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2012年5月14日 (月)

5月ー1

5月前半の瓏山です。

世の中には母の日を祝う人もいるんだよなということに改めて気付かされる季節が今年もやって来ました。

  母の日の近づきたると花屋から
                   むなしきメール今年も来りて

老人の5月病を振り払うべく、今度の発表会で初めて本格的に踊る「長唄・松の緑」、夜の1人部屋の窓ガラスに蝦蟇蛙ならぬ我が身を写しながら、酒盃と尺八を傍らにおさらいに専念する日々でございます。

  ひたすらに覚えし振りをなぞりつつ
                  舞いおり操り人形のごと

  修練の果てに汚れし半襟を
                外し洗いて縫い付ける我 

あと20年修行して名取になった暁には国立劇場の舞台で踊ってみたいsmile

2012年4月29日 (日)

4月ー2

4月後半の瓏山です。

○パジャマ

温かくなってきたので、昨年大連で買って大事にしまっておいたシルクのパジャマを箪笥の奥から引っ張り出しました。

包装を解いていざ着ようとするとなんと前立てのボタンが左側に着いており、よく見るとズボンの裾にはピンクの刺繍、はじめて女物を買ってしまっていたことに気がつきました。
下げ渡す家内もおらず、やむを得ず、裏返しにして使っています。

シルクなので着心地に変わりは無いのです
(まあ、見て笑う人間もいないことでもありますし)。

上着はそれでいいとしてもズボンの前が開かないのは不便です。

それにしても、どうして大連の店員は注意してくれなかったものでしょうかね。

○がんばれ三陸

仙台に住む先輩から、三陸の魚屋さんが震災後初めて売り出したという焼き魚のセットを頂き、これが大いに気に入りまして、製造元の山内鮮魚店さんに電話しました。
津波で会社家屋すべて流失したが、高台に自社工場を建設して、地元の魚を使って生産を再開しているそうです。
HPには再建までの道のりが紹介されております。

http://www.yamauchi-f.com/hpgen/HPB/entries/106.html

私が気に入ったのは、「朝のおかず」というセット。鮭、鱈、秋刀魚などの調理済みの焼き魚の切り身が2切れづつ密封されたポリエチレン?の袋に入っており、これをそのままレンジで40秒ほど加熱すれば、焼きたての地魚が味わえるというすぐれもので、これを大根おろしと付け合わせれば独り者の晩酌にはぴったりです。

ところで、杉良太郎、五代夏子夫妻が、福島原発で働く人々の慰問コンサートを行ったニュースを見ました。被災地の慰問に繰り返し出向いているようですが、美男美女でなおかつ心も美しいという、天は二物を与えずといいますが、二物も三物も与えられている人々も居るのですよね。

醜男かつ心根も賤しい老人ではございますが、せめて三陸の魚を喰って、被災地にエールをおくりたいと思います。

○天気予報

花粉症が終わったら次は熱中症の情報。

天気予報で、花粉症だとか熱中症、紫外線など、地域をランク付けまでして詳細に予報するのは日本だけではないでしょうかね。

親切なのかもしれませんが、気象は自然現象なのに、話題を追求するあまり、なにかマイナス面ばかり強調するような傾向があるのは気になります。

気象予報士さん達は、特に朝の番組では、いたずらに勤め人の活動の意欲を削ぐのではなく、もっと世の中を明るくする話題を提供していただきたいものでございますな
(「また始まったね。いつまでもNHKを目の敵にしてぶつぶつ独りごとゆうてるようでは長生きせえへんよ。」)。

2012年4月15日 (日)

4月ー1

4月前半の瓏山です。

 春をのせ 丹沢の風吹ききたる
                 多摩の川辺の桜やいかに 

○今年は、全国的に平年より桜の開花が遅れているということのようでしたが、ここ西多摩地方の桜は、去年と同じ10日前後が満開。
快晴の一日、大勢の花見客の中、着流し下駄ばきで多摩川堤のそぞろ歩きを楽しみました。

といってもお目当ては、その後の土手下の造り酒屋、石川酒造さんの酒蔵での一杯また一杯。
    ”酒なくて何の己が桜かな”happy01

002
陋屋から望む春の富士

○4月からラジオの通信講座も新しくスタート。

毎年思うのですが、なんでNHKは年度が変わるごとに、勝手に放送時間を組み替えるのでしょうかね。
起床、朝食、散歩、朝の体操など、放送時間に合わせて設定して習慣づけしている当方としては、折角出来上がっている生活リズムを一年ごとに修正させられるのが大いに困るのです。

そのNHKは今夜も、「何らかの飛翔物体が発射された」と政府が発表した(ところでこの言い方、福島原発水素爆発時の「何らかの爆発的事象が発生した」というのとよく似てますよね)北朝鮮のその後の動向を報じるのと同列にまたぞろアメリカ大リーグのダルビッシュがどうしたとかいうニュース、高い放映権料を奉納している手前、放送せざるを得ないのでしょうが、いずれにせよ能天気も極まれり、こっちのほうが困ると言えばより深刻なのではございますが。

2012年3月31日 (土)

3月ー2

3月後半の瓏山です。

○安藤政輝退官記念演奏会

東京芸大の安藤政輝教授の退官記念演奏会が芸大の奏楽堂であり、久しぶりに上野の山に出かけました。

安藤教授は、宮城道雄の直系の弟子でもあり、筝曲の演奏家として日本初の博士号をとられた邦楽の大家です。

奏楽堂に出向いたのは初めてだったのですが、流石に日本の芸術教育の本山の格式、壁面は木で組み上げられ、正面に巨大なパイプオルガン。
邦楽の演奏者は、教員、学生すべて黒紋付袴の正装、ぴしっとした雰囲気が場内に漂っています。

1100名収容の会場に満員の客層も普通の演奏会とはちょっと違った感じを受けましたね。

曲目は、すべて宮城道雄の手になるもので、特に、昭和11年太田道灌450年祭記念曲として東京都の委嘱により作曲された「道灌」は、箏、17弦、3弦、胡弓、尺八、笛、笙、打ち物という大掛かりな編成による70名の大合奏。
また「壱越調箏協奏曲」は、たった一面の箏とフルオーケストラとの協演 、大海を行く一艘の箏が、時にブラスの大波にのみ込まれるかのようでいながらも確かな航海を続けていくという絶妙のコラボレーション。
いずれもあらゆるジャンルの音楽が構成できる芸大ならでは接することのできない演奏で堪能いたしました。

教授である現役アーティストが、芸名でなく本名でプログラムに記されており、尺八の人間国宝山本邦山が山本泰正、箏の深海さとみが吉川さとみであることなども初めて知りました。

○卒業式

孫が小学校を卒業するというので、のこのこと出かけました。

演壇正面に国旗が掲げられ君が代斉唱。

卒業証書は総代方式でなく、子どもたち一人1人が名前を呼ばれ壇上に上がって校長先生から受け取ります。
小さいながら一張羅を着せてもらって誇らしく背筋を正して堂々と。

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手前は送る側5年生

その後壇上に整列して、順番に一言ずつ旅立ちの思いの発表、ひとりとしてくぐもった声は無く、はきはきとした大きな声で、微笑ましく、子どもたち一人一人の輝きと可能性を感じましたね。

老人は、若さの輝きをまぶしく感じるなかで、彼らがそれぞれ成長した時の未来の社会に期待出来そうな気がしてきて明るい気分になりました。

○かたくりの花

写真が趣味で玄人はだしの腕前の従兄弟に誘われ、長沼公園のかたくりの花観賞会に出かけました。

長沼公園は多摩丘陵自然公園に属し、近くに平山城址公園などもあります。
いつも3月下旬には丘の斜面一面に咲くというカタクリの花は、今年はまだ1,2輪程度、50名ほどの参加者は、寒さに耐えて咲いた小さな可憐な花をようやく見つけて観賞していました。

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   もののふの八十おとめらがくみまがふ
              寺井の上のかたかごの花   大伴家持   

家内ならば大いに興味を示したろうなと思うのですが、私奴としては、山あいを渡る鶯の声にどちらかといえば春を感じておりました。

そう言えば、絵画など空間のありように興味を持つ人間と、音の流れという時間の経過に惹かれる人間とは、生まれた時から分かれているんだと言ったのは、内田百閒先生でしたっけ。

2012年3月13日 (火)

3月ー1

3月前半の瓏山です。

○東北大震災から1年が経過しました。
いまも大変な思いをしている方々が多い中、のうのうと暮らしている自分に負い目を感じる3.11でした。

追悼式に出席され、手術直後で声を出されるのも大変だったであろうに敢えてお言葉を述べられた天皇陛下の姿勢には心を打たれました。
このような元首を戴いていることを一国民として誇りに思います。

世界から改めて日本人の忍耐強さ、立ち上がろうとする意志の強さ、連帯意識などについて称賛の声が寄せられているのですが、ここにきて被災地の瓦礫の受け入れ処理に対する各地の拒否反応など、自分たちさえ良ければいいというエゴもまた表面に出てきましたよね。
どちらがわれわれの国民性なのでしょうか。

我々は、身の周りの清潔とか食品の衛生とかということに関し、特に敏感な国民ですが、スーパーなどで賞味期限を過ぎたというだけで食べ物をごみにして捨ててしまうというようなことが何時まで許されるのでしょうかね(アフリカでは毎日多数の子どもが餓死しているというのに)。

これからは、放射能についても放射能というだけではなから拒絶するのではなく、好むと好まざるとにかかわらず、ある程度のものとは共存していくんだという意識というか覚悟を皆が持たなければならない時代になるのではないかとも思うのです。

誤解を恐れずに言えば、除染にしても、食品の出荷制限にしても、いたずらに基準を厳しくしておけば将来責任を問われないで済むだろうということではなく、今後の国民生活との関連でどの程度なら折り合えるかという辺をいやでも真剣に考え、皆で納得し合っていかなければならない時なのではないでしょうか。

いまや人口の4分の1近くを占めるわれわれ老人について言えば(将来性ある子どもについては勿論十分過ぎるほどの配慮をする一方)、どのみち放射能による影響が出るまで長生きもしないことだし、たとえば高齢者に限ってでも摂取する食品の規制値をある程度引き下げるというようなことは出来ないものでしょうかね。
(横山ブラザーズ「おーまーえーはアーホーか!」、
そない言うけどそうすれば、何時何が規制にかかるか分からん被災地の農漁業ももうすこしびくびくせんと生産活動できるやろし、それにその分少し安うしてもろたら老人も助かるわけやし。
「なんや、それが狙いか」。いや永い目で見ればみんなの税金も安なるやろ。)

○福生の住民としては、お隣の米軍横田基地「トモダチ作戦」の被災地救援活動にも触れないわけにはまいりません。

横田基地によれば、
発災当日の3月11日、はやくも第374空輸航空団が救援態勢に入り、司令官が「放射能被曝のおそれがあるが行くやつはいるか」との問いかけに全員が挙手して志願、
12日には、沖縄の空軍と海兵隊員が横田基地に到着、
津波で水没した仙台空港を自衛隊と共同整備して、巨大輸送機C17グローブマスターの着陸を可能にし、
4月4日までに、物資1077T、燃料28万Lを被災地に運び込んだとあります。

改めて、いまも続いている隣人の献身的救援活動に敬意を表したいです。

○3月にはいって、春を告げる東大寺のお水取りが始まりました。

二月堂のきざはしの上で振りまわされる大松明の火の粉をみんなで浴びて一年間の無病息災を祈願したことなど思い出されます。

修二会は、もともと国家鎮護の祈りを捧げる行事、特に今年はその願いを万人が籠めるものになるのでしょう。

2012年2月28日 (火)

2月ー2

2月後半の瓏山です。

○大相撲大阪場所開催のニュースで、そう言えば去年は八百長問題で大騒動だったんだよなと思い出しました。

去年の今頃は、そのほかにも、メールを使った入試カンニング事件、海老蔵さん暴行事件の公判などが世の中を騒がせていましたね(海老蔵さんお元気かな)。

一年たった今はそれも遠い昔のことのようで月日のたつのは早いものでございます。

そのなかで、あと10日ほどで発生以来1年になろうとする東日本大震災だけは永久に私たちの記憶から風化させてはならないものなのでしょう。

震災と津波は天災の要素が強いとしても、原発事故は、われわれの努力で被害を食い止めるあるいは最小限にすることが可能なものですよね。

今、話題になっている日経BP社刊行の「FUKUSHIMAレポートー原発事故の本質」を読みました(こういう社会的反響の大きいことが予測されるものを敢えて刊行するというのは、日経も捨てたものではないと思いますー現に東電がいくつかの内容につき抗議しております)。

当然のことながら技術的な説明が多く文系人間には理解できない内容も多いのですが、それでも事故がどのような直接的原因で発生し、どのような対策がとられたのか、またとられなかったのかについて詳細な分析がされており参考になりました
(ただそれらを踏まえて今後の原発をどう考えるかについては、本書の主張にとらわれず、じっくりと考えてみたいとは思っております)。

民間事故調の報告もあり、この間の経緯については、少しずつながら徐々に明らかになりつつありますが、民間のFUKUSHIMAレポートのようなものが先んじて発表され、行政側からの情報は未だに不十分、事故対応のためのさまざまな会議の議事録も無い、あるいは有るのに出さないという状況は、先の大戦中からのわれわれ日本人の通弊である、情報は隠すもの、操作するものという性癖が抜け切れていないことを示すものなのでしょうか。

昨年の中国の鉄道事故の証拠隠ぺいを笑ってなどはいられません。

世の中には弁舌さわやかな方も多いのですが、言葉尻を捉えられないよう、後日責任を追及されることのないよう細心の注意を払いながらも一見さわやかに物事を語る人と、余事を顧みず訥々として真実を語る勇気を持つ人との人間としての資質の違いが、この原発事故対応という局面で、私どもの目の前にさらされてきているのではないかと思うのです。
(だいたい真実というものは、もともとちょっと説明がつきにくいどろどろしとたものなのですから、これをさわやかかつ理路整然と語れる種類の方々には、なにか胡散臭いものを感じさせられてしまう老人でございますー「それは単なるあなたのインフェリオリティコンプレックスと違う?」)。

○身を切るような風の冷たさはここ多摩西部でも続いていますが、一方で日差しの暖かさもなんとなく感じられるようになりました。

多摩川堤の桜並木の色合いも冬の厳しさにひたすら耐える風情から、なにかしらなごやかなものに変わってきたような。
老人もしばらく使っていた温水を冷水に戻して食器など洗っております。

東京の西の端でも、季節は確実に変わろうとしております。
期して待つ、春爛漫桜花のもとでの一献いや数十献。

2012年2月14日 (火)

2月ー1

2月前半の瓏山です。

精神、肉体ともまだ冬眠状態から抜け出せない毎日が続いております。

○台東区が4年に一度主催している宮内庁式部職雅楽部による特別公演があり、浅草公会堂に出向きました。

宮中雅楽の前身であり、1001年一条天皇の御代に創設された南都楽所の雅楽演舞は、奈良に住んでいた頃、春日大社の神事などで何度か観る機会がありましたが、東京で雅楽に接するのは初めてです。

開場前から長蛇の列で、前売り、当日券とも売り切れ、3階まで1100席ほどの客席は満員の盛況、日頃あまりポピュラーではない音楽演舞なのに、やはり日本人の間には根強い人気があるのですね。外国の方の顔もちらほら。

重要無形文化財保持者の楽師が奏でる流麗な管弦の調べ、優雅な舞は、このところの世相で鬱状態の私には願ってもない癒しになりました。

面白かったのは、演奏中、眠りに引き込まれる人が結構多かったことです。
これは、尺八の演奏会でもよくあることなのですが(ただし良い演奏の場合に限るー老拙の演奏ではとても安らかに寝ているわけにはまいりませんので)、オーケストラなどでは、一寸想像できない現象ですよね。

笙・篳篥のあの”ウィーィンイーンィン”という、洋楽器にはないある意味整合性の無い倍音が、ゆったりとした旋律に乗って我々の無意識階層に働きかけ、母親の胎内にいるような安心感をもたらしているのではなかろうかと愚考するのでございますが。

○ここのところ年が変わる節目には、遺言を書き直しては身辺整理をしているのですが、その際いつも思い浮かべるのは、尊敬する整理の達人、故高峰秀子もその著書で引用している徒然草の一節です。

「賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。前栽に石・草木の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。」

前半の引用は、もともと整理するほどの調度品も無い私奴が兼好法師をだしにしての負け惜しみなのですが、後半のところは、
「ほかでもない瓏山お前のことなんやで。わかってるんかいな。」
ということなのでしょうね。

おあとがよろしいようでcoldsweats01

2012年1月30日 (月)

1月ー2

1月後半の瓏山です。

○正月呆けでしょうか、ここのところなんとなく気合が入らない日が続いております(「でも、いつも正月なのではないの」)。
テレビをつければ、明けても暮れても食い物や温泉の話ばかり。ある日のNHKでは、経済状態、世界情勢など伝えてほしいことが山ほどあるのに、なんと一野球選手(ダルビッシュ君ごめんね)の外国球団との契約交渉の話題が、こともあろうに朝夕のニュースのそれもトップで延々と報道されるという有様、これが一国の公共放送、「皆さまのNHK]なのでしょうかね。
全くげんなりです。

自分だけがだらけているのではなく、日本全体が能天気で箍が緩んできているんだからしょうがないんだよなと自らを慰めるというのも情けないものでございますな。

○食器を洗うのに、ついに温水を使うことにしました(枝野さん、節電に協力しないでごめんなさい)。
これまで真冬でもやせ我慢で一度も使っていなかったのですが、このところの寒さは格別というのが言い訳です。
まあ、こうしてだんだんと寄る年波に勝てなくなっていくのでしょうね。

○この17日で阪神淡路大震災から17年が経ちました。

神戸で少年時代を過ごした人間としては、あの震災があの街や街に住む人々に遺した爪あとが現在も残っているという厳然たる事実を、ここ東京に住んでいてもわが事のように感じております。
東北が復興するまでは、さらに厳しい道のりが続くことでしょう。

ただ、17年前の災害の経験が今回の東北復興に生かされ、いろいろな段階での交流を通じて、被災地交互の絆が深められているのは素晴らしいことだと思います。

兵庫県の当時の調査では、高校生までの震災遺児は400人ということでした。
今回東日本大震災で父母いずれかを失った子供は1295人、両親ともに失った子供は229人とされております。

うち約6割の遺児の保護者が、国や県から経済的な支援を受けられる親族・養育里親に登録しており、里親制度も浸透しつつあるようですが、彼らに対する国の施策、心のこもった支援は果たして行き届いたものになっているのでしょうか。

彼らを残して犠牲となった親御さん方の思いをくみ取るためにも、遺児たちが災害から受けた精神的物質的な深刻な影響を乗り越えてたくましく育ってもらえる施策(「人」に重点を置いた取り組み)を講じることこそが、今後優先して取り組まなければならない重要課題のひとつであるということを施政者には肝に銘じていただきたいと思うのでございます。

2012年1月14日 (土)

1月ー1

新しい年を迎えました。

干支は、壬辰 みずのえたつ。

安岡正篤先生によれば、「壬」は、「妊む」に通じ、動意を孕む、物事が動き出すという意味があり、また、そのような時にあたって責任ある立場の人がその「任」を果たすべき時であるとされます。

また「辰」は、震、振、蜃に現されるように、これまで固く殻を閉じていた貝が陽気に触れて殻を開けて活動を始める意、良い意味でも悪い意味でも世の中が震動するということでもあるようです。

昨年、辛卯の年の辛は、「上」と「干」と「一」の組み合わせで下なる陽エネルギーが敢然として上に出現する形とされ、まさに関東東北大地震、津波、原発事故が起こった年となりました。

1755年11月1日のリスボン大地震津波は、大航海時代に覇権を競ったポルトガル凋落のきっかけとなり、その後ポルトガルは再復興を果たし得ず250年にわたって経済、政治の低迷を来し、ついに往時の栄光を取り戻すに至っておりません。

われわれはその轍を踏むことなく、今年こそ、リーダーが十分にその「任」を果たし、全員が「振るい」立って、動き出した物事を良い方向に導いていくよう努力していきたいものでございます。

   陋屋から望む新春の富士

   004

   赤児なる 孫笑む写真眺めつつ 
                 新しき年ひとり言祝ぐ

2011年12月30日 (金)

12月ー2

12月後半の瓏山です。

○坂の上の雲

NHKのドラマとしては見ごたえがあるものだったように思います。

日本海海戦の旗艦三笠は、その後記念艦として横須賀に繋留されていましたが、第2次大戦後、艦橋、砲など上部構造をすべて撤去され、ダンスホールなど米駐留軍の慰安施設として使われていました。
昭和30年イギリス人のジョン・ルービン氏がその現状を記事にしたことによって復元の機運が高まり、関係者、米軍ニミッツ元帥の尽力もあって昭和36年岸壁上に復元されています。

この三笠の復元に際し、第2次大戦で戦死した子息を持つ小泉信三博士は、次のように述べておられます。

「そもそも自尊自重の精神の無い国民が他国人の侮りを受けますのは、これは当然であります。
(中略)
兵は凶器であって戦争はもっとも憎まなければならぬものであります。しかしながら、現に人類が地球上に国を立て、自国と他国を分かって相対する事が行われる限り、自国の独立の危うきに臨んで、その防衛のために心身の限り、否、心身そのものを尽くすことは国民最高の責務であります。」

明治維新からわずか80年ほどの間に、日清、日露、第2次大戦と3度の戦争を体験した日本は、その後70年ほどにわたって平和を享受しております。

来年以降も、日本だけでなく、世界が平和であるように望みたいものです。
そのためには、小泉博士が言われるように、他国に侮りを受けないよう、一旦ことあれば立つという「自尊自重の精神」を持つことが、リーダーにも国民にも求められるということでもございましょう
(「えらい大演説やね」「まあ老いの一徹ということで」)。

○2011年瓏山10どうでもいい事件

2月 愛用の尺八が割れ、平成の大修理を行う

3月 東北関東大地震による計画停電で第2次大戦以来の蝋燭の下1人での夕食、しばらくの間米が買えず餅を雑煮にして食う

5月 遼東半島に出かける、旅順激戦地鎮魂慰霊の旅

6月 NHK和歌に応募作佳作入選

7月 福生七夕祭りパレードに参加、浴衣に団扇でメインストリートを踊り歩く

8月 一門の浴衣会で「白雲の城」を踊る

10月 ミュンヘンのオクトーバーフェストでビールを飲み、 フィレンツエの居酒 屋でワインを飲み、バチカン・サンピエトロ大聖堂でミサに与る
(「ミサとお酒をごっちゃにしたらあかんよ」)

11月 3人目の孫出生
(「孫を可愛がる動物って人間の他に居るのかね」 志賀直哉)

11月 結城 依田 武宮の諸先生にあやかりついに髪の毛を一分刈りとし、来年の 完全丸刈りを目指す 

12月 水泳クロールで25M完泳目前

世の中では、3.11大震災の復興未だ進まず、欧州発の経済危機未だ収まらずという情勢の中で暢気なものでございますな。

   はかなしとまさしく見つる夢の世を
                     おどろかで寝(ぬ)る我は人かは 
                                   (和泉式部)

そのなかで7.17なでしこジャパン女子ワールドカップ優勝は国民全員の欣快事でありました。
ただ、集団として初めて彼女らに国民栄誉賞が与えられるというのであれば、東北大災害という未曾有の国難にあたり、昼夜を忘れ、家族を忘れて、まさに「心身の限り」、復旧に力を尽くした自衛隊員、海上保安庁、警察、消防隊、地方自治体の職員、原発現場の東電社員、関連会社社員など無名の方々にも、等しくその栄誉が与えられてしかるべきだと思うのは私だけなのでしょうか。

        

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