11月ー1

11月前半の瓏山です。

イベントの章

○1日は市の文化祭での文化教室舞踊発表会、女性4人と端唄「京の四季」を文化ホールの舞台で披露しました。
母親の葬儀の直後でもあり、いくらなんでも辞退したほうがいいだろうとは思ったのですが、ここまで来て発表の直前に穴をあけるのも一緒にやってきた皆さんに申し訳ないということもあって(「そんなに大した穴が開くとでも思ってはったの」)、舞台に上がることにしました。
そうは言ってもやはりいまひとつ気合が入らなかったですね。
女踊りに特有の首の振りかた、足の運び方、滑らし方などが、年はとっても男は男、どうもしっくりこなかったということもありましょう。

それにしても、女性に混じってこのような経験をするたびに感じるのは、女性というのは踊りそのものもなのですが、
準備、後始末を含むイベントの全過程をまるごと楽しんでいるんだなということです。
念入りに時間をかける舞台化粧、それに続く舞台衣装の着付けは、普段と違う自分に徐々に変身していく、彼女らにとって喜ばしくも大変重要なプロセスなのですね。
その間にも、持ち込まれたお菓子などをつまみながら、会話に余念がありません。
舞台がはねて着替えた後も、机を出して集まり、にぎやかに仲間同士でお弁当を食べるのも大事な行事のようです。

この辺は、気にかかるのは舞台での成果だけ、さっさと着付けや着替えをすませ、お茶やお菓子やおしゃべりよりも、舞台の後の居酒屋でのビールを思い描く老人男性とは大いに異なるところ、改めて男と女の違いに気付かされるのです(私だけかな)。

○文化祭での三曲演奏会を久しぶりに聴きに行きました。
お琴はともかく、尺八陣は、この地においても高齢化がとみに進んでおります(「他人ごとのようやね」)。
息の力強さが時に求められる吹奏楽器にとって、年は敵だということをつくづく感じさせられました。
もっとも、「他人の芸を聴いて、こりゃ自分程度だと思ったら自分よりずっと上手、なんて下手くそな奴だと思ったらそれが自分程度」という古今亭志ん生の教え、瓏山、拳拳服膺してはいるのですが。

○11月第2週になって、住まいの周辺で急に交通取り締まりが厳しくなりました。公園には警備の車が止まり、駅の改札前には警官が立番しています。手配されている人間でも逃げ込んできたのかと思ってお巡りさんに聞いてみると、オバマさんが来日するのでということ。そういえば、去年7月の洞爺湖サミットのときも同じように基地の周辺は、その期間厳戒体制でした。
基地を抱える警察官のみなさんのご苦労の一面でございます。
 
○9日の朝、何気なくNHKのテレビを見ていましたら、近代技術や添加物を使用せず、古来の方式による天然醸造の醤油が紹介されていました。これは人気が出るだろうな、早く注文しておかなければと思い(やもめシェフにとって、料理に手間をかけない分、調味料、特に醤油は大事な素材なのです)、早速ネットで検索して醸造元の丸中醤油さんに注文したのですが、後で聞くと、案の定、番組終了後電話が鳴り続けて受話器を置く暇が無い有様で、少量生産の蔵元では注文を捌ききれなくなり、今では3カ月待ちの状態だそうです。
テレビの力は凄い。一時期の森伊蔵を思い出しますね。
この醤油もプレミアムがつくことになるのでしょうか(もっと仕入れておけば良かった)。
確かに甘みとこくがあり、炊き立てのご飯にかけると、なつかしい日本の香りが立ち上がってそれだけで一膳の飯が食えます。せっかくの名品、この騒ぎが品質の低下につながらなければ良いのですが。

部屋の風景の章

○朝起きて頭を下げる遺影がまたひとつ増えました。
物ごころついた時からある父親の写真、一昨年からの家内の写真に新しく加わった母親の写真です。
写真の上では一番若い30歳代の父親の遺影に72歳の息子が頭を下げているというのも奇妙な情景ではあります。
後日(何時になるのかな)これらに私の写真が並んだところを知らない人が見れば、私にも結構若い息子がいたんだなということになりそうですね。

刀を抜いて水を断てば水更に流れ
杯を挙げて愁いを消せば愁い更に愁ふ  李白

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10月ー2

10月21日快晴のこの日、母は安らかな息遣いのうち、92年と6カ月の生涯を閉じた。
何らの管に繋がれることも無く、世話していただいていたスタッフ達に声をかけられ見守られながらの平穏な臨終だった。

第2次大戦終戦の年、ビルマ戦線で夫が戦病死し、わずか28歳で、大戦後の日本に多かった戦争未亡人(今では死語になりつつあるが)の仲間入りをし、一億総窮乏化のなか、一念発起して職業婦人(これも死語)となって大学で教鞭をとり、女手一つでぐうたらな一人息子をなんとか育てあげた波乱の人生だった。

もう充分に生きてきたと冷静に受け止めつつも、2年前の家内の時とはまた違った感情が心の奥底に渦巻いているようで、戦後64年間、母一人子一人で世の荒波と共に闘ってきた戦友が戦死して戦場に一人残されたような感じが拭えない。

みまかってから告別式までの間に、NHKのイタリア語講座で取り上げられたアイーダの凱旋行進曲、時あたかも母の凱旋を祝うものでもあったのだろうか。四谷イグナチオ教会での告別式の日は、その日だけ台風接近で大荒れの天候だった。

   あらしの日 母見送りてあくる朝 
                          わが目に痛し玲瓏の富士

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10月ー1

10月前半の瓏山です。

イベントの章

○小学校の同窓会で久しぶりに神戸に出かけました。中学高校の同窓会もそうなのですが、ずっと神戸に住み続けている人間は,卒業後もそれなりに仲間内の交流があるのに対し、勤め人になってから神戸に縁が無かった私のような者は、久しぶりに出席するとそのたびに浦島太郎のような気分にさせられるのです(こんなことを言うと、幼稚園以来小学校、中学校と父親の都合で何回も学校を変わらなければならなかった娘どもに、自分たちはそれどころではないのにと怒られるかな)。

この会も60年ぶりの再会で、顔と名前が結びつかないのではないかと心配していたのですが、案ずるより産むが安しとやら、あっという間に昔のやんちゃ坊主どもに帰り、楽しい一日でした。

ただ、同じ関西でも、神戸は家内と知り合ったころの思い出が街角のあちこちに蘇り、どうも落ち着かない気分になるのは困ったものでございます。
故郷神戸には申し訳ないのですが、早々に大阪のホテルに帰ってステーキとワイン、やはり肉は関西ですな。

○アカパナとはインカ文明のピラミッドのことだそうですが、ボリビアで有名な「アカパナ」というアンデス音楽のグループが日本ツアーを行うに際し、その第1回公演が市の公民館であるというので出かけました(福生市もなかなかやります、来月は茂山千五郎一門の狂言がかかるのでこれまた楽しみです)。

ケーナ、シーク、チャランゴの民族楽器に、ギター、バイオリン、パーカッションが加わって賑やかな演奏です。

どうもこの地のひとびとは、リズム感のある演奏にのりが良いようで、結構年配の聴衆が多いのですが、今回も立ち上がって手拍子、足を踏みならし掛け声など、ステージと一体になって楽しんでいます。これなども60年の米軍基地との交流の影響でしょうか。体裁を慮る老人はやや取り残され気味です。

舞いの章

○11月1日は文化会館で市民文化祭、日本舞踊の部で女性5人と一緒に、端唄「京の四季」を踊ります。あと半月足らずなのですが、なかなか振りが覚えきれず大変です。女性と違い男は髪型の心配をする必要が無いのは気楽ですな。いっそ丸刈りにしてしまえばもっとさっぱりして見栄えがいいかも知れず。

言葉の章

○NHKの語学講座が10月からまた新しくなりました。と言っても、スペイン語は去年春の、中国語は4年前の再放送です。聴いていると、それぞれその頃の生活情景が講座の内容に重なって思い出されるのは再放送の思わぬ効用ですね。
来週の中国語講座でやる、子供がおじいさんに謎かけをするスキットは、4年前の丁度今頃、家内が何回目かの入院をするのに付き添っていくタクシーの中で聞いていました。

今年の春からのスペイン語講座は、主要表現の短いフレーズを取り上げての解説でしたが、胆嚢摘出のため入院した3月30日の朝習った’おやおや’という表現、将来再放送される時、術前検査とやらで病院中引き回された思い出に重なってくるでしょうか。

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9月ー2

9月後半の瓏山です。

○本の章

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河盛好蔵集
1902年から2000年までの1900年代を生き、高名な仏文学者であり、仏文学研究の町医者といわれた著者の随筆集。
三好達冶、堀口大学、伊藤整、上林暁、山本有三などとの交友関係を通じて、彼らの知られざる側面が描かれていて興味深いです。
そこはかとないユーモアが行間に漂い、良質の酒を飲んでいる気分にさせてくれます。
先生のヴァレリー、ボードレールやヴェルレーヌの解釈を読んでいると、詩とはこう読むものだということがかすかにわかるような気もします。

鴎外には、遺言で「墓ハ森林太郎墓ノホカ一字ホル可カラズ」としたという有名な話があり、これまで法名などとは無縁の人と思っていましたが、院殿大居士つきの立派な戒名を持ち、母親や知人の法名も選んであげていたということを、この本で初めて知りました。
戒名は、あの世で閻魔様の裁きを受けるときに、本来の名前では生前の悪行がばれるので、ごまかすためにつけるのだという説もありますが、鴎外はパスしたのでしょうか。

○イベントの章

9月27日は、福生友好フェスティバルの日、横田基地の第5ゲートから16号線に沿ってマーチングバンドの行進、クラシックカーパレード、道路沿いの公園では、カントリー、ロック、ハワイアンバンドの演奏などで賑わいました。あちこちにハンバーガー、ピザなどの露天、基地からも親子連れが多数出かけてきて楽しんでおりました。

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基地ゲートを出る両国国旗

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○旅の章

今回の旅では、結構飛行機を利用しましたが、改めてヨーロッパは一つになりつつあるように感じました。
バラハス空港やフランクフルト空港で発着便の案内板を見ていると、いかにヨーロッパの各空港間で飛行機が頻繁に往来しているかが如実にわかります。空を飛んでいても、下方を飛ぶ飛行機、すれ違う飛行機が結構多いです。どこの都市でも、空を見上げると飛行機雲が縦横に白い線を描いております。
共通通貨の便利さは言うまでもありませんし、出入国手続き、関税手続きなども、シンゲン条約とやらで、ECに最初に到着した国、あるいは最終出発国に集約されております。
テレビの天気予報も自国だけでなく欧州全域が表示されています。
グローバルな気候変動が言われ、アジア共同体なども提言される中、我が国の天気予報、台風情報なども、いずれアジア全体を表示するようになっていくのでしょうか。

もうひとつ、特にスペインと日本の酒代の格差には改めて驚くと同時に酒飲みとして憤りすら感じさせられましたね。
ワインの値段が、日本で国産のワインを飲むのに比べても3倍以上も違うというのは、税金のかけすぎではないでしょうか。しかも、かの地のワインがリオハでありアルバニーニョでありリベイロなのですからね。
居酒屋とバルでの勘定の対比においても、やはり私の感覚では贔屓目に見ても3倍程度の格差があります。日本の酒飲みは虐げられております。
民主党政府には、愛すべき酒飲みに対する友愛の精神を持って、この理不尽な格差是正に取り組んでいただきたいものでございます。

ボードレール曰く「水しか飲まぬ人間は同胞に隠さねばならぬ秘密を持っているものだ」
(河盛好蔵集)

○相撲の章

朝青龍の優勝、男にとっての気迫の大切さを教えてくれましたね。土俵上のガッツポーズ、いただけないのは勿論ですが、ファンはともかく、当事者たる相撲協会、横綱審議会が、それを声高に言う資格はあるのでしょうか。彼らこそ、相撲が国技であるのに、朝青龍、白鵬に対抗できる日本人力士の養成を怠って、安易に外国人力士の人気に頼ってきた当事者であり、今そのつけが回ってきているということを自覚すべきではないのでしょうかね。ここ当分、つけは回収できそうにもないけれど(実際、仮に今の状態で日本人力士だけの場所が開催されたとして観衆は一体何人集まるでしょうか。ー「朝青龍のことになると、あなたは何故かむきになるのやね」)。

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ハイデルベルグ

9月10日、現地ツアーに参加しハイデルベルグにバスで向かう。アウトバーンを1時間あまりの行程。15人ほどの一行は、オーストラリア(キャンベラ)、アメリカ(テキサス)、イギリス(リバプール)、フランス、スペインの人たちで4組の夫婦連れのほかは中年女性のグループ。共通語は英語。ガイドの説明も英語。東洋人は当方一人なので、珍しいのかオーストラリアのおばさん達が話しかけてくれるが、なまりがあるので、対応が大変(「偉そうにゆうてはるけど、あなたの片言ジャパングリッシュのほうが、あちらさんにはもっと大変だったのではないの」「ごもっとも。スペインでのジャパ’ニッシュ’も」)。

ハイデルベルグ城

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14世紀に創建され、その後幾多の破壊と再建を経て現存するシュロスハイデルベルグ。
地下に据え付けられた、徴税のため領国中のワインを集めたというおそろしく巨大な樽にびっくり。すごいことを考えるものですな。何百人が何百年かかったら飲みきれるのか。

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ネッカー川の対岸には、”哲学「者」の道”がある。

旧市街中心。ここでも人々は昼から酒を飲んでいる。横町に入ると流石に大学の街で、昼時、小粋なレストランにノートを抱えた学生がビール片手に屯している。

高校時代、ブラスバンドでメンバーが好んで演奏したロンバーグ作曲、ハイデルベルグが舞台の「学生王子のセレナーデ」。
甘く軽やかなあの旋律が脳裏によみがえる。
確かにここに立ってみればこの街の雰囲気にぴったり。東洋の老人、学生王子の気分。

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  さすらいの 旅の心を乗せてゆく 
                 ネッカー川に街並み写して

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フランクフルト・アム・マイン

9月8日マドリッド経由フランクフルト着、ル・メリディアン・パークホテル投宿。
ホテル近くのマイン川周辺を散策。

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ホテルのほぼ前方にフランクフルト中央駅、ハイジがクララのところに行くとき降りたハウプトバーンホフ。

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旧市街の中心、ロエーマーベルグ。おとぎの国のよう。

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広場に接するパウルス教会のいかにもドイツらしいパイプオルガン。

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晩は、郊外の隠れ家のようなドイツレストランで、フランクフルトに拠点のある昔の職場の後輩にご馳走にあずかり、本場のビールを堪能。オールドボーイズネットワークの有り難さ。

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サンセバスティアン(ドノスティア)

9月5日早朝パラドール出発。8:45ラパコージャ空港からイベリア航空8353便でビルバオ空港着、1時間バスに乗ってサンセバスチャンのホテル・マリアクリスティーナに投宿。
ビルバオでレンタカー借りる予定だったが、これまで歩いていても道に迷う状態で、この分では高速道路の標識見過ごしてあらぬ方向に行くやもしれず、徐々に自信がなくなり、ついに諦める結果に。実はこのため某重大事件発生(詳細別項)。パンプローナ、ザビエル城行きはご破算。

サンセバスチャンはバスクの中心地のひとつ、別名バスク語でドノスティア、王室の夏の別荘地としても知られ、貝殻の形とされる白砂のコンチャ海岸の背後に旧市街と新市街が広がる。

コンチャ海岸遊歩道

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サンセバスチャン港からイゲルド山を望む。

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ボート競技大会の日

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サンタクララ島に蝟集するボート、ヨット

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旧市街の夜、夏時間で8時でも明るい。レストランの予約は8:30から。混み合うのは10時過ぎから夜半。彼らは何時に寝て何時に起きるのか。

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前の缶にチップを入れると音楽が鳴り、シューティングポーズを決めてくれる。

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ホテル前ウルメア川の月

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マリアクリスティーナ

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ホテル前の観覧車

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世界に冠たるバスク料理を堪能。
チャコリ、シードラ、リオハ。ワインは清涼な空気の中で最高。
バスクの人達の人懐こさに触れにまた来たい。今度はフランス側バスクもいいか。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:巡礼と街

巡礼道道しるべ、石畳の道のところどころに貝殻のマークが嵌めこんである。蝶番の部分が大聖堂への方向を示す。

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オブラドイロ広場に到着した巡礼者たち。あちこちで集まって胴上げしあったり歓声を上げている。サイクリストが多い。話を聞くとほとんどヨーロッパ各地から。アジア系は見かけなかった。

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中心部は山ほどある寺院の谷間に山ほどバルがある。コンシエルジェにお勧めのバルを紹介してくれと言ったら「何?」と聞き返された。「あなた方がいつも行くバルですが」と言っても通じない。やっと気がついて「バアルルル」。RとLは天と地ほど違うことを改めて思い知らされる。控えめな性格なので、母音、特に、「ウ」とか「オ」など口を動かさず発音しがちなので、これまたなかなか通じない。

イントネーションやアクセントも大事だが、プロナンシエイションがまず基本であることを痛感。

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オブラドイロ広場を隔ててカテドラル向かいのユネスコ前で演奏する楽隊。飛び入りがあったり、新婚夫婦を祝福したりで夜半過ぎまで盛り上がっている。

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市内を回る観覧車。

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黄色のポスト。

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カテドラルのすぐ近くにあるサンチャゴデコンポステーラ大学。寺院のような入り口。欧州各地から学生が集まる。旅先でのお目当ては当地の大学の売店。そこでしか手に入らないものがある。USCというロゴの入った書類入れとTシャツ、孫のキャップを仕入れる。

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この掲示板など見ても、この地方ガリシア語に「X]の字が多い。バスクでも「X]と「K]が多かった。カスティージャ語と異なる特色。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:カテドラル

旅装を解くのも早々に、すぐ前のカテドラルに。

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とにかく巨大すぎてファインダーのなかに全景が収まらない。石の存在感と壁面を飾る無数の彫像に圧倒される。

西方入り口。

006 おもな出入り口は4か所、なにしろ8300平方Mの大聖堂なので、それぞれ全く別の街並みに面しており、丘の上の傾斜に建てられているので、それぞれが違う表情。

入り口の片隅には、必ず女か男の乞食が空き缶を前に座り込んでいるのは、3大聖地の一つにしてなんとも不思議な光景。たとえば四谷のイグナチオ教会でこのような輩がいたら即座に追い出されよう。カトリック本場の寛容なのか。
3日間見ていたが、彼らは交代制で、しかも昼食時は休憩して横で飯を食っている。

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3日木曜9:30のミサ。おそるおそる撮った。正面5人の司祭の他に、奥と手前両脇に侍僧が16名。金の祭壇に香が焚かれグレゴリオ聖歌、荘厳至極。

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背面から祭壇を見る。刳り抜きの座席。

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パラドール玄関から見る早朝のカテドラル。

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月のオブラドイロ。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラ:レイス・カトリコス

9月2日7:45、マドリッド発イベリア航空546便でサンチャゴデコンポステーラに向かう。今回は、不案内な空港での乗り継ぎなどが多いので、機内持ち込み可能のスーツケースとバッグだけに荷物をまとめ、荷物を預けることなく旅行することにしていたが、イベリア航空などでは、機体が小さいことから、機内に持ち込めるのは手回り品のバッグだけに制限され、本来持ち込めるはずのスーツケースは、航空機のタラップの下に乗客がそれぞれ置いておき、乗客搭乗後まとめて積み込まれ、到着地では、タラップの下に置かれた荷物を乗客が自分で回収する仕組み。

みんな慣れた様子だが、こちらは、果たして当方の荷物無事積まれているのか、窓から目を凝らしてみても見えず、コンポステーラのラパコージャ空港でスーツケースに再会するまでやや不安だった。

空港から市内へ向かう大型バスでも、スーツケースなどは、立会もおらず、引換証なども発行されず、乗客が自分でバス下部の収納部分にスーツケースを放り込み、乗客が乗り終わると運転手が運転席から自動ドアを閉めて発車、目的地に着くと、乗客がそれぞれ勝手に自分の荷物を引き出して持っていくという仕組みで、バスは途中に何か所か止まるし、これまた不慣れな旅行者にとっては乗っている間結構落ち着かない。

それやこれやありながら10時半ごろ、コンポステーラのバスターミナルに無事到着。まずは近くのバルに飛び込んで、タパスとアルバリーニョ。石畳の坂道をスーツケースを引っ張りながら、今日から3泊するパラドール「レイス・カトリコス」に向かう。

パラドールは広大なオブラドイロ広場に面しカテドラルの右手という絶好の位置にある石造りの豪壮な建物。

正面入り口

020_2 部屋には、モロ様式のパティオを2つ通り抜けていく。

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階段を上がり木のドアを開けると廊下の先に居室がある。

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室内。013

室内から見たパティオ。

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