囲とともにビール(ノンアルコール?)での乾杯も印象的でした。
好きな相撲を続けるためとはいいながら、浴びるほど飲んでいた酒を断つというのは、意志薄弱の私奴などには到底真似出来ぬことでございますな(まあ、酒を止めてでも取り組みたいというものが無いというのも情けない話ではありますが)。

かっての照の富士は、やんちゃ、強引という印象があったのですが、TVで見る、奥さん、師匠夫妻、かっての付き人など、周囲が皆感じの良い人なのは、彼の人間性のなせるところなのでしょう。

横綱不在、大関不振のなかでの今回の優勝は、ある意味、運が良かったとも言えるのでしょうが、この運を引き寄せたのは、常人では為しえないこれまでの不屈の努力、ひたむきさだったのだと思います。

老人にとって、往時の栃錦、若乃花以来、60年ぶりに肩入れしたい力士の登場、この運と勢いを生かし次の究極の目標に向かって邁進してほしいものでございます。

しかし、快挙はこれにとどまりませんでしたよね。

4月4日の水泳五輪代表選考会、難病の白血病を克服してレースに復帰した池江璃花子選手の代表を決定する泳ぎも素晴らしかったです。
努力は必ず報われるんだと知ったという涙ながらの彼女の言葉には心を打たれました。

私奴はどちらかと言うと、この時期の五輪開催を疑問視する一人なのですが、池江選手のこれまでの努力とその成果を見るとき、彼女にはオリンピックの舞台を踏ませてあげたいなという気持ちにもさせられるのです。

いずれにせよ、苦境からの二人の驚異的な努力による奇跡的な復活、コロナ下の世の中に一筋の光明をもたらすニュースだったのではないでしょうか。


〇このところ人とのふれあいに餓えている独居老人、最近はSNSなど手近なコミュニケーションツールに手を出すのですが、時を選ばず自分勝手に話しかけられる相手のほうの都合も考えねばなりませんよね。
ラインに淫することのないよう自戒しなければ。

それにしても、最近ツイッターなどで飛び交う荒っぽい言葉は、現下の世相を現すものなのでしょうか。
言葉というものに対して無神経な政治家、役人も目立ちます。
でも、既に60年前,佐藤春夫が遺稿になった詩集「現代日本を歌ふ」で「国語をだに満足に語りえざるは、げに奇怪無比の文化国なるかな」と嘆いているのですよね。
それにしても、雅やか、奥ゆかしさ、慎ましさといった日本人の美徳はどこに行ったのでしょうか。

人との繋がりがあっての人生ではありますが、コミュニケーションの前提は自我の確立、たとえ一人であっても背を丸めず無暗に他人の優しさに縋らない"孤高の老人"という生き方もかっこええんやないかと思う昨今です
(「そないゆうてるけど、”おじいちゃん長生きしてね”とか言われて、でれでれしてるんやないのん」)。

    年古りて脳の皺減り手の皺の

             つとに増えるをじっと見る我

2021年3月19日 (金)

期末

3月に入り、毎朝聞いている何本かのラジオ講座も一区切り、例年のことながら1年間親しんできた講師の方々のお別れのご挨拶をそれぞれ聞く時期となりました。

一方で、大相撲春場所開幕、選抜高校野球も2年ぶりに開催、緊急事態宣言は解除、聖火リレーも間もなく開始ということで、新しい期が始まるとともに鬱屈した世の中が些かでも変わる動きにつながればいいのですが。

その中で、散歩する東京西郊多摩川べりの桜並木も何となく桃色に色づいてきました。
今年は例年になく開花が早そうです。

     谷わたる風懐に我往けば 

               清冽の水面(みなも)に春はたゆたふ


それにしても、最近連日のように日本のあちこちで地震が発生しているのが些か気になります。
何かの予兆でなければよいのですが。

2021年3月 8日 (月)

花粉と国立劇場

3月に入り、ウイルスとスギ花粉の連合軍の攻撃を受け続けている瓏山です。
ウイルスのほうは撃退しているのですが、花粉の攻撃を支えきれず、目のかゆみ、くしゃみに悩まされる毎日です。

カルピスの乳酸菌やヤクルトを飲み、毎日の散歩時には、花粉除けのスプレーを全身に散布し、コロナ対策というよりは花粉防止のためマスクを常時着用、日頃着慣れない帽子を目深に被るなど一応の対策をとっているせいか、去年に比べれば、鼻水が少ないのがまだしもの救いでございます。

そのようななかで、久しぶりに和装に身を正し半蔵門の国立劇場に出かけました。
立川から中央線に乗り都心に向かうのはほぼ半年ぶりでちょっと新鮮な気分です。
演目は、日本博サポーター尾上菊之助の歌舞伎舞踊をメインに、長唄、筝曲、尺八、琵琶、笙、声明から琉球古典音楽に至るまで国内一線級の名手が一堂に会しての競演で、花道際の席だったので、演者の衣装仕草を間近で観察出来、このところの鬱陶しさが吹き飛びましたね。

入場時には、体温計測、手指消毒、チケットは係員に手渡さず観客自身が半券をもぎり、座席は二人おき、退場も一斉にではなく後部座席から順番にということで入念な感染症対策、でも観客はいつもながらの和服姿も多く通常通りの雰囲気の国立劇場でした。

国立劇場の公演回数自体も通常の半数程度に絞られているのですが、気分を高揚させてウイルスに立ち向かうべく、これからも舞台を観に行きたいものです(「せやけど、そんなん不要不急の外出やんかゆうて、西村はんや小池はんに叱られるんやないの」)。

2021年2月21日 (日)

免許更新

老人の運転免許証更新の時期となりました。

今回は、前回までの運転教習所での高齢者講習に加え、警察施設での認知機能検査が義務付けられており、府中の運転免許試験場に出向きました。

自分が免許を取得しに訪れた58年前、府中試験場前には行政書士の代書屋さんの事務所が軒を連ね、申請者たちを盛んに呼び込んでいるのが風物詩になっていたものですが、この時代当然のことながら、久しぶりの試験場にその姿はなく、まさに隔世の感がありましたよね。

広い試験場内は、一般の受講者、受験者などで混み合っており、車社会なんだなということを今更ながら実感しました。

検査は、1回に30人程度の老人を対象に30分程度、記憶力、判断力を試すものなのですが、自分のあほさ加減を測定されるということなので、普通の試験とは違う緊張感がありますね。

終了後通知される検査結果によって、その後の高齢者講習の受講内容に差がついたり、医師の診断書の提出を求められ、認知症と診断された場合は免許取り消しということになります。

高齢者による事故が増えている現状では必要な取り組みだとは思うのですが、検査や受講にその都度少なからぬ手間や費用がかかるというのは、健康な高齢者の免許更新も出来るだけさせないようにしているということなのでしょうかね(まあ、警察官の定年後の雇用確保ということもあるのでしょうが)。

で、今後、投票所でも認知症検査ということになったりして(マサカ)。

いずれにせよ、私奴の場合、通知された点数は、100点満点で92点、75点以上で「記憶力、判断力に問題ありません」との結果で無罪放免となりました。

更新時84歳になる老人にしてはまずは上出来やろ、どんなもんじゃいと密かに思っていたのですが、86歳時点の従姉妹のご亭主は96点だったと聞いてぎゃふんとなりました。

これからは、老人同士が会うと挨拶代わりに「お前、何点やったんや」などと認知度を競い合う時代になるんやろか(「なんや嫌な時代やね」)。

2021年1月31日 (日)

盡せ生前有限の盃

日課としている早朝のラジオ外国語講座を聴いている内に白々と夜は明け初め、暁闇のなかから浮かび上がる真白き富士の姿を窓越しに望む時候となりました。

最近、物忘れが酷くなり、一寸何か思いついて台所に行ったのはいいが何をしに来たかもう忘れている始末。とうとう来るものが来たかと心配になりまして、住居併設のクリニックで認知症の検査を受けてみました。
長谷川メソッドという簡易検査だったのですが30点満点で27点という結果(「100点満点なら90点、まあまあまだ当分もちそうやね」)。

物忘れだけでなく、足腰の衰え、目のかすみ、「八十」肩など、あちこちに不具合が生じてきているのも年相応の現象でしょうか。

そのような蟄居老人の不安に狙いを定めるかのように、このところ目薬、胃腸薬、筋肉増強剤など健康サプリメントのTV広告やポストに投函されるダイレクトメールがやたら増えてきているように思えるのです(街中では皆マスク着用のこのご時世に、これらの広告画面では、まるで別世界のように、出演者は皆ノーマスク、密集し大声で話しあいながら飛んだり跳ねたりしているんやけど、密を避けよと叫んではる政府や都知事はこれを見てどう思ってるんやろか)。
まあ、ここはサプリメント漬けになることなく、百薬の長、酒一筋で無聊の日々に対峙しようとする瓏山でございます(「お酒命やね」、「酒が飲めるゆうことは生きてる証やからな」)。

古人曰く、

    ”痛飲狂歌して空しく日をわたる
        思う莫れ身外無窮の事 且つ盡せ生前有限の盃”

また曰く、
  
    ひととせにひととせの春はあり
    ももとせにももとせの人はなし
    花影にいくたびか酔ひえんや
    貧しともうま酒を買ひてまし


2021年1月 1日 (金)

令和3年元旦

 Photo_20210101123101令和3年元旦、東京西郊横田基地の彼方にのぼる初日の出です。

今年、瓏山7回目の年男、果たして8回目は?

干支は辛丑、しんちゅう、かのとうし。

安岡正篤先生によれば、
「辛」は、下の陽エネルギーが上に出現する形で、革新、闘争、犠牲の意があり、「辛(から)き目見せてくりょうぞ」という言葉があるように斎戒自制を要する年であるとされております。
「丑」は、指をひねって準備する形とされます。
ということから、本年は、埋もれていたエネルギーが何らかの形でこの世に出現するのに対して、準備が必要な年であるということのようですね。

昨年は、「庚子」かのえねの年、「康」は更新に通じ、物事が改まる意、「子」は、新しい生命力がきざし 物事が増殖する年とされていたのですが、まさに我が国では長期政権が終了して新政権に交代、アメリカでも新大統領誕生、一方で強力な新種ウイルスが発生して全世界に蔓延する1年となりました。

本年は、新しく発生する事象がどのようなものであれ(でも、この際富士山噴火とか直下型地震はどうか願い下げに)、辛き目に遭わぬよう心掛けて過ごしたいものでございます。

  
      初春は曽我の五郎の晴れ舞台

               六方踏んで疫病退散


実は、この春の文化会館の舞台で、長唄の大曲「雨の五郎」を披露しようということでこの半年稽古に励んできたのですが、昨今の状勢で取り止めとなりそうです。
「雨の五郎」は、曽我十郎五郎の兄弟が父の仇の工藤佑経を討つ物語を題材にした歌舞伎の所作を取り入れた勇壮な男舞い
(江戸時代でも歌舞伎の新春興行は曽我ものを上演するのが吉例とされていた)。

    今ここに我らに仇(あだ)なす憎つきコロナ
             いざ討ち果たしてくれようず!

 

2020年12月26日 (土)

いよいよ歳末

毎年祝っていた娘の家での孫と共のクリスマス、今年は自宅でビングクロスビー、パットペイジ、ディーンマーチン等のクリスマスソングを聴きながら家内の写真を前にワイングラスを一人傾ける独居老人のクリスマスパーティ?でした。

蟄居生活を強いられたこの1年でしたが、ただでさえ在宅時間が多かった老人の生活にもいろいろ影響が大きかったことに気付かされます。
暇があるときにちょこちょことやっていた部屋の片づけや書類の整理なども、逆に暇がありすぎるとやる気が出ないものですよね。
日頃楽しんでいる尺八やギターなどの楽器を手にすることも却って少なくなりました(「それって昼間からぐだぐだとお酒飲んでるからやないの」)。
日常生活が、外での活動と屋内での活動のバランスの上に成り立っていたんやということに今更ながら思い至るのです。

首相や都知事は、外出の自粛を呼びかけるだけでなく、家の中でもマスクせよ、会話は控えろ、などと言うのですが、親子夫婦間でもマスク着用、会話不在が通常になる世の中にしてどうしようと言うのですかね。
共に泣き、共に笑い、寄り添い、語り合い、励まし合うことこそ人間社会の本来の姿なのではないのでしょうか。
そのうち、赤ん坊も生まれて来る時オギャーと唾が飛ぶのでマスクを付けろと言いだすのかな。

お上の姿勢は、”なんやえらいことになりよりましてん”ということで、国民に対しマスクをせよ、外出を控えよと、コロナ様の前にひれ伏してひたすらお目こぼしを乞い願えと言うばかり。
この事態にあたり、毅然として皆で共にウイルスに立ち向かおうではないかと国民に呼びかける気迫・気概が感じられないように思うのですが(先の大戦時に、来襲する敵機を前もって打ち落したるんやでというのではなく、なすすべもなく敵の爆撃を受けるのを前提に市民に防空壕を掘らせ灯火管制を強いた、時の政府の姿に重なるのです)。

菅さんや小池さんに叱られるのを覚悟で、私奴は同年輩のご老人に呼びかけたい。

「立て!万国の老人諸君!
天気の日には家に閉じこもらず、外に出て大いに散歩・運動するなど体力を保持してボケやフレイル化を防ぎ、お国の医療費財政負担軽減に些かなりとも貢献しよう。
ウイルスへの抵抗力をつけて撃退するため、外ではマスクを外し顔を上げ顔面一杯に日光を浴びて体内のビタミンDを増やそう
(そもそも仕掛けられた戦争に、「敵基地攻撃」もせず、ただ「専守防衛」一辺倒では勝てるわけないですよね)。
でも帰宅したら玄関で上着を脱ぎ、ズボンを穿きかえ、手を洗い、うがいをし、顔を洗おう。
四六時中流される感染者数のニュースで徒に悲観的になり、落ち込んで心の健康まで損なわないよう心掛けよう。
余生短い我々であってもまだ明るい未来は待っている!

2020年12月 3日 (木)

師走

今年もはや師走となりました。

振り返れば、今年は万人あまねく”蟄居隠棲の年”だったですね。
当方はそれでも免疫力をつけるためと称して温泉旅行にちょくちょく出かけてはいたのですが、住んでいる高サ住勤務のスタッフ達から見れば、ウイルスを持ち帰ってクラスター発生源になりうる危ない爺さんとされていたのではないかと思います。

一昨日12月1日の首相と東京都知事の会談で、都内に住む老人の旅行を自粛させる方針を決めたとのことですが、老人であるがゆえに世間から”隔離”するという風潮を醸成して、老人のフレイル化を促進、早死にさせる結果になるだけなのではないのでしょうかね(「決めたお二人とも対象者やけどね」)。

さりながら、実は私もこの6日から沖縄旅行を計画していたのですが、ここに至って取り止めることに。
万一何かあった時、自分は兎も角、”ええ年してなに考えてんねん”という周囲からの非難を想像すると流石に腰が引けますよね。

まあ何をするにも人の目が気になるご時世ではございますが、移動制限による運動不足と会話不足で世の中から笑顔が消えていくのが、現今の社会問題ではないかと思うのです。

で、一人でも笑える算段をしようということで、このところ笑い話に類する本など手当たり次第に本棚から取り出して読み漁っておりますが、この種のユーモア作品は最近よりも一昔前のものが多いように思われるのは時代の趨勢なのでしょうか、或いは私の読書範囲が狭いからなのでしょうか(「鬼滅の刃」も読んでないし)。

例えば田辺聖子さんの「かもかのおっちゃん」、男の本性を鋭く見抜く大阪女のどこか可愛げがあって憎めないある種のしたたかさに、いやあ思い当たることあるよなと含み笑い(「ひょっとして私のこと?」)。
「狐狸庵閑話」などの遠藤周作もの、開高健の「食卓は笑う」などなどは今読み返しても笑えます。なかでも、龍角散社長の藤井康男さんの「糞尿譚」(昭和62年刊 KAPPA booksー火野葦平にも同名の小説がありますがこちらは当時の糞尿汲み取り業者がテーマ)は、理学博士としてのウン蓄を傾け我々人間の本質を抉ったもので、まさに怪作、抱腹絶倒。沈みがちな心は高揚し、独り暮らしの鬱屈が吹き飛ばされるのです。

ただ、笑っているうちに、在宅時間が長いのを利用しての書棚の整理がなかなか進まないのが悩みの種ではあるのですが。

 

2020年10月28日 (水)

今日の哲学

出口治明著「宗教と哲学全史」ダイヤモンド社を読みました。
久し振りに読み終えるのに労力と時間を要する書物でした。

著者の博識にもですが、巻末に掲げられた20ページに及ぶ引用文献の多さには度肝を抜かれました
(これ全部読んだんや!!)。

世に哲学者も多いのに、何でデカルト、カント、ショーペンハウエルなのかはわからないのですが、
「でかんしょ でかんしょで半年暮らす よいよい 後の半年やぁー寝て暮うらす よーいよーいでっかんしょ」などと蛮声を張り上げ酒を酌み交わしながら、
”「我思うゆえに我あり」の「我」とはそもそも何ぞや”などと青臭い議論を闘わせていた学生時代の寮生活の日々を久しぶりに思いだしました。

それにしても、

ショウペンハウエルの
「人間の幸福に二つの敵あり それは、苦痛と退屈さだ」とか、

カントの
「酒は心の率直さを運ぶ道具である」

などは、今の世に住む老人の心に直接響きますよね
(「通俗的やね 彼らはもっと高尚なことをゆうたはったんやないの」「まあ哲人やゆうたかて所詮屁もこけば糞もひる人間なんやし、われわれ凡人と同じ悩みがあったんとちゃうやろか」)。

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